【往復書簡】この奇跡を前に、自分の辞書から退屈という言葉が消えました
圭吾さんの記事へのお返事です。
圭吾さん、おはようございます!!最近は異端であることを楽しんでいこうと考えて、日頃から満たされているというのにさらに満たされている自分であります!!この世は楽園で、わたしは神と天使とともに生きており、自分も自分の選択も人生もなにもかもが祝福されていて、どんな希望を実現しても許されるという設定で生活をすると、日常の暮らしが夢見心地です。
昨夜夫がユーチューブで見つけた動画をふたりで視聴したのですが、そこには無言で山の中に手作りの小屋を作る男性が映っていました。男性は必要に応じてシダや苔の茂る土に穴を開けるのですが、その山の土は黒黒としていて、いかにも養分がありそうでした。わたしはそれを見てつい「見てよ!地球とはなんと素晴らしき天体だろう?!?!」と言ったのですが、夫がなんとなく違和感を覚えたのか、返事をしないというできごとがありました。
これはわたし個人の感覚ですが、わたしは自分が地球人であるということをひとつの”状態”だと感じます。今楽しいとか、今は熱があるとか、今は悲しいとかというのと同じで、今はちょっと地球人であると感じます。わたしは意識体であって、地球人であるのは一時的な仮の姿だと思います。思うというか、そのほうがロジカルだし自然なことだと感じます。なぜなら、もしもわたしが本当に”地球人という存在そのもの”なのであれば、それ以外の在り方ができないため、死んで地球人でなくなることができないことになると思うからです。死がくれば地球人であることが終わるのだから、わたし自身は地球人ではないと思うのです。でもきっと夫はそのような感覚にないため、わたしの言葉が彼の認知を上滑りしたのだと感じました。
このような感覚を持って生活しているわたしにとっては、地球表面の様子を見るのはとてもエキサイティングなことです。山以外にも、自然はどんなものも驚愕に値しますが、たとえば都会のスーパーマーケットなども非常に面白いスポットだと思います。この天体に住み着いている知的生命体の作ったものを観察するのは実に興味深いです。地球人という二足歩行型宇宙人の活動を、実際に現場で見学できて本当に良かったと思います。
地球人はどえらい生物です。真にアメージングです。他星人とおなじく、地球人ももれなく制限を創り出してそこから抜けるというゲームに全員で取り組んでいますが、地球人の場合はその制限が非常に明確でハードな設定になっているので、ゲームの難易度が高いのがすごいです。本当にたくましき存在だと思います。地球人はリスペクトに値する、大好きすぎて愛しすぎて、自分にとって最高の生物です。地球人を見るたび、彼らの身体や存在があまりにも精巧にできているため、神がかりすぎて傑作すぎて、握った拳が震えます。なんちゅー創造物だよ!!と思うと胸が苦しいくらいに感動します。自分がその地球人であることが驚きです。自然界、宇宙、地球、地球人、ヤバいです。二足歩行の、言葉を操る輝く目をした知的生命体。この奇跡を前に、つまらないだとか退屈だとかいう言葉が、自分の辞書から消えるのを感じます!!
地球人は、言語を使いますよね。線の組み合わせで作った形の配列によって違った音や意味を表す法則をこしらえて、それを使って意思疎通や感覚表現をしているわけですが、これを皆で覚えて使っていることがもう驚愕に値します。超高度生物過ぎて、そのことに胸がえぐられるほど感動します。なにしろその発明がもう、お、おま、何やっ…と思ったところで涙が出てきます。なんつー、なんつー発明だろうかと思ってしまいます。自分は地球に来る優待券をもらって本当に良かったと思います。なにに対してなのかわかりませんが、なにかにお礼を言わずにいられない気持ちになります!!なんかもう、ありがとうございます!!すんませんほんと!!いやっほう~!!
地方都市で高級車に乗ると「いいわねえ、あの人はお金持ちで」などと嫌味を言われます。逆に、平日の昼間に散歩なんかしていると「あの人、仕事はしてないのかしら」などと井戸端会議のネタになります。しかし、港区にはお金持ち(何をしているのかよくわからない人たち)が大量にいるため、一般的とはかけ離れていたとしても、みんなほっといてくれます。
この部分を読んで、自分がいかにこれらの嫌味に鈍感なのかということを痛感しました。もしもわたしが地方都市に住んでいて、昼間から散歩をしたり高級車を乗りまわすような環境にあったとして、そのせいで「いいわねえ、あの人はお金持ちで」「あの人、仕事はしてないのかしら」と言われたとしたら、その人達はわたしが楽な環境にあることについてわざわざ着目してくれたうえに、そのことを互いに伝えあって皆で褒めてくれているように見えて、「みんないい人だなあ」と思って嬉しくなってしまう気がしました。
わたしは育つ過程でなにか重要なことを見落としたのか、こうした地球人の暗黙の了解と自分の感覚とのズレを修正するのが非常に困難なので、「これは嫌味だ!」とすぐに理解できる人は、地球上のコミュニティについて詳しくて鋭敏で適応力が高くて、そのセンサー能力を素晴らしいものと思います。
お金についてわたしは、貧しいときには貧しいときにしか味わえない感動が、豊かなときには豊かなときにしか味わえない感動があるものと思います。それから、貧しい状態にしかいられないのも乙ですし、豊かな状態にしかいられないのも一興ですが、自由度の面ではどちらも行き来自在な人がかっこよくて楽しそうに見えます。わたしは圭吾さんの、極貧にも極豊にも適応できる適応力を常日頃からすごいと思っています。すぐに今の環境に馴染む柔軟性があり、かつどんな環境にいてもいつも圭吾さんにとって大切なことを見失わないのがかっこいいっす。
われら地球人は、お金についてはついつい「より多く得ること」ばかりをゴールにしてしまいがちですが、自ら貧しくなることができ、自ら豊かになることもでき、さらには自らその貧富を自在に行き来できて、かつその行き来そのものを楽しめるようになることのほうが、面白いチャレンジなのではないかと思ったりします!!
一々言わなくていいことを言うと、私はファストファッションを絶対に着たくありません。下着だとしても嫌です。ファストファッションを身につけると、自分がファストヒューマンになりそうな気がして嫌なのです。壇珠さんには、そういう感覚ってありますか??これは現時点の感覚なので、かく言う私も別のタイムラインでは「B○Wサイコー!!」とか言いながら、ファストファッションに塗れている可能性も大いにあります。ただ、現時点ではこういう感覚と共に生きている俺です!!
ファストファッションを着たくないという気骨はなかなかかっこいいですね!!そしてまたそんな意気を持っている圭吾さんがあたしゃ好きです。わたし自身に限って言えば、身につけるものについて、ファストファッションなのかハイブランドなのかどこかの誰かの手作りなのかということにはあまり着目しておらず、ハッピーな振動が感じられるものかどうか、わたくしを飾るのに相応しきものかどうか、つまりは「俺の気に入るかどうか」のみが唯一の査定ポイントとなっております!!昔からある価値観には、見た目より中身だとか、着るものなんか重要ではないというようなものがありますが、わたしはそんなことはないと思っています。見た目は大事だと思います。似合うとか似合わないとか、ファッショナブルかどうか、トレンドを取り入れているかどうかなどということよりも、自分をどれだけ大切にするかだと思います。その人の自分自身への扱い、自己評価、その人の心のありようが、服装には残酷なほど如実に現れるものと思います。
私は男ですが、男は女への愛を忘れちゃならねえのだと思います。私は、正直、頻繁に忘れます。女を邪魔だと思ったり、女をうるさいと思ったり、女を下品だなと思うことが頻繁にあります。しかし、女なんてクソだと決定づけている時の自分は、紛れもなくクソです。逆に、うまく説明できないのですが「女性の集合意識に寄り添う言葉」を紡ぎ出すことができている時は、男性として救われている感覚があります。嬉しいという漢字は女が喜ぶと書きますが、すげえ言葉だなと思います。極論、男は女を笑わせるために生きればいいのだと思います。女は、自分の喜びのためにどんどん男を利用すればいいのだと思います。女性の喜びには、全部が詰まっていると思います。
わたしは正直、男女が長年連れ添ったならそれなりの良いことがあるともちろんのこと思いながらも、だからといって中身が伴わないのに長さだけを実現させようとするのは間違いだと思います。これからはエネルギー交換の終わった関係を維持することに美徳を見出す価値観は、自然と廃れていくのではないかと思っています。人間はそんなふうにできていないと思うからです。たとえ一日限りの関係だって人の人生を決定的によいほうにシフトチェンジしてくれることもあれば、長いこと一緒にいても不満ばかりの関係もあります。だから、関係の良さを長さで測ったり、離れるのを悲しいことだと扱ったりするのは、これからはもう終わりでいいのではないかと思います。
だから女性は、自分を幸せにしない関係からは思いのままに離れる勇気を持つと良いと思います。女性も、男性なんてクソだと決めつけているときは自分のことも傷つけていると思います。クソだと思う関係に身を置かずに自分を自由に動かしてゆけばいいのに、つい関係が終わることそのものを悪評価してしまって、辛い関係の我慢に身を置く人が多いのではないかと思います。嫌な人を変えようとするのではなくて、嫌な人から離れる勇気がない自分のことを考えてみるといいように思います。相手のせいにしている間は男も女も停滞してしまいますね!わたしも、女性はとくに、自分の喜びをそのまま正解だと思う勇気を持ったら良いのだと思います!!
集合意識の沼にはまると、世界から自分だけが切り離された感覚になり、自分はいてもいなくてもいい存在だ、自分は誰にも必要とされていない、自分は無能だ、自分は無力だ、自分は無価値だ、誰の役にも立たない自分には生きている値打ちがない、などと言った感覚に陥ります。しかし、その沼から這い出ることができた時、「そんなことはないぜ」と囁く本当の声を見つけます。闇があるのが本当なのか、闇はないのが本当なのか、真偽のほどは不明ですが、私は、言葉とは本来あたたかいものであると思います。
非常に勝手で都合の良い考え方なのですが、わたしは自分が闇風の感覚になったとしたら、それを「生物であるせいだ」とか「育った過程のせいだ」とか「集合意識のせいだ」とか「自分の役割のせいだ」とかの、なにかしらのあまり相手にしなくていいことだと考え、だから仕方がない、自分ではない、ということにしています。そして逆に良い気分のときは、まさに自分の本来の姿だと考えています。正解がどうかということよりも、そう考えることで自分が気分が良いほうが大事だという設定にしてしまっています。『正解で不機嫌』か『不正解でご機嫌』かだったら、わたしは不正解でご機嫌を選びます。ご機嫌こそが正義だと思ってしまっております!!
わたしは、男性は自分の力や存在を注ぎ捧げる存在がないときに、自分は無力で生きる値打ちがないと感じるのではないかと思いますが、圭吾さんはこのあたりをどう感じますか。恋をしているとき、誰かを笑わせたいとき、俺が幸せにするんだ、俺が助けるんだ、俺が驚かしてやるんだ、俺にしかできないんだと思っているとき、男性はその闇に落ちないような気がします。
だから女性は、「彼に迷惑になるから自分が頑張らないと」とやってしまうと男性のやる気を削ぐのだと思います。また、男性が「この俺が特定の女のために生きるのはもったいない」と思って、力を注ぐ対象をわざわざ拡散させようとしているときにも、その男性のパワーが空回りして、結局自分のやる気を削ぎ、生きがいを感じられなくなるのではないかと思います。人間は男と女で対になっているのが本当に面白いところですね!!
負けるにしても、ロッキー・バルボアくらい感動的に負けてみろと自分に思いました。最終ラウンドまでリングの上に立っていられたら、自分がただのゴロツキではないことが証明できる・・・勝つことよりも立ち続けることに重きを置いてみろと、自分に思いました。そして、最後に「エイドリアーン!!!!!!」と叫べばいいのだと思いました。一昔前、号泣する準備はできていたという短編集が直木賞を受賞しましたが、男が主人公の場合は「エイドリアンと叫ぶ準備はできていた」になるのかもしれません。勝つことだけが価値じゃない。何度でも立ち上がることにも、勝ちに負けるとも劣らない価値があるのだと思います。
あたしゃもそう思います!!うぉああああー!!!この世界はなんでもバランスです。正負の法則とも言うそうですが、得るものが大きければ失うものも大きいし、失うものが大きければ得るものも大きい。なんでもバランスが保たれていることを知ると、得ることばかりを望んだり、失うことをただの損失だと考えるのが愚かなことに思えます。そしてわれわれにはいつだって希望があるのがわかりますね!!貧しさを楽しめると思えたり貧しさに感謝する人は豊かさを楽しんだり豊かさに感謝する機会を得るし、人を助けて失えば人から助けられて得るし、ガッツリ悲しめるひとはガッツリ嬉しいことを味わえるのだと悟ると、この世界で生きる感覚すらも変わってきます。
どんなものも常にバランスが保たれているので、失った人、悲しい人、無気力な人は、得る神、喜びの神、やる気の神が直ぐ側までやってきたということだと知っていると人生観が変わります。圭吾さんが、他者に家を解放し、得たお金をシェアし、お花を配り、思いを文章にして発してきたことで、自然と巡り巡ってまた栖を得たり、お金を無償で得たり、自由に遊ぶ時間を得ることにつながっているのだと思います。そのことを素晴らしいと思います!!!
このバランスの働いた世界にいて、われわれは宇宙とババ抜きをしているのだと思います。カードを差し出して、別のカードを引いて、それぞれ失くしたり得たりする体験を堪能して生きています。けれどもそこには宇宙の見事なバランスが働いているから、失ったぶんはなにかで必ず得られることに安心していいのだと思います。お金を失ったら、もしかしたら大切な人脈で返ってきているのかもしれないし、重要な学びで返ってきているのかも知れない。そこに目を光らせて、”無くしたからこそ得られたもの”に気がついて無くしたことに感謝すると、人生はそのステージを抜けてもっと大きなものをやりとりするステージに動くのが面白いところだと思います!!本当に、とんでもなくエキサイティングで不思議でファンタジックなところに来ちまいましたね、俺たち!!ここはまさに、魔法の世界です!!
この魔法の世界で圭吾さんと出会い、学びをもらって、こうしてやり取りできる自分のことを、非常に強運でめちゃくちゃラッキーな人だと思っています。なんか照れる表現ですが、こんなに幸せにしてくれてありがとう!!俺たち出会えてよかったですね!!読者さんにもこの文章から、この画面から、幸福の素粒子が届くように設定しましたので、早速送信したいと思います!!さあみんなでハッピーを吸い込もう!!幸福菌に感染だ!深呼吸いきますよ!!!すううううううううううーーーーーっ、はあああああーーーー!!!いいことあるぞ!!よかったね!!!お返事待ってまーす!!!
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)