タール火山噴火

日本と韓国の神話と民俗    20200125保立道久

  一月二五日の国立能楽堂での公演「能楽と能楽」の最初に二〇分ほど解説をしました。その発表。原稿です。どうぞ、ご覧下さい。なお、その続きとして、今年九月二一日に多田富雄の新作能「望恨歌」が、同じ天籟能の会によって同じ国立能楽堂で上演されます(2021年12月に延期となりました)。是非、御観覧ください。以下はほぼ読み上げ原稿ですが、少し補ってあります。

能「賀茂」と「御田」の神話と民俗
 能は歴史劇です。とくに源平合戦の亡霊が登場する夢幻能は歴史劇として非常に優れたものです。けれども能はそれを超えるものをもっています。能はさまざまな文化をまとめる力をもった芸能ですので、その中には民族の古い神話が含まれています*1。そういう能を神話能ということができます。今日、上演される「賀茂」と「御田」は、その神話能の中で、もっとも素朴でしかも見事なものでしょう。
雷神の矢による受胎
 この「能」は京都の賀茂神社の神話を語ります。それは雷神が「白羽の矢」になって御社(おやしろ)の前の小川を下ってきたというものです。今日の能は半能ですので、この場面を含む前半部分はご覧いただけませんが、ただ代わりに展示室で「能楽手鑑(てかがみ)」(国立能楽堂所蔵)が展示されていて、賀茂の場面が開いております*2。女が二人いて、その間に「矢立台」があって、矢が刺さっていますが、この矢は「白羽」であると同時に、実は矢軸は赤いことを確かめることができます。私も教えて戴いて驚きましたが、これは今日の贈り物の一つだと思います。
 この手鏡の右側の女が前シテですが、彼女の服には「稲妻菱」という雷をあらわす紋で覆われています。この赤い矢も雷神を表すもので、神話はこの矢が河辺で水を汲んでいた里の女の水桶にすぽっと刺さって、それによって女を妊娠させたと始まります。上賀茂の別雷神(わけいかづちのかみ)はその女から生まれた神であり、女は下賀茂の御祖神(みおやのかみ)となったというものです。民俗学の柳田国男は、これは桃太郎の話と同じことだといいます。たしかに谷の上流で神鳴が落ちて桃の実に宿り、それが川を流れてきてお婆さんが食べたら、赤ん坊が産まれたという話の形は同じです。
 『古事記』にも同じ話があります。密室に籠もっていた女がトイレにいったら足の間を流れている溝から赤い矢が入ってきて女を孕ませた。『古事記』には書いてありませんが、これも白羽の矢だったのだと思います。『能楽手鑑』は『古事記』の読み方を変えるのですから非常に意味が深い。能は神話の読みを変え、具体化する力をもっているということです。そして実は、この矢は三輪山の神が変身したものだった。イワレヒコ(神武)がこうして生まれた女の子を娶(めと)り、その子から王家の血が始まりました。三輪山の神は蛇の姿をした龍神で、その正体はオオクニヌシノミコトですから、王家の血にはオホクニヌシの血が入っているというのがこの神話の意味です。オホクニヌシは龍神であり、雷神ですが、実は火山の神でもあるとされています。オホクニヌシの根拠地の出雲には三瓶山から伯耆大山まで火山があります。オホクニヌシが私たちの民族の神であるのは、彼がこの火山列島を象徴する神だからです。このごろ、火山噴火の写真をみられた方も多いのではないでしょうか。そこに掲げたのは最近のフィリピン、タール火山の噴火ですが、黒雲(くろくも)の中に竜のような稲妻が走っています。昔の人はこれをみて、竜がカミナリで山を噴火させたのではないか。カミナリは山と大地をドーンと揺らしますから龍は地震を起こすのだとも考えていたことはいろいろな証拠があります*3。
月の神話と水
 能の「賀茂」にはもう一つ別の神話が隠れています。月の神話です。賀茂の葵祭は四月ですが、このとき氏子の女たちはハート型をした桂の葉で身体を飾ります。これは「葵桂」ともいって、桂と同じ形をした葵を桂の小枝と組み合わせることもありますが、私は「葵桂」で肝心なのは「桂」の方だと思います。この桂の葉は月のしるしです。京都の桂里(かつらのさと)の桂の木には月の神がおりてきて女を犯したといいます。桂には月の神がよってくるのです。京都の四月は松尾神社の松尾祭、日吉神社の山王祭、そして葵祭と続きますが、このとき京都の女たちは桂の葉をまとって「月の女」になる訳です*4。さきほどの『能楽手鑑』の前シテの服は雷電紋のみでなく、丸い(おそらく月をあらわす)紋もいくつかついていますが、腰の辺りの丸の中には「葵」が描かれているのも興味深い点です。
 能の前半は「空、水無月の影ふけて秋ほどもなき御(み)祓(そぎ)川(がわ)、心も澄める水桶の」と始まります。葵祭から二月(ふたつき)ほどたった水無月六月。新暦で言えば七月。それもそろそろ秋の気配ですが、空には満月がかかっている。里の女は、夜通し語り続けて最後に「我が姿の誠を顕さば浅ましやな、あさまにや成(なり)なん」(あさまは「朝」)といって消えていきます。これは神社をさらさらと照らす月の光の語りなのです。語っているのは夜空の月で、だから明け方になって消えたのです。
 場面が変わって昼。光の中で女は天女に変身して登場し、続いて子供の別雷神がゴロゴロと登場します。舞台一杯用(はたら)いて恵みの雨をふらし、稲妻を光らせて稲を実らせる。今日の能はここから始まるのですが、この能の見所(みどころ)です。稲妻は稲穂を受胎させて実を結ばせるといいます。稲妻の妻は女ではなく夫の意味の妻なのです。万葉集には、男と女は稲妻の下だからこそ、それを恐れず抱き合うのだという歌があります。この能にはそういう感情が籠もっているのですね。
 葵祭で「月の女」になった女たちは、暑い夏の雷神の訪れをまつということでしょう。それは「水の神話」といってもよいかもしれません。つまりシテは水を汲むとき「いざいざ水を汲もうよ。神の慮(こころ)汲もうよ」と繰り返します。正月の若水でよくやるように、女は水桶に水を汲むときに、そこに満月を映しこんでいるのです。そして桶の水を月の水、命の水に変えてそれを呑んで身体の内側から月になる。小唄にも「水を掬(むす)めば、月も手に宿る」*5とあります。
狂言「御田」――田楽――地神踏み
 もちろん、この神の水は田植の水でもあります*6。雷神は人間の身体を豊かにする「月の水」と同時に田畠を潤す「神の水」をもたらすのです。今日は、狂言「御田(おんた)」が上演されます。これは田植の話ですから、こういう水田の水のことを実感する意味では絶好の取り合わせです。
 この狂言は、賀茂の神主と田植の早乙女のやや色っぽい掛け合いです。平安時代から、こういうおどけ役の翁(おきな)の登場は田楽の特徴で、いかにも「田楽」らしいものです。いうまでもなく、この田楽を基礎として鎌倉時代の末に「能」が出来上がってきた訳ですが、その痕跡は能にはなかなか残っていません。ですから、この能の賀茂と御田の組み合わせは、芸能の歴史を考える上では、それを示す珍しい例として意味深いようにも感じます。
 そこに掲げた『浦島明神縁起』は田楽の様子をよく表した絵です。右下の太鼓は今日ご覧になる韓国の農楽の太鼓より少し平べったいですが、打ち方はそっくりです。そして大地を強く踏みしめて大地の霊を鎮めるというのも同じです。韓国の農楽をこの絵を頭において御鑑賞いただければと思います。

韓国の神話と農楽と月迎えの民俗
韓国の雷神・火山神話
 さて韓国の話に移りますが、まず火山の神話が大切です。韓国は北に白頭山、南西に済州島があり、南東には出雲火山帯があります。出雲は古くから韓国との交流の拠点でした。白頭山についていいますと、一〇世紀に世界最大の噴火をしていますが、それからもう1000年以上たっていますので心配なことです。それにそなえる意味でも、韓国は三方を火山に囲まれていて、日本と同じ火山国であることを認識しておきたいと思います。
 さきほどの神武天皇はもちろん神話の中で作られた天皇ですが、韓国にも同じように神の子として高句麗の最初の王となったという伝説の王、ドラマでも有名になった朱蒙がいます。朱蒙の父は解慕漱(かいぼそう)といいますが、腰に「竜光の剣」を帯び「竜の車」に乗って天から降りてきて密室の中で女を妊娠させました。三輪山のオホクニヌシと同じ話で、彼も雷神であった訳です。その子供の朱蒙が高句麗を建国したというのですが、この朱蒙は火山神の姿ももっています。有名な高句麗の広開土王の石碑などによりますと、彼は死ぬときに白頭山の西の山に神鳴のような大きな音を立てて城を築き、黒雲を湧き上がらせ、そして黄色い龍の首に乗って天へ上ったといいます*7。
 さらに韓国済州島の火山には、済州島の南の小島に腰掛けて海で洗濯をしたというソルムンデハルマンという女神*8がいて済州島の山は彼女が作った、また女神の排泄物は固まって韓国南部の山々になったといいます。これは日本の国を生んだという国生の女神イサナミがカグツチという火の神を生んでミホトを焼きただらせ、糞を出し反吐を吐いて土や金属鉱石を作ったという『古事記』の物語と同じことです。イサナミが火の神を生んだというのは、彼女の身体は大地そのものですから、大地から火が噴き出した、つまり噴火したのだとされています。韓国と日本でこれだけ似た神話があるのは、二つの国が火山国として共通するからでしょう。
 ただ残念ながら、この韓国の国生の女神ソルムンデハルマンの神話は伝承でしか残っていません。韓国はたとえば七世紀に高句麗と百済が滅ぼされたように中国の侵略をうけることが多く、また秀吉の侵略や明治国家による植民地化もあり、東アジアでも苦難の歴史を歩んだ国で、歴史の史料だけでなく神話史料もほとんど破壊されてしまいました。これは日本の神話を考える上でも非常に残念なことです。
韓国の月の神話
 さて、火山の次は月の神話ですが、これは韓国ではまったく残りませんでしたが、実際には豊かな「月の神話」があったはずです。といいますのは、いわゆる飛鳥時代、いま申しましたように中国が百済と高句麗を滅ぼした戦争で日本は百済と同盟を組んで戦いました。その関係で七世紀、天智天皇の時代に多くの人びとが百済から日本に亡命してきました。
 「月の神話」を考える上で大事なのは、そのとき百済の影響で「踏歌節」という正月行事ができたことです。踏歌は古くから韓国の風俗になっていて、「夜に男女が群聚して歌い戯むれ、数十人が一緒に地を踏んで低く高く踊り、手足を動かす」(『三国志』魏書、韓伝)という文字通り大地を踏む踊りです。地を踏むとは大地の神を踏み鎮めるということです。奈良時代にはこれが宮廷行事になったのです。そして奈良時代に大変にはやって、たとえば東大寺大仏の開眼(かいげん)のときの踏歌も百済の女性がやっています*9。
 この踏歌節は正月一六日。、前日の一五日は*10満月です。朝まで月の下で遊びます。そして一六日の夜も男女で舞うわけです。『源氏物語』*11によると清涼殿の天皇のもとから出発して貴族と女たちが徹夜で京都中を踊り廻ったのですが*12、一〇世紀末には女のみになりました。『年中行事絵巻』には宮殿の南の庭で、女房たちが右手に扇、左手に歌詞を書いた紙を持ち、正方形に列なって踏歌する様子が描かれてます。
 これらは、もちろん日本の史料です。けれどもそれは半分、百済踏歌の実際を示したものといってよい訳です。しかも幸運なことに「井邑詞」(チョンウプサ)という百済歌謡が一五世紀の楽書『楽学規範』*13に収められてただ一つだけ残っています(新羅歌謡は『三国遺事』などに25首ほど残り、高句麗歌謡は一首も残っていない)。
 「山の端の、月よ高みに昇り給え、
  ああ、四方を遠く照らし給え、
  ぬしは市に通うらん。ああ、泥濘(ぬかるみ)に足をとらるな
  心しずかにせくまいぞ、ぬしの夜道に胸さわぐ」
 これは満月の夜に妻が夫を思う歌です。本当によく残ったものと思いますが、この九月に上演される多田富雄さんの新作能「望恨歌」は、実はこの「井邑詞」をもとに作られたものです。多田さんの新作能はこの「望恨歌」が一九三〇年代の韓国の人々に対する戦時強制動員の問題に踏み込んでいるように、現代の深刻な「生と死」に題材をとりながら、しかも神話の不思議に静謐な雰囲気に満ちていますが、それをもたらしているのが月の光りであるように感じます。望恨歌の歌詞には何度も月が出るのです。それを並べてみますと、「月明りのもとに出で候べし」「折しも秋夕(ちゆそく)の魂祭、月諸共に憐れまん」「から砧取り出し、打てば心の月清み」「山の端の、月よ高みに昇り給え」「明らけく、照らし給えや真如の月」「月影の霜の凍てつく野面に」などとなります。そもそも多田は、夫を失った老女の住んでいる村に「丹月の村」という名をつけています。「望恨歌」を神話能として観賞するためには「月の神話」を知っておいたほうがいい。今回の公演は、その準備でもある訳です。
 なおこの井邑は韓国西海岸の全羅道の町で百済の中心地の一つでした。今日の農楽の演奏者の方々は、この井邑の隣り町の高敞からこられています。これは珍しい偶然、ご縁だと思います。こういう芸能を通じて、隣国同士の縁がひろがることはめでたいことだと思います。
月迎えー農楽――地神踏み 
 さて、この満月の夜の踏歌の風習は長く引き継がれました。今日は旧暦で言うと正月元旦です。韓国では新暦の正月一日はなんの行事もなく、今日の旧暦元旦こそが家族で集まる日であるということで、高敞の農楽の方々がそれを抜けて来日して戴いたことに感謝したいと思います。ただ、韓国でさらに重視されているのが、今日から一五日たった旧暦正月一五日の満月の日の行事です。新暦で言うと二月八日。今日、能楽堂にお運び戴いた方は、是非、この満月を見てみましょう。高敞の方々も向こうでご覧になると思います。日本と韓国は同じ月をみるのだということを強く感じます。
 韓国では、この行事の中心が村のみんなで近くの山にいって月を拝む「月迎え」だといいます。昔はこのとき男女が踊り回って恋愛の機会にもなっていた訳です。この正月の月迎えで面白いのは日本と同じような若水汲みがあることで、15日の夜、日付が変わった頃に井戸へ行って井戸の水に映った月と一緒に水を汲む。この日は竜が天から下りてきて卵を井戸の中に産むという伝説があります。水に映った月を「竜の卵」に見立てて、それを汲むのだといいます。龍神は雷神です。ですから賀茂の水桶と同じことです。
 また八月一五日も重視されていて秋夕(ちゆそく)といいます。そこでは「月迎え」を始め正月と同じような祭をしますが、男女が一緒に野山で遊ぶのは、こちらの方が多いようです。一月違いますが、ようするに日本の盆踊りですね。「月がーでたでた」という奴です。そして先祖の「魂祭(たままつり)」をするのも日本のお盆に非常によくにています。また里芋を食べたりします。とくに大事なのは綱引きで、綱は蛇、龍の身体のシンボルだといい、実際に藁で龍の形を作ることも多いようです。これも日本と同じで、ようするに秋夕にも龍がやってきているのですね。
 今日上演される農楽は、この正月、八月の満月の日を中心に行われる踊りです。韓半島中部以南には水田が多いこともあって、水田の草取りや田植などでもよく行われるということです。そうなるとほとんど日本の田楽にそっくりです。もちろん、異なる歴史の中で大きく違ってきた部分もありますが、そういう積もりでご覧になればよいかと思います。

日本と百済の芸能交流と「月」
 さて、日本と韓国の両方の説明をせねばならず盛り沢山な話となってお聞き苦しかったと思いますが、その趣旨は韓国の農楽と日本の能楽は「月の神話」と「田楽」を間におくと両方をまとめて楽しめるのではないかということです。
 最後に、長い歴史の中で交流してきた日韓の芸能の原点について少しだけ御話をしたいと思います。それは聖武天皇の時の踏歌で広瀬の曲という名前の踏歌があったことです。踏歌は宮廷から始まったとさきほど申しましたが、奈良時代には、民間にも広まりました。広瀬の曲の広瀬というのは、奈良県の西部、盆地の水がすべて集まって大和川になって大阪に流れ出すところにある広瀬神社の辺りです。ここに月夜に人々が集まってくる祭がありました。私は、以前、『かぐや姫と王権神話』という本を書いたことがありますが、そこで述べましたように、『竹取物語』はこの広瀬神社周辺を舞台にした物語です。カグヤ姫の成人式や公家たちが夜這いでやってくるというのは、このお祭りの夜のことです。これはカガイといって、男女が恋愛と身体の自由を謳歌する祭でした。詳しく説明している時間はありませんが、この民間のカガイが踏歌と重なり合って、一挙に踏歌の芸能が民間社会にも広がっていったのだと考えています。ここら辺は渡来人も多く住んでいるところですから、百済からの人々も「月の女」=かぐや姫の物語を一緒に聞いた、あるいは作った可能性も高いのではないかと思います。
 こう考えてみますと、これはこれまでほとんど気づかれていないことですが、日本文化の歴史全体を通じて「月」の神話、「月の女」のイメージはきわめて大きかったことが分かります。能の賀茂と韓国の農楽を入口にして、こういう日本史の見方を変えていく作業を続けたいと思っています。
 同時に、これは日本と韓国・百済をむすぶ芸能を通じた深い文化的交流を跡づけていく作業にもなるのではないかと思います。つまり、かぐや姫は広瀬踏歌にさかのぼり、広瀬踏歌は百済踏歌にさかのぼり、それは百済で実際に歌われていた井邑詞にさかのぼり、それが現在の韓国でも行われている「月迎え」の行事として残り、そういう事柄の全体をうけるようにして多田さんが「井邑詞」に触発されて「望恨歌」を作ったということになるのではないかということです*14。
 

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