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347/1096 大人になるとき

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で347日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

347日目、ドイツのホテルで朝を迎えた。

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夫は北ドイツの方まで仕事に行くため、長時間のドライブに娘を付き合わせるのも心苦しく、わたしと娘はその間、schwäbisch hallという何度も訪れている南ドイツの街に滞在することにした。
今日もここから日記風の投稿をしてみよう!

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もう何年も前に、わたしはミラノのホテルに家族皆で宿泊し、朝早く夫を仕事に見送って、まだ小さかった娘と二人でホテルの朝食を摂ったことがある。

あの日、わたしは思った。
わたしは大人になったと。

イタリアのミラノの見知らぬホテルで、宿泊するのとは別の棟にあるレストランで、つたないイタリア語と英語を駆使して我が子を連れて朝食を楽しむだなんて、それはもう大人の仲間入りだと思って良いのではないかと。

そして今回は、ドイツのホテルで我が子と二人で過ごし、街に下りて買い物を楽しみ、つたないドイツ語と英語を駆使して用事を済ませられる自分が、さらに大人になったように思えた。

そして気がついたのだ。大人はそんなことを思わないのだと。「大人になったし!!」などと思わないのが大人だ。わたしはいつまで自分が大人になれないままだという自覚を持ち続けているのだろう……

今朝はここでビュッフェを楽しんだ。

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相変わらずの曇り空……そして驚くほど寒い。現地には、もうダウンジャケットを着ている人も多い。だが写真を見てもわかるとおり、ドイツの古都の街並みはそんなことを忘れさせるほど美しい。

「地球人め、やりおるわい……」と思ってしまう。よくぞ造ったなぁ、こんな家々、石畳の通り…

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教会跡のこの短いトンネルのような通路を隔てて、schwäbisch hallの街と今回滞在しているホテルとがある。街には静かな活気があって、マーケットには人がたくさん!

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「自分にも子供みたいなところがあるんだな!」と思う人は大人なのだろうと思う。でもわたしはいつも、自分のことを「大人になったな!!」などと思っている。子供のころの、早く大人になりたいなぁ〜と思っていたのが、残ってそのままになってしまい、今も憧れとして感じられる。なぜなんだろう。

皆さんにも、なかっただろうか!
子供のころに、何かに強く「大人」らしさを感じたことが。
わたしは母がご飯を炊くことができるのを「大人だ…!」と感じていた。それから、わたしと妹を街に連れ出してくれるのを、銀行に用事があるのを、大人の証拠のように思っていた。
他にも、お化けを怖がっていないこと、お金の計算をすること、、そんな母を見るたびに、自分が大人になってもそれらのことができない気がしていた。

「大人」と言えば、昨夜こんなことがあった。

わたし達はこの街に到着して、遅くまで開いているギリシャ料理のレストランに行った。

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このレストランにはこれまでに何度も来たことがあって、いつでも美味しいこと、スタッフの対応がいつも良いことを知っている。

そしてわたしは知っているのだ、ここのイケメン男性スタッフはみな、非常に美しいのだということを。
ここは、ギリシャ人というのは本当に美しいものなんだな〜と思わせてくれる、隠れた良スポットなのだ。良スポットと言っても、イケメン好きの女性にとっての、だけれど……

今回数年ぶりに久しぶりに来てみたら、やはり男性スタッフにはセクシーなイケメンしかいなかった。わたしは嬉しくなって、夫にそれを説明した。

「ねぇ、ここのスタッフ、昔からいつ来てもイケメンしかいないの知ってた?今もそうだよ、ほら見てごらん!」

するとなんと娘に、

「ママ、バッボ(お父さん)が可哀想だからやめてw」

と、夫にわからないように笑いながら日本語で諭されたのだ。わたしはとても驚いてなんだか嬉しくて、

「可哀想かな?!なにも妬いてないよ?」

と言ったら、

「バッボはああいう人だから、言わないだけで、隠してるだけだから……」

と言われてさらに驚いた。わたしは、なぜそんな風に思ったの?とさらに聞いてみた。すると12歳になった娘はサラッと答えた。

「人前で死んでも歌ったり踊ったりできない人が、ヤキモチを妬いてると表すだなんて、それがバッボにとっていかほどのことか、想像してみて」……

娘は、わたしを置いて、
いつそんなにも大人になったのだろう。

小さな赤ちゃんだったのに。
ヨチヨチ歩きしかできなかったのに。
保育園の窓ガラスから、わたしが去るのを頼りない身体で寂しそうに見ていたのに。
わたしがミラノのホテルで一緒に朝食をとったとき、彼女はスクランブルエッグを自分で取ることができなかったのに。

ちょっと数年学校に行っただけなのに、
服と靴のサイズがすごい大きくなっただけなのに、
わたしの知らないところで、いつの間にそんなに、子供の殻から抜け出ていたのだろう……

わたしは娘のことが知りたくて、
「なんでバッボが妬いていると思ったの?」
と聞いてみた。

「ママがそういう話をするときはいつも、バッボの目にそれが現れてるから……」

……わたしは思った。
娘は大人になったのだと。

もしかしたら、わたしよりもずっと。
わたしは嬉しかった。あの赤ちゃんは、わたしに関係のないところで、なぜかすくすくと育っていた。こんな喜びって、他にあるのだろうか。

まあそれでも結局、

「あの席に案内してくれた意地悪なオバサンじゃなくて、あのカッコいいお兄さんが注文取りに来てくれないかなぁ〜あのきれいなお尻の……」

と言ってしまい、娘に

「ママ、シッ……バッボが聞いてるよ(笑)」

と言われてしまった。

夫はきっとなんともないはず、と思うのだけれど、娘の言うように内心ヤキモキしているとしたら、それはそれでわたしにとっては萌え要素だしな〜と思ったしょーもない母であった。

そしてそこになにか、
なにか重大な自分の欠損というか、

前夫と現夫をフツーに引き合わせて、
仲良くしよう💜とやってしまう自分のなにかが隠れている気がした、ドイツの夜であった。

人はいつ大人になるのでしょうね。

わたしは、誰もがある意味で最後まで子供のままなのだと思う。
そして真面目に書いてみると、互いにそんな子供の部分を抱えたまま、自分を大切にすることと、他者を尊重することとが、同時に両立すること。
そこに快い妥協や思いやりがあるとき、大人と言っても良いのではないかと思う。

そしてこれを、人間界で生きるうえでの、とても挑戦しがいのあることではないかと思うのだ。
これからまた、娘から学ぶこともたくさんありそうだ!楽しみだな!

というわけで今日は、大人になる、ということについて、思いつきをつづってみました。
人はいつまでも子供のまま、でも、親を置いてどこかで、ひとりで大人になっていく……なんだか切なくてたくましくて、嬉しくて愛しくて、どこか寂しいね…

それではまた、明日!



毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)