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1093/1096【質問回答】他者が褒められると面白くない/恋人と友人が結婚してしまった経験が忘れられない…

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1093日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。点線以下が本日の話題です

1093日目。「なんで始めてしまったんだろう」「始めてしまったから終りが来ちゃうんじゃないか」とか「2000日まで引き延ばしちゃおっかな」とか、そんな発想が湧いては消える、残3日のこのインパクトよ。

でもまあ、今後一切の発信をしてはいけないというわけではないのだから、これからものんびりいこうと考えて自分を落ち着かせております。

いやあ~「3日前ってこんな気分ですよ」と1000日にも到達していないころの自分に伝えたらなんと思うだろう。きっと3日前まで続いているということがまずなによりも嬉しいだろうけれど、でもそれを知ってしまうとつまらなくなってもしまいます。われらは未来を知らないからこそ突き進めるのですよね。先を知らないというのは幸せなことですね。

それから、サポートを送ってくださったお方へ、ひとつひとつお返事を差し上げています。まだお届けできていない方に、少しお待ちいただければ幸いです。ほんとうにどうもありがとう。

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本日はこちらの2つのご質問に回答いたしますよ。
もう、長文のものがほとんどなので、短文のみの掲載を諦めました。笑

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わたしはこれについてはもう「自分が褒める側になる」のがいちばんだと思います。

自分に自信をつけて褒められる側になろうというのももちろん良いのですが、それだとやはり今と同じように、褒められないときには不満を感じ、他の人が褒められていると、もっと頑張って自分に自信をつけなくちゃいけないと感じてしまいます。この負のループにハマったままだと、ずっと苦しいのですよね。

でも、自分が他者の良いところを見つけて褒めようと考えると、あら不思議…!そのループから抜けられるのです。得ばかりします。

わたしたちは誰かの良いところを観ようとすると、自分の良いところも見ます。反対に、誰かの悪いところ見ようとすると、自分の悪いところも見ます。良いところを伝えた相手を喜ばせることができます。相手の人にあなたへの感謝が生まれます。そして、相手も自分の良いところを見てくれます。あなたも良いことをした気持ちに満たされます。他者を肯定していると、自分への肯定感も自然と増してきてしまうのです。

はじめのうちはもしかしたら、誰かを褒めるのを嫌だと感じるかもしれません。でも、あなたはそれだと宇宙に対して「褒めたり褒められたりすること」への拒絶を放ってしまっているのです。宇宙(あなたの潜在意識)は主語を持たないので、「わたしだけが褒められたい、他の人は褒められてほしくない」と考えても通じません。

「褒めること=嫌悪感を感じること」という設定になっていると、褒められる場面が嫌悪感を感じるように体験され、自分自身が褒められて嬉しいというシーンからも遠ざけてしまいます。

逆に「褒めること=嬉しいこと」という設定になっていると、他者が褒められることも自分が褒められることも嬉しい気持ちとともに体験されます。

その設定の書き換えのためには、自分が実際に「褒めること」で「喜びを起こす」ことを目的にして行動してみるといいのですね。主語となる人、つまりそれによって喜ぶ人は誰でもOKですよ。家族でもいいです。自分でもいいです。羨ましいと思っている人でもいいし、SNSで見かけた誰かでもなにかでもいいのです。素敵だと思ったところ、感動したところ、尊敬しているところを伝えて褒めてみて。どう伝えたら、この称賛の気持ちが伝わるかな。相手はそれを伝えられてどう感じるだろうか。そんなことを感情豊かに考えて、自分が「ああ、いいな!」とグッと来たり、ピタッと来たり、納得のいくように伝えようとしてみる。これを実際にやっていってみてください。

すると、他の人が褒められるのが嫌だ、自分が褒められないのが嫌だ、という負のループから抜け出せますよ。そしてふと気がつけば、あなたが褒められるシーンで喜ぶことが増えていて、他者が褒められていることを「良かったな~」と思えています。面白いですよね。この切り替わりを楽しみに、ぜひ試してみてね。

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いやそれはムカつくし、ひどいです。わたしならばもう心の行き場がなくて、わたしがもしも同じ目に遭い、たまたまジャングルの原住民で、たまたま矢を作る技術があり、たまたまそばにヤドクガエルがいたら…という妄想を避けられないと思います。このようにわたしはまったく人格者などではないのですけれども、友人の恋人にこっそりモーションをかけて略奪してしまうというのは、非常に卑劣でショッキングな行為だと思います。だからあなたが傷ついたのも、悲しかったのも至極当然だと思いますよ…そしてぶっちゃけたら、あなたがその恋人と結ばれなくてよかったと思いました。

そして、当時あなたが友人や元恋人を問い詰めなかったことについて、後悔などしなくてよいとわたしも思います。個々人によって感じ方は違うので、どう行動すれば正解というわけではありませんが、個人的にはわたしも問い詰めないだろうと思います。なんというか、呆れて言葉が出てきません…わたしもきっとネタにして笑います。そして「彼らは似た性質なのだな。だからお似合いの二人なんだな」と考えると思います。

シチュエーションは違うのですが、わたしは中学のころによく話したり公園に遊びに行ったりしていた好きな男子がいたのですが、ある日ちょっと怖い女子グループの人たちから「彼と付き合ってんの」「近寄らないでよ」と問い詰められたことがありました。すぐにそのことを彼に話したかったのですが、彼までがなぜかわたしを避けていて、おかしいと思ったらすでに彼がその女子のうちのひとりと付き合いはじめていたとわかった、ということがありました。心の中はもう土砂降りでしたが、わたしはそのことを、そのままただ、諦めました。地球人をやっていると、ホントにいろいろありますね…

自分の感情を「認めるかどうか」ということと、相手にそれをそのまま「ぶつけるかどうか」というのは別のことですよね。あなたは当時、不快な感情を覚えたのだから、自分の気持から逃げたということではないと思いますよ。当時のあなたに、他にできることってあったのでしょうか。もしかすると、相手を問い詰めたり、喧嘩をしたりしても、ますます辛かったかもしれませんよね。もちろん今となってはそれはわからないけれど、「問い詰めなくて良かった」と考えることを選んでいいのだと、心から思いますよ。

わたしは、「カルマは出現したら終わり」というのを自然なことだと思っています。自然なことというのは、宇宙の法則のもとにあることという意味です。

どういうことかというと、この世界はバランスが保たれていて、自分が投げたものは自分に返ってくるのです。このことを、時間を”流れている”ものとして扱ってみると、わたしたちが転生しながら意識の経験のどこかで投げたものが返ってきていると考えることができます。

わたしが友人の恋人にモーションをかけてその経験への執着が生まれたら、自分がその反対に友人が自分の恋人にモーションをかけるという経験でそれを体験するということです。でもそれは、罰を目的にしているわけではなくただ返ってきただけなので、そこで終わりなのですね。

言い方を変えてみると、わたしたちが「その現象を通してバランスを取っている」ということです。それをちょうど、カルマは出現したら終わり、と考えても良いと思うのです。

わたしはなにかが起こったときに、起こっただけでそれへの関わりが終わったと考えるととても気楽でいられます。嬉しいし、救われる思いがします。

わたしたちはついつい過去のことについて、反省や後悔を充分にしなくてはならないと考えがちですよね。だから、いつまでも余計に反省や後悔を続けてしまいがちです。そうしないといけない気がしてしまうのですよね。

でも、「あの出来事のおかげであれはもう終わったんだ」「自分はもうそれを選ばなくていいんだ」「自由の身だ」「起きてくれたからもういいんだ」「うわ!じゃあ良かったじゃないか!ありがたい!」と思えてしまったとき、わたしたちがその出来事を通して投げるものは感謝だけになりますよね。するともう、本当にそのことって終わってしまうんです。(超便利)

「あのときは嫌な思いをしたけれど、現れたことで終わったなんて、助かるわ~」とありがたく思ってしまうと、自分に返ってくるのは逆に感謝です。これ以上のイイ感じって、ないと思いませんか。いつも自分が感じることを自分で自由に選べちゃうのですよね。

あなたはその過去について、もう自由の身なのです。

そして今あなたが、過去のことは放っぽってしまうことを選んで、「過去のことを気に病まなくていいらしい。なんなら忘れちゃってもいいらしい。そんな気楽なことがあるだろうか!」という感覚を手に入れることこそが、この過去の最強の使い方だと思います。そして今の喜び、楽しさ、嬉しいほうに向いていることを祝福しましょう❤

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)