富田正弘『中世公家政治文書論』(吉川弘文館、二〇一二年)

 
 情報化によって圧倒的な量の史料を処理するようになっているが、歴史学は、ともかくも史料を読むことから出発する。私などは、大学院の頃、『平安遺文』という全一一冊からなる平安時代の全古文書集をともかくも読んだ。一年もそれをやっていると、特定の歴史用語や地名などが、『平安遺文』の何冊目の真ん中辺の右頁にあったなどという形で、頭のなかにページのイメージがたまってくる。ところが、現在では『平安遺文』、さらに『鎌倉遺文』も、編者の竹内理三先生の御理解によって東京大学史料編纂所からフルテキストデータがオープンされており、これによって任意の言葉、活字の用例表を一瞬で自分のPCに落とすことができるようになっている。これは大学の内外をとわず、歴史学の研究を多くの人々に解放し、研究をやりやすくしたという点で絶大な意味をもっている。
 しかし、歴史家は史料を読むことによって、自我の中に独特な記憶領域のようなものを形成する。これは、以前も現在も同じことで、どんなに形がかわっても、学術は、ものごとを記憶し、その全体像をつかむ心術にもとづいているはずである。心配なのは、史料情報の量が自我の記憶領域からすぐにあふれ出す膨大なものになっていることである。私は、こういう状況で、現在、一種の新しい記憶術が必要になっているように思う。ギリシャのシモニデスに由来するといわれる記憶術は、文字情報が巻物から本、印刷物になるにつれて大きく変化してきた。記憶術が研究を精密化するという実務的な意味をこえて、まずは研究の全体性を可能にする心術である。それなしに、情報におぼれることは、全体性を喪失することにつながりかねないのである。
 さて、史料を記憶するためには分類が必要であり、その際の基準は古文書学に求められる。個々の史料は、たとえば、紙の大きさ、縦横比、折り方、紙質、墨の色からはじまって、字体、日付や位署・差出の書き方、さらに書出、書止などにあらわれる特徴的な文言や様式など、無限の外形的な変異をもっている。人の名前を忘れても顔は覚えているように、こういう外形の差異は意外と記憶に残るものである。それはけっして付随的なことではない。『平安遺文』のページのイメージなどというのは偶然的なもので無意味な記憶であるが、これらの外形的な差異は、文書に表現されたA・Bという人間相互の意思関係、文書を取り交わす社会の諸階層、諸身分の間の関係を端的に表現している場合が多いのである。
 古文書学とは、一言でいえば、史料を読むものの記憶の世界を秩序づけるための基礎知識を提供する学問である。それは文献歴史学における記憶術の基礎であるといってもよいだろう
 さて、現在、研究者が総覧するべき史料情報が無限にふくらんくるなかで、古文書学を刷新し、文書に表現された意思関係・社会関係を、その文書の外形的な差異をふまえ、的確に分類し、体系的にとらえる必要がきわめて高くなっている。本書の著者、富田正弘は、私たちの世代の中でもトップの位置にいる研究者であるが、アーカイヴズの仕事から研究歴を出発し、長く史料の整理や編纂、さらにデータベース化の仕事にたずさわってきた。富田は「古文書の整理をする仕事に携わることになったとき、いつも興味を覚えた」のが古文書の分類と体系の変遷であったと述懐している。富田は、その中で黒板勝美・相田二郎・佐藤進一などの古典的な古文書学を誠実に読み抜き、本書において新しい古文書学の基礎を作りだしたものである。
 以上、前置きが長くなったが、いちおう、本書の内容を説明しておくと、まず序説「古代中世文書様式の体系・系譜論に関する先行研究」は、黒板勝美・相田二郎・佐藤進一・林屋辰三郎・上島有などの先行の古文書学的業績の紹介・批判である。これによって、文書とは差出と充名の間の意思関係を表現する書面であるという古典的な定義が、物ごとを同定する記録機能や、音声記録などをふくめたものに拡大していき、それが文書の様式論・機能論の豊富化と直結していた様子を、わかりやすく知ることができる。著者の仕事が、文書体系とその系譜から政治社会形態論を論ずるという佐藤進一の議論の系譜に属することを確認しておきたい。
 次ぎに第一部は「古代中世国務文書論」となっていて、「平安時代における国司文書」と「国務文書の展開」の二論文からなる。平安時代から鎌倉時代の研究の研究をする場合には、どうしても読んでおくべきものである。私は、この論文の発表時、文書の様式・機能の整理にもとづいて、国司・国衙制度についてここまで議論が可能になることに驚いたことを記憶している。結局のところ、支配制度というものは、貴族・官人のあいだの意思関係が社会の上層から下層にかけてどのように伝わっていくかという問題であるから、その分析においては、意思関係を体系的に捉える古文書学が基礎となるのである。
 第二部の「中世公家政務文書論」は「中世公家政治文書の再検討」「公家政治文書の発給過程と系譜」「図説東寺百合文書における公家政治文書」「口宣・口宣案の成立と変遷」の四本の論文からなり、おもに公家・寺社の文書を取り扱っている。これらの論文のなかではまず三章目の「図説東寺百合文書ーー」という論文から読み始めることをお奨めする。多くの文書の写真がおさめられており、平安時代から室町時代の古文書というものがどういうものかを知ることができる。どれも見事な筆跡であって、すべてではないが釈文もついているので照らし合わせて読まれるとよいと思う。それを一覧することによって、当時の貴族・官人・僧侶などが、現在では忘れられてしまった政治文化をやしなっていたことが実感できると思う。
 公家・寺社の文書は、この時代の文書の中でも量が多いものであるが、従来の古文書学はどうしても武家文書を中心とする傾向があった。そういう中で、この分野の文書の古文書学は、著者がほとんど独力で開拓してきた分野である。そこで明らかにされたのは、平安時代から室町時代の文書は、太政官の「太政官符・官牒・宣旨・官宣旨」に由来する「下文様文書」と、院政において形を整える綸旨・院宣・御教書・奉書に由来する「書札様文書」に大区分するという図式である。問題は、前者が「天皇制と太政官」、後者が「院政」という政治支配のスタイルに対応しており、「政務」の地位にいる院は書札様文書を政務文書とし、形式を必要とする場合に太政官的な文書を発給させるという二重構造になっていることである。そして、政務をになう院が不在の「親政期」には、天皇の綸旨が院宣にかわって、政務の中心文書の役割に担うこと、さらに、足利義満以降は、室町殿が「政務」の地位について、天皇の綸旨・口宣案を発給させるという構造になっているという。この著者が明らかにした図式は、現在では、古文書学のみならず、中世国家論の基礎認識になっているものである。
 以上、本書のような専門的な論文集を駆け足での紹介したために分かりにくい部分も多いことを恐れるが、しかし、第一部の中心論文「国務文書の展開」と第二部の中心論文「公家政治文書の発給過程と系譜」は、どちらも古文書学の入門書に執筆されたものであり、第三部「新しい文書体系論への助走」も、もと『岩波講座日本通史』の別巻に掲載された古文書学の概論である。こういう事情によって、本書は古文書学の入門書としても読みやすい仕上がりとなっているということができる。
 もちろん、本書は武家文書を取り上げておらず、これについては佐藤進一『古文書学入門』を併用する必要があり、これは、本書がやや高価すぎることとあわせて、早晩、補充される必要がある問題点である。しかし、学界では佐藤の著作が不朽の価値をもつことは広く承認されており、このような併用は、当面は自然なことなのである。
 なお、以下、二点をつけくわえておくと、第一に、第三部「新しい文書体系論への助走」では、古文書の情報を、関係的情報、様式的情報、機能的情報、「物」形態情報、文書群管理の構成情報にまで広げて考えることが提言されている。これは史料情報論の現在の到達点を示すもので、アーカイヴズ(文書館学)との関係においても重大な意味をもっている。とくに興味深いのは「関係的情報」というカテゴリーであって、それは「研究者が個々の文書と文書の関係を考え、新たな情報をそこに読み取る」ことであるという。残念ながら、詳しい展開はないが、歴史学は、たしかにこの関係的情報を蓄積し、拡大することを研究の推進力としている。この考え方によって、古文書学と歴史学それ自体の関係についての議論を深めることが可能となるように思うのである。
 第二点目は、天皇・太政官システムと院政システムの二重構造という著者の国家論についてである。著者の国家論は論文「室町殿と天皇」(『日本史研究』三一九号)によって提示されたものであるが、この論文は、義満以降、「政務」の地位が「院」から「室町殿」に受け継がれ、最大の公家権門である「院」にかわって「室町殿」が天皇・太政官システムを担ぐという形式ができあがったことを明らかにした。これは、古文書学を基礎とするだけにきわめて説得力なものとなった。そして、本書でも別にふれることになる黒田俊雄の「権門体制」論は、おもに院政期国家を対象に構築されたもので、南北朝期以降についてはあくまでも仮説に過ぎなかったが、著者の仕事によって通史的な見通しを確保し、現在、平安時代から室町時代を説明する唯一の通説となっている。残念ながら、私は、権門体制論自体に賛成することはできないのであるが、しかし、それを批判し乗り越えるためにも、富田の古文書学の世界に沈潜することが必要となっていると思う。

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