Typing 16|May 4th,2022

2022年5月4日(水) 5:33am 天気:晴れ

今朝は街が起きるのが早い。
何でそれを感じるのか?
車の音
どこから聞こえる?
遠くから聞こえてるはずだけど近く感じる
でも隣くらい近いわけではない
厳密には
中央道から聞こえてくる車の音
街が静かなのと起きているのの違い
音だけじゃなく
バイブレーションが伝わってくる
バイブレーション
振動
実際に車という「もの」が動いているのもあるが
その中にいる人間も車と共に移動していて
その物体と生命体が動くことで風が起きて
それがこちらに伝わってくる
そういう感覚

街が起きる

眠らない街

とかいうもんね

これも人間じゃない「街」というものが
人間や動物といった生き物がする「眠る」という表現をされる

ここがことばの面白いところだよね

こういうことばをどんどん使っていきたい

今はちょっとずつ出てきたりとか
このことばとこのことばの組み合わせって面白いなとか
街を歩きながら考えたりしてる
昨日はさいたま新都心の街を歩いていた時にそうだったな

このテキストエディット上は生きる場所みたいになってて
世界ができてて
「ただいま」って感覚にもはやなるよ

また戻って来れたね
みたいな

言葉を打っていくと
世界が立ち上がる

タイピングをしたいだけなのだよ
何かすごいことを書きたいわけじゃない
それは忘れないように

ここにそれを書いている
全然つまらない言葉だけど
いいのよ書いて

そう

だんだんとテーマとか決めて
決めるというか
「きっかけ」だね

書いてく

言葉を生き物にしていく

赤にもいろんな赤があるよね
言葉で表現していない赤をどうやって言葉で表現するのだろうか

黒と赤が混ざる
ドロドロしてそう~ってイメージを持った

いちごの赤
いちごは赤を連想させるか

赤だと思っている

赤の多様性を言葉でどうやって表現するのか

パステルを使ってグラデーションを表現するのも難しい
けど面白い

色にそんなに多様性があることに気づいていなかった

言葉にも同じ言葉でも実は多様性があるのだよ
それにも気づいてなかった
言葉をなんとなく使っていた

そういう世界になってしまう

でもことばの世界に気づいてきたら
ガラリと変わる

ガラリと変わる
も誰かが決めた言葉

癖で書きそうになって今やめようと思ったが
とりあえずそのまま記してみてる
こういう癖みたいなものがたくさんあるのだよね

それに気づく

何かを書く
なんでもいいけど
一つの言葉を起点に展開できちゃう

君は
あなたは
彼女はわたしに抱きついた
わたしは女だけど
わたしに抱きついた彼女の香りが鼻をとおって、頭のてっぺんから通り抜けていく

そのまま書いていくのだ
ここは自由なんだよね
どんなものも自由な動きができる
自分次第かな
それに制限をかけるのもかけないのも自分次第で
言葉の世界

SNSは他人の目に自分の言葉を晒している場所でもある
どういう風にでも解釈できちゃうからね
言葉は
だから自分以外のものを否定するような言葉を書くと
その言葉から
読んだ人は自分で世界を作り上げる
もうそれは書き手には止めることができない
だから
他者を批判するような言葉をSNSで書くと問題になるのだ
それしたければやればいいけど
やりたくないならそんなことやらなくていい

テキストエディットに書くだけなら
平和だよ

ものすごく平和
ここは社会に晒してはいない場所
そうなんだよね

それを「本」だとやりやすい
この穏やかな感じをそのままパッケージングする

本にすることで
言葉の世界を
いい形で
相手に届けられる
読み手だね

デジタル書籍とかももちろんいいけど
紙の本が俺は好きだ
理屈じゃないんだよね
物体として邪魔になるかもしれないけれど
本を手に取って読むこと
その行為自体がフィーリンググッド
ルー大柴か
ルー大柴すごいな
こういう風なのはルー大柴ってイメージを確立してるから

ことばの書き方よ

手が今日は冷たい 少し寒いよね
朝晩は冷える
最近はまた

また少し街が静かになったが動いている
街は生き物として捉えられているのか
人に街は生き物ですか?って聞いたら
違いますって答える人が多そうなのにもかかわらず
「眠らない街」とか「街が目覚める」とか
表現使うよね
街が走る 街が歩く 街が泳ぐ とかあまり言わないか
街が食べるは?
街が鼻をかむは?
いきなりそんな言葉が出てきたら面白いね
ありえないと思っているような言葉を出していく
まずは
はっ とするよね 人は
考えちゃう人もいるだろうね
街が食べるってどういうこと?ってね

でもこの種類の言葉の表現は
考えて読んでしまうと訳がわからなくなる
そういう言葉ではないんだよね
車で通り過ぎるように
言葉を通り過ぎていく感じだと
感覚で理解してくる感じになる
流れていくんだ
そのまま
そういう書き方をしてるし
読み手もそうだと
流れていく
流れるんだ

流れの話にどんどん行って
さっきまで何を話していたのか
僕はわからない
いや
見に戻りに行けば思い出せるけど
今は意識的にそうしないようにしてるね
それはわかる
その練習をしてるんだと思う
別に堅苦しく思ってないよ
気楽に

気楽に

気楽

気が楽しい

気楽か

漢字はなかなかよくできているよね
短縮
圧縮ファイル
シンプル
ミニマリズム

そんな感覚

自分の感覚と調査
リサーチ

すると言葉はまた面白い

言葉 ことば
MACノ変換相変わらずおバカ

chaosな現実のスピード感よ
めっちゃ早いよね
これを記していくような感覚なんだけど

どんどん変わっていく

「夢」
寝ていて夢を見る時の
「夢」ね

それはこの行為と似てる
「夢」を起きて 自分で書いている

そういう感覚なんだよね
執筆は

それが今は楽しい

それが最初は出て来ないんだけど
起きて文字をタイピングしはじめて
しばらくすると
「夢」を自分で書くという感覚になってくる時がある

まだそれはすごくはっきりしている感覚がある
ぼやけている
または
予感がある
そんな感覚だと思う

今も深くは考えずに思いついた言葉を書いている

この行為が楽しいのだ
誰の目も気にせず

twitterは誰の目も気にしてしまってるが
できるだけ気にしないように
そのままの声を書くように
その練習と思ってやってる

ここで書くのに近い感覚で
でも晒すから
そのバランスをみながら書く感じか

twitterも言葉の世界を作り上げる練習だね

質がここの世界とはちょっと違う

普段の言葉で書いていこう

憧れではなく
自分の雰囲気が伝わるように
それがtwitter
言葉から始めることができるところがいい

写真ではなくね

言葉の世界だから自由度があるのだよ
言葉だからね
自分の言葉を書けばいい
他人がどうこうじゃない

それが楽しいじゃん

書けば全部フィクション
だよ

言葉はフィクションだと思う
どこまでいってもフィクションだと感じてる

ことばについて書いてる

わたしと花について

花 鼻 華 
ハナ

花は同じ音でも感じが多くないかもね

僕と花
お前と花
貴様と花

貴様に伝えたい俺のこの気持ちを
向井さんの言葉↑

現代
着地点はねえ~
ズ~っと飛んでる気分
変態の思想は共感できん
四季が巡り
色とりどりの人類模様
俺はいつも動揺を抑えきれ~ん
伝えたい俺のこの気持ちと
貴様に伝えたい俺のこの気持ちを

伝達できん自分に腹が立つ
生まれ育ったその環境歴史全てぶち込んで
表すことができればい~い
意味がわからん言葉で意思の疎通を図りたい

犬猫畜生と分かち合いたいのだ
貴様に伝えたい俺のこの気持ちを

ええ歌詞やな
そうでもこの詩を例えばtwitterに載せてもピント来ないだろうね

歌うことによって
そこに世界が立ち上がるのだ
みんな気づかずに詩の世界に行ける
自分でそこから世界を立ち上げるんだ

詩はそれだけ書くと
ポエマーと
現代は馬鹿にされがち
なぜか
よくわからんが

そう
だから

ことばの特徴についてだいぶわかってきたから
それを使い分けながらも書いていけるようになっていくのかな

今は少し考えて書いてたけど
また考えない書き方に戻っていこうと思う

鳥の声が遠くから聞こえる

遠くってどのくらい遠くだろう

それを言葉で表現する
言葉をたくさん使わずに表現する
そういう風にしていく

これってなんですか?って思わせるくらいがいいのかもしれない

言葉を尽くすと
もしかしたら
その言葉1個1個について
考えてしまって迷宮入りする人もいるかもしれない
たくさんの人に言葉を話して伝えるって
やっているけれど
むずかしいよね

僕はたぬきだ
僕はカラスだ
わたしはカラス
わたしは猫

猫が猫だということを理解しているのだろうか?
ひよこが猫の子供だと自分が思っているように

僕も人間じゃないかもしれない
その可能性について考えたことはあるかい?

そう

ホドロフスキー

また
ここに戻ってきた

この言葉の世界

ミシェル・レリス

6:36am

ここに戻ってきて
これをタイピングしてる

どう?

ここは

あなたに伝えたい
あなたが好きだ

きみに伝えたい
きみが好きだ

わたしはわたしは

狂った言葉に見えるかい

本だったら
狂っていないと思うでしょう

本というのは不思議な媒体だ
狂ったことを書いても
狂っていると思われない
同じ文章をSNSに書いたら
狂っていると思われる可能性が高い

不思議なもんだよ
SNSで晒されるのと
本で読まれるのは

詩もそういところがあって
SNSとかで詩を載せると
ポエマーとばかにされがち
だけど
歌で歌うとすんなり受け入れちゃうから
あら不思議

言葉の面白いところでもある
書いていて勝手にこういうことに気づいてくるところもおもしろい

世界発生装置は人の心
「心」ってアバウトに言っちゃてるけど
とりあえずメモ的な
その「心」って何を分析しちゃってるのが、ヨーガ。

この後はその作業をやるのだよ。

腹が減ったな
パンは残り一枚。

妻は多分バナナを食べるから
食べてもいいかな

こころの声
声があるのかい?
ある
という感覚がある
耳に聞こえている訳ではないけどね
自分の心の声と
自分の実際の身体の声の
違いに戸惑う
それだな
自分の声が
「こんな声してたんだ!」って録音された声を聞いて
自分の声好きじゃないって思うのはそういうことが多いよね
ある意味自分の理想の声をこころで作っているのかもしれない
そのギャップに驚いているのじゃないかな
って今書いてる

思っているのか書いているのかわからない
両者に違いがあるのか?
こうやってそのまま書いているからわからない

言葉が散歩する

言葉は走る
言葉の独り歩き
二人歩き
3人歩きはないのか??

ことば散歩

だと緩いな

散歩は緩いな

目的地決めない感じ

散歩だとね

ことば散歩

「ことば散歩」

タイトル

コラムみたいなね

「ことば散歩」 著者:MICHi -ミチ-

散歩(さんぽ、: a walk, a stroll, a turn[1]、: promenade)とは、気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くことである

wikipediaにはこう書いてた

なるほど。やはりそれだといいかもね
今自分がやっているこの執筆はまさにそんな感じだ
ほえ~
こういうのが勝手に思いついちゃうのも
この「ことば散歩」のすごいとこよ
確かに「散歩」ってそういう時あるよね
実際リアルな「歩く散歩」の方も

散歩

について
興味を持ってしまった

妻も
散歩
好きなのはそういう理由か

歩きながらサマーディ体験したって妻は言ってたもんな

言葉の世界
って

まだ慣れてないな
twitterのことばの世界

テキストエディットの言葉の世界

本の言葉の世界

とか

全部違うねんな

それは認識しながら
ことばを書いていくのは大切やな
そこは俯瞰しておこう
そのほうが読み手が世界を立ち上げるときに面白いことになりやすいからね

twitterでの書き方に慣れてくとおもろい
自分で声を作っているように
相手は勝手にミチの声を心の中で作ってくんだよね
自分の作ってほしい声を感じてもらうために
こちらは言葉を作って配置していくのかもしれないよね

ことばのデザインでもあるのかもしれないね

これは

日々みんなこういうことをやっている

本を読んでいる人が集まっている
本屋さんとか図書館てすごい場所だ

すごいを違う言葉で表現してみて

これをやっていくだけで
だいぶ変わっていくと思う

一文を違う言葉でどうやって表現するかをひたすらやっていくのだ
何か進まなければこれをやるのだ

後は人間的な動詞で
人間じゃないものを書いてく

それはファンタジーと言われるけど
ファンタジーではなくて
リアルだよ
現実
実際にそこに立ち上がってるから現実なんだよ
これは多分声に出して話すと狂人と思われるかもしれない
なぜなら話している人
身体を伴ったあなたが
あなたの声で話しているからだ
その人が自分でその声を作るのではなく耳で聞いているからだ
言葉を読んで自分の心で声を作るとき人は恐怖にならない
安心してる
逆もあるかもしれないね
人の声だと安心する人もいるかもしれないね

一つ言えるのは
同じ言葉でも表現の仕方で変化するってこと

朗読なのか
話すのか
歌うのか
何かに書いて相手に読んでももらうのか
その書く媒体も
SNSなのか
本なのか
blogなのか
などによって異なってくる

言葉自体がいろんな顔を持っているってこと

ミチが同じミチなのに
いろんな側面、表情を持っているのと同じでね

これはSNSで書かないと思う
140文字で伝わならい
やんわりと
擬人化した言葉を使うのはアリかもしれないけどね
入れすぎない

程よく
ふんわりと
現実に亀裂を入れる
chaosな現実をちょっとだけ見せるんだ

あなたが他人にいろんな表情を見せたり、他者があなたに対していろんな見方をするように、言葉も変化する

実に多様性があるのだよ

今7:04

腹減ったな
パン食べてヨガの勉強するかな

乗ってきたとこだけど
やりすぎると疲れるからほどほどに
テンション上がるとやり続けたくなるけど
次の違うことをしよう

5500字 7:05am

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