Typing 12|April 30th,2022

2022年4月30日(土) 6:26am 天気:晴れ

慌ただしい朝
4:45起床
でも、時間がない
洗濯、風呂、朝ごはん
やっとここだ
あと30分
時間はいつもより無い
急かされている
誰かにではない
わたしはわたしに急かされている
僕はわたしのことをわたしと呼ばない
僕は僕のことを僕と呼ぶ
これはこの世界 日本の世界では いわゆる 男性が使う 一人称だ
つまり自分が男性かのように話しているということ
でも実際は生物学的な身体は女性かもしれない
そういう場合世の中的にレッテルを貼られた言葉をつけられる
その人はその人でしかないのに
なぜそうなる?
言葉がシステムを作っているからだ
今これは何も考えずにタイピングしながら考えているのかもしれない
手は止まらずに動かし続ける

コーヒーを飲みたくなるから飲もうと思う

わたしは

って使うとちょっと硬いイメージを持つのは
わたし自身がわたしという言葉から何かそういうイメージを作る 世界を立ち上げているからだ

もしかしたらこの文章を女性のあなたが読んだら
わたし
という言葉を
自分ごとのように捉えることができるのかもしれない

わたし

と使う男性に関して 
何か 硬い人物のようなイメージが わたしにはあるのかもしれない
多分そうだ

爪を切りたい

辻褄の合ってない言葉
風景
場面
出会い

実はそんなふうにできている私たちの現実は
システムによって覆い隠されている
見事に覆い隠されている
たまにそれが顔を覗かせる時があって面白い
顔を覗かせてくれるのはどういう時なのだろう?
「顔を覗かせる」って言葉も誰かが作った言葉だね
聞いたことがある
癖で今使ったような気がする
特に何も考えずに出てきたけど 既にどこかで聞いたことのある言葉だ
癖だな
この
癖からの脱却の練習でもあるのだよ
このタイピングは
腹が減ってきた
また洗濯干さなくてはいけない
これは今のわたしの声
口には出していないけど 確かにある 声

という言葉で片付けてしまうけど
それは本当に 心 というのか?

心とは何か?

身体的な目には見えないものであることは確かだよ

でも確かにある

声には音がある

音がない声もある

外には音として出されないけど
確かにそこに音色がある声
それが言葉
それはタイピングして
この画面上に書かれている言葉かもしれない

誰かが身体的な聴覚で感じられる声を出した場合
このタイピングされた言葉が同じでも 世界は変わるのだ

アイス

↑とここに書いてあなたはどんなアイスを思い浮かべた?
瞬間的に

ソフトクリームかもしれないし
ジェラートかもしれない

味もおそらくこれを見た人によって全然違うと思う
形も大きさも違うと思う
どこで買ったのかも連想するかもしれない
そのくらい違う

しかも言葉を読むと気に

アイス

といま身体的な聴覚で聞こえない声で話したでしょう?

あなたは声優でもあるのだよ
というか皆声優でもある

声を作っている

読むときの声がある
それは聴覚的には表現されないかもしれない
表現しようとすることは試すことはできるけどね
多分完全には再現されないのかもしれないね
イメージを自分の聴覚的に聞こえる声で出すことはできるけどね

それがこのタイピングされた言葉や本で面白いところなんだよ

自分でその世界を立ち上げる余白があるのだよ

歌が入ってないエレクトロニックミュージックもそんな感じが作りやすいのかもしれない

目を閉じて踊っている時
音に没頭している時
踊りながら
世界を創造しているような気がするよね
その感覚と今しているタイピングの世界は似ているような感覚もある
分析はしていないけど
これを書いているのだ


が入ってきて
ゴソゴソしている
ドアを閉めた
廊下を歩く音
戸をしめる音
洗濯完了を知らせるタイマーの音

そこにはいつも変わらないような
でも変わっている日常と言われるものがある

日常とは何か?

言葉を一つあげて
問いを立てるだけでもたくさんの言葉がかけるんだね

世界が生まれるのだよ

この 言葉の世界よ

すごい場所だよ

ちょっとコーヒーを飲もう

一気に窮屈になるのが
twitter instagram note

「ミチくん」のイメージを持っちゃってる人向けに書かなきゃいけないって思ってる前提があるから書けないのだな
面白くないんだと思う

いきなり何を書いてるんだこの人は
ってなっちゃうのを恐れているわたしは

わたしとわたしは普段使わないが
これを書いてる
これは実験でもある
言葉の実験

わたしは女性にもここではなれるのだ

わたしは机かもしれないしスピーカーかもしれない
今目の前にある白い箱かもしれない

自分の身体的視覚に映るものを
言葉で描写することですら 実はとても難しい
その状況を完全には捉えることができない
だから起きていることをそのまま書いたとしても
フィクションにほぼ必ずなるのだよ
今ここで起きていることを言葉で完全には表現できないのだよ
だからそのまま 描写してみても フィクションに必ずなるから ある意味 大丈夫 面白い 
人が読んだら 全部フィクションになる 
書くこと と 読むこと
フィクションの連続 なんだよ
終わらないフィクション

ノンフィクションなんて 
むしろあり得るのかな? なんて思っている

だって言葉に書いた時点で
それを読んだ人は
それぞれ皆 
その言葉から違う世界を創り上げる
しかもどんどんその世界は移り変わっていくのだよ

それが
身体的な視覚では捉えきれないけれど
確かにここに存在している現実のもう一つの側面なのだよ

現実

に興味があって

ずっとそれをやってきているし
今もやっていて

新たにこの言葉の世界を発見した
タイピングしている

紙に書くのとほぼ同じだが
ペンや鉛筆で書く行為とも手の動かし方が若干違う

タイピングは両手を使うところも良い気がしている
書く行為の時はどちら一方の手だ
脳とも直結していると思うから
右脳と左脳のバランスにも関係しているかもしれないし
脳に関係するということは
自律神経にも関わるかもしれない
というふうに身体的にもいい面もあるかもしれない

もちろん
心? の世界では
もう一つの現実があるってことを認識していると
何か安心感みたいなものがあって
恐怖心や緊張というのが和らぐ感覚がある

和らぐとはなんだろうか?

それを言葉で表現していく

心を 表現するにはどうしたら良いのか??

こころを こころという言葉で表現するというか 読んでいるあなたにそれを 心という言葉でない言葉で 心を感じてもらえるような言葉を書きたいと今わたしは思っている

最近はそういう気持ちも湧き上がってきている

でもずっとこのタイピングをやっていると
考えずとも
自然とそういうことをやり出すタイミングがくるのが面白い

立ち止まって行う「考える」ではなくて
手を動かしながら行う「考える」というのがあるのかもしれない
これは坂口恭平も言っていた

坂口恭平とは一体何者なのだろうか?

わたしでありあなたかもしれない
他の誰かでもあるかもしれない
ただみんなにある存在だから

あ 自分もそう感じていた

なんて思うかもしれない

言葉を出していくことのマスターだね
坂口恭平

継続の力
本当にそのままを書いていると思うんだよね
坂口恭平

そう
自分もこれをやってて色々気づいてきた

そろそろ時間だ
洗濯を乾かそう

6:57 am


2022年4月30日(土)19:47

まだ言葉をタイピングしたいらしい
その欲求を感じている
だからこれを今タイピングしている

言葉
世界立ち上がる

おなじ緑でも目で見てみても多様な緑色がある
本当にその種類は多いし、光のあたり具合、それは天気とかでも
どんどん変わっていく
その時そのタイミングでそこに生えている木だということは変わりないのに
実にそれは言葉に似ている要素がある

同じ言葉

例えばこの「同じ言葉」という言葉をあなたが読んだとする

今読んだのと
明日読んだのでは

おそらく「同じ言葉」でも違う言葉を思い浮かべるんじゃないかな

そのくらい

あなたもわたしも不安定だし
だから
現実も不安定と言える

移り変わっているのは
自然
例えば天気なのか
それとも自分なのか
それを誰が決めているのか?

その境界線はどこにあるのか?

ここは自由な場所

どこにでも行ける場所

不思議でしょ?

ここに言葉がタイピングされる

Apple のMacbook proの画面に立ち上がっている
テキストエディットの白い画面

何も書いていなければ白い画面
私たちが白いと決めている色の画面

だけどそこに言葉がタイピングされていき
あなたがこれを読むと
その瞬間に新しい世界が立ち上がる

しかもそれはいつも同じじゃないんだよ
同じ言葉を読んでも
実はいつも違うんだよ

それが文字として何かに記録された言葉
今はわたしはタイピングしている

人によっては紙に書くかもしれない

タイピングのこの両手でする作業が
両手でする
ということが何か良い作用をもたらしているような気がする

まだ表面的だね
この表現は

今わたしはどんなことを書いているのだろうね
後で見返すと
どう思うかなんてわからないで今はこれを書いている

見返したりしないで書くことの
心地よさよ

見返して
誰かに見られることを想像して
手直しをすることの愚かさよ
時間を止めるんだよ

そうすると
何かが変わる

ま~

それはそれで必要な時があるのかもしれない

今はそれを考えていない

読まれることを考えていない

絵も誰かに見られることを考えていない
一瞬考えそうになるわたしがいることに驚くが
だって絵に関していったらど素人なのに
何か巨匠かのように自分の絵を評価し始める
そんなの一般的にいったらすごいうまいわけないじゃん
当たり前やで
書き始めたばかりの生物なんだから

だから
それは置いておいて

書くことを楽しんでいるだけやで
君は


というか

パステル
クレヨン
色鉛筆を使って
書くことを楽しんでいるんやで
それだけでええやん

またそこに世界が立ちあがっとるんだよ
それを見た人がどういう風に思うかなんてわからん
ただわたしは書くだけだよ
書きたいだけ書けばいいし
辞めたければやめればいい
ルールはない
結局自分でルールを決めているだけ

紙に書くことは平和だよ

紙は驚くことに書くことは裁かれない
だってフィクションだから

言葉で書いたら
どんなこともフィクションになるんだけどね
だって
身体を伴った現実について
正確に全てを言葉で表現するのは不可能だから

身体を伴った現実は
言葉
ではないからね
言葉を読んで
読んだ人は
その人それぞれの世界を立ち上げるからね
それすら同じものはない
人の数だけあるのよ

あるのよ

というと女性のイメージをするかい?

それは
そういう言葉遣いを女性ぽいとあなたが普段から思っているから

それはあなたが作っている世界なんだよ

あるのよ

と聞いて男性を思い浮かべる人もいるかもしれない

それも
その人が作り上げた世界

「人の数だけあるのよ」

という言葉の声も自分で何かしらつけているでしょ?

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