「まどこおふすま」は大嘗祭の天皇霊付着布団ではなく、火山繊維。


 『日本書紀』本文に「高皇産霊尊、真床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆ひて、降りまさしむ」とある天孫ニニギが包まれた真床覆衾も同じようなものであったと考えることができる。折口信夫のいうのは間違い。

 『日本書紀』には六七八年(天武七)十月に、難波に降って、松林や葦原に垂れ下がった「綿のごとき」物がみえる。この「綿のごとき」物は「長さ五・六尺(一・六㍍)、広さ七・八寸(幅二二㌢)」という相当の大きさであるが、これはハワイ火山でみられるペレーの毛といわれる繊維状の火山噴出物、あるいはそれにスポンジ状のレテイキュライトのようなものが絡まったようなものではないだろうか(ペレーはハワイの火山の女神)。

 なお、この「綿のごとき」物の長さが一・六㍍、幅が二二㌢というのは長大であるが、若干の誇張はあったとしても火山毛として異常な数値という訳ではない。今村「降毛考」*8には「馬毛」「白毛」などという呼称がみえ、一八三六年(天保七)の例では長さ三尺という。藤木久志『日本中世気象災害史年表稿』には「龍毛・馬毛」(四〇二)「氷毛」(四〇三頁)などとみえ、一六〇八年に豊前で記録された「馬毛」も「長サ三尺程アリ」とされている。

 これが大森房吉『日本噴火志』(一九一八)の第三表「降灰及ビ火山毛降下ノ記事」に掲載されていることも付言しておきたい。『日本書紀』がこのようなものが天より降るのを「甘露」として縁起のよいものとするのも、前述の火山灰を「米花」と称する意識に似てくるようにも思う。

 もちろん、もしそうだとしても、この「綿のごとき」物を供給した噴火がどの火山かは不明であるが、文献では知られない噴火の存在を想定することも必要だろう。もちろん、それは日本の火山とは限らない。火山学の谷口宏充の教示によれば、一三七三年の朝鮮の白頭山噴火では朝鮮半島に「白毛長二寸、或三四寸、細きこと馬の鬣(たてがみ)のごときもの」が降ったという(『高麗史』巻五四志第八、恭愍王二二年)。実際、一〇世紀、九四六年に同じ白頭山で噴火があったときには、白頭山の火山灰が日本にも大量に飛来したことが文献と火山灰分析によって知られている。したがって、この七世紀、六七八年の「綿の如き」物も朝鮮など他国の火山の噴出物であった可能性も否定できないだろう。

 このような火山噴出物が天から降下するものとして神秘化され、王の降臨にともなう呪物として神話のなかに取り入れられていくということは十分にありえるのではないだろうか。

 なお、この結論はすでに『物語の中世』(講談社学術文庫)のあとがきに書きましたので、この記事を掲載したものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?