見出し画像

662/1096【往復書簡】無駄というギフト

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で662日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

662日目、最近絵を始め、プラスして新たな企画がいよいよスタートを切るというころで、さらにまた別の鼻血が出ちゃう嬉しい企画について検討しはじめてしまった・・・!た、楽しい!どうしましょ!

わたしはひとりしかいないし、一日は24時間しかない。わたしはこの制約がある中で、パンパンにまでやりたいことを詰め込んでいる。そこには、ゆったりするとか、ゲームをするという自由時間も詰めてある。ひたすらにやりたいことしかしていない。

それらを進めるうえで、たまに大変なこともあるし、自分を奮い立たせる必要があることや、嫌でも終わらせなくてはならないことが出てきたりするけれど、ぜーんぶ自分の好みで決めたこと、自分の選択だ。つまらなかったら、自分が悪い。なんと気楽なことだろう!

毎日投稿も大変な日がほんとうに多いのだけれど、毎日書くことでの自分の変化を感じるのが面白くて興味深くて、もっと先が見てみたい。
とりあえずこれだけ書いてきてもまだ「習慣化した」とは感じられないけれど、終わってしまったら寂しくなるような気がしてならない。残り約2ヶ月で毎日書いて2年を迎えるが、カウントダウン気分が増して、えらく寂しくなればいいなと思う。自分がどこまで動揺するのかがとても楽しみ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上の圭吾さんの記事へのお返事です。

おはようございます!!すぐのお返事をくださって、ありがとうございました!とても嬉しかったです!!往復書簡を書くたびになぜかフォロワーが減ることに気がついたわたしですが、なにかをふるいにかけている気がしてなりません!

壇珠さんから鬼速のお返事をいただくたびに「読むの怖いよー、怖い、読むのやめよ(一回閉じる)」を繰り返している、俺です!!

自分のお返事が圭吾さんの恐れの対象になっていると知り、可笑しくて声を出して笑ってしまいました。怖い内容でほんとごめんなさい!と言いつつ、もともと悪役気質のようなものが備わっているのか、なぜか楽しい自分です!!

でも、これは一応のこと【男と女の往復書簡】なので、女の側が怖いお母さんとか怖い奥さんのようなポジションなのは、良いことのような気がしました。円満の秘訣です!逆だと互いに、いやすみませんわたしにかぎってはですが、耐えられないような気がします・・女性がビクビクしていて良いことなど、この世にひとつもないですね・・!

私はしゃぶしゃぶと海鮮丼が大好物なのですが、それを知ってくださった方が両方ご用意してくれたのです。それらがテーブルの上に並べられているのを見て、私は「生きたい!」と強く思いました。生きていけるでもなく、生かされているでもなく、豪華な料理を眺めながら「生きたい!」と思ったのです。~中略~
自分がたいして食べたいと思っていないものを食べている時のテンションは凪ですが、ど真ん中ストライクのものを目の当たりにすると「生きたい!」となります。

このお気持ちがとても良くわかる気がします。”これから取りかかれる好きなもの”を目の前にすると、わたしも単純に、生きる気力満々になります。
わたしは朝から晩まで、これから取りかかれる好きなものが目の前にあるようにしていて、それは休憩でもゲームでも仕事でも好きな食べ物でも家族でもあるのですが、さもなくば生きる喜びが激減してしまいます。

わたしたちには、生きている間ずっと、ど真ん中ストライクのものを収集していく自由があると思うと、楽しいですね。生きているということは、好きだ!と思うものを見つける旅だとも言えるのかも知れませんね。

自分の一日に不満があるときって、その不満の要素を少しずつ好きなものに置き換えていくのも手ですよね。そのためには、今の自に不満があったとしても、全部自分で選んで自分で持ち込んだものだ、と一旦ぜんぶについてそう思ってみる。そう思ってみると、また選び直せると思えてきます。わたしはこれが好きです!!

すぐに変えられないものも時間をかけて好きなものに置き換えると思うと、そのプロセスそのものに希望を感じます!わたしも生きているあいだは、常に自分の最前線で、置き換え作業をしていきたいと思います。

私はいま、自分の処女作(本)を各地で手売りする日々を過ごしています。「作品は作り出したあとに作者の手を離れる」などと言われますが、それを強く実感しています。自分の本を売っているはずなのに、どこか自分じゃないのです。変なたとえになりますが「キリストが聖書を手売りしている」感覚があります。聖書には確かにキリストが言ったことが書かれているのですが、もしもキリスト本人が聖書を見たら「確かに俺はそう言ったけど、俺じゃないんだよなあ」と思う気がします。

これ、めっちゃわかる気がします!わたしも自分のブログ記事に非常に似たような気持ちを抱きます。自分で書いたことなのに、それは書いた瞬間の自分がそこに押し花のようになって宿っていると感じます。

今の自分は絶え間なく変化してしまうので、その押し花を見ると、「このときの自分はこうだったな」と思うのです。自分が書いたには書いたのですが、二度と再現することもできず、その時の自分はそのときにしか存在できなかったことを痛感します。

この文章も今の自分も、そうなのでしょうね。あとから見たら、ああこのときの自分はこうだったんだな・・と思うのだと思います。公開する頃にはすでに過去です。でも、そう振り返っているときの自分がすでに今の自分と違うということが興味深すぎやしませんか?!常に変わっていくだなんて、この世ってエキサイティングな仕様ですね・・・・!!

悪魔のささやきに「効率」というものがあると思います。登山なら、いちいち歩かないでもロープウェイを使えばいいじゃん、楽をすればいいじゃん、頑張らなくていいじゃん、というささやきです。これ(効率)を拒否することによって、感じ取れる喜びがあります。悪魔は「山を登るな」と言います。しかし、天使は山頂で微笑んでいるのです!!

「効率」、それは悪魔のささやきです!!ここに激しく同意します。効率を求める考え方の延長線上には、結局死ぬんだから一生懸命生きたって仕方がない、という発想が待っていますよね。効率を求めるというのは、ある意味で恐ろしい考え方です。そこに対抗して、結局死ぬんだから楽しく遊んで無駄だらけでいいじゃないかと言いたくなります。

こんな書き方をするとアレなのですが、ある意味で人生ってぜんぶが無駄だと思うんです。人生が元々無駄でしかない、と思うと、無駄の概念が崩壊します。無駄ってなんでしょうか。無駄でないものがある、という発想があるから、なにかを無駄と見る発想が出てくるんですよね。

仕事は無駄じゃない、飲み会は無駄。学校は無駄じゃない、ゲームは無駄。というように、その無駄か無駄でないかを社会の役に立つか立たないかだけで線引きしてしまうことに、わたしは耐え難いものを感じます。

わたしは学校よりもドラクエのほうが楽しかったです。ドラクエをクリアしてエンディングに涙をボロボロ流したことがありました。あのときの感動も自分の心を育ててくれた気がします。それは今の自分を形成するものの一部であり、それが今の自分の行うことのあちこちに反映されていると思います。そうすると、ドラクエを無駄だと言い切れないと思うんです。

以前はこうして、あれも無駄じゃない、これも無駄じゃないぜ!!と思っていました。無駄なものなんてなにもないんだ!!と。でも、なぜ「無駄じゃない」ということにしたがるのかと疑問に思ったとき、「無駄」という概念が崩壊しました。

そうやって無駄ではないということにしようとしているあいだは、無駄じゃないことのほうが「良い」と認めているようなものだったと思うんです。それに、それって「無駄か、無駄でないか」の勝負の土俵にあがっていますよね。そこで戦ってしまっているんです。

でももう近年は元々ぜんぶ無駄、と思うようになって、その土俵から降りました。わたしたちの人生は無駄なのだと思うんです。なにかの役に立つからあるわけではなく、なにか他のためのものではなく、意味があるから良いものなのではなく、お役立ち度や意味のあるなしで優劣が決まるものではないと思います。だからぜんぶ遊びみたいなもので、しっかり無駄です。

しっかり無駄なら、せっかくなので楽しみたいと思えます。そう思えると、うっほほーいと言いながら走りたくなります。意義があると思えることをして感動するという無駄、誰かを助けるという無駄、嫌味を言うという無駄、どうせぜんぶが無駄なのだとすると、そのことを真っっっ剣に考えてみると、どうせ遊びなら気分の良いことがしたいと思えます。

子どもに好きに遊んでいいよと言うと、もちろん嫌な気持ちになることなどしたがらないし、楽しいことをしようとしますよね。それと同じでどうせ無駄でどうせ遊びなのだからと思うと、なんだか肩の荷が下りて、ありゃ?人生って楽しんじゃっても良いんだ、と思えます。
もしこの世の何もかもが無意味で完全に「無駄」ならば・・・?ということを真剣に考えてみることを、誰かに超絶オススメしたい自分がいます。

今日、誠に僭越ながら「私と壇珠さんの共通点」はなにかなと考えました。そして、それは『恋』だと思いました。世界に恋をしていることだと思いました。よく、世界は愛でできているとか、自分を愛することが大事とか、そういう言葉を耳にします。しかし、愛することは実はそんなに難しくないと思うのです。むしろ、愛することなんて超絶簡単。ただ、愛すればいいのだから。愛はデフォルト。普通にしていたら、愛。元気でも元気じゃなくても、愛。生きていたら、愛。死んでしまっても、愛。全部、愛。ただ、恋をするというのはなかなか難しいと思います。愛に衝動はありません。しかし、恋には衝動しかありません。この、瞳をときめかせ続けるサムシングは、愛というよりも恋に宿るものだと思うのです。愛は安寧。恋は勢い。だからこそ、今日、私は私に言ってやりました。大事なものは、勢いだよと。愛は「やってもいいし、やらなくてもいいよ」と言います。しかし、恋は人間を愚か者に変えちゃうものですから、年がら年中「やっちまいな」しか言いません。これを最高に素敵なことだと思います。 

わたしも愛はデフォルトだと思います!!以前別の記事にも書いたのですが、すべての人がこの世のすべてを愛していると思います。わたしはiPhoneも家族も練り消しゴムも同じように愛しています。それで世界は成り立っているのに、どっちかだけ愛したらスーパークレイジーだと思います。優劣があるとしたら、それは愛ではなくて優先順位の違いだと思います。単なる、自分の都合ですよね。

自分を愛そうという言葉や自分を愛せないという人を見かけますが、「あなたはすでに自分を愛している」と思います。自分を愛することができないのではなくて、自分を優先できないだけだと思います。それって、自分の都合をちゃんと見直せばいいだけのことなので、愛云々という話じゃないと思います。わたしはこうした、愛やら情けやらとはまったく切り離されたロジカルシンキングが好きです。

そして圭吾さんの仰るように、世界に恋をしているか、これはだいぶ個人差のあることだと思います!!わたしは自分でも、外界にうっとりしまくっている人間のひとりだと思います!!

まず!!この!!三次元物理世界!!縦・横・高さ!!この物理世界の設定ときたら、なんじゃこらあああああああ!!という感嘆に値します。わたしは恋によって愚か者になっているため、毎日そこに「ねえロミオ、あなたはどうしてロミオなの」みたいに、「ねえ物理世界、あなたはどうして物理世界なの?!」と思ってしまいます・・・考えた神を全自分を使っても賛辞しきれません。そして、そこでさらにこの青い星ですよ・・・空も青く、海も青いとかどういうデザインでしょうね?!?!もう地球についてもとてもとてもここに書ききれない感動ですが、さらにそこにきてこの、人間という超絶アメージングなシステムに「なってみることができる」って、、もう、、なんなんでしょう、毎日驚きが隠せないレベルです・・・・

わたしは毎朝夫がカフェラテを作ってからベッドに朝食だよと言いに来るのですが、毎朝毎朝、人間ってマジで美しいなと思ってしまいます。何でしょうこの機能とデザイン?!?!

上まぶたと下まぶたの間に眼球が入っていて、カメラになっていてキョロキョロと動くことや、伸びた腕の先が5本に分かれていて、それを動かして細かいことをしたりしますよね。二本脚で歩いて、口から音を発しますが、それをものすごく複雑に調整できることに驚きます。ほんっとこれ、誰が考えたんじゃ・・!!それに音も聴こえて、いい音楽を聴いたりすると目を閉じたり踊ったりするんですよね。マジで可愛いです。なんだろうこの居場所とこの生物は・・・わたしは夢の中の楽園にいるんだな、ああ!と毎日毎日思います。

わたしはこの不思議な生の環境に、惚れた弱みですっかり参っていると思います。この世は辛いのに、切ないのに悲しいのに。でもやっぱり、「ああ、なんつーすごいところだ!!」がそれをはるかに勝ってしまい、お日さまが昇るだけで目がハートになって、どうにも機嫌が直ってしまいます。生きるのはこんなにも苦でしかないのに。

でもやっぱり、こうして地球で人間をやれることが好きすぎて、「ひい~貴重ったらありゃしない!!」という気持ちが湧いてきてしまいます。まさにこれを『恋』だと思います。桃の味、バイオリンの音、風、夕日の色、こんにゃくゼリー、ぬあああああああああああああ!!そしてそれを味わうことのできる人間ひとりを、丸々「自分」としていただいてしまったということよ・・・言葉を尽くしても書ききれませんが、ありがたさ極まります。

自分の人生に登場してくださって、ありがとうございます!!こんなやり取りができる人と出会えたことが幸福です。わたしは自分の人生のいろんなシーンを恋人を見るかのように見ていたい。出会う人というのは、我々がそれぞれに恋する人生のいちばん素敵な要素だと思います。互いが眺める人生のシーンにまた互いにビジュアルで生登場できる日を楽しみにしています!!

【オフィシャルサイトです】

オンライン個人セッションや、オンラインサロンのご案内ほか、さまざまな情報がチェックできます!ぜひ見に来てね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)