Typing 18|May 6th,2022

2022年5月6日(金)6:56am

6:00起きだとだいぶ寝た感覚があるね

ことばを書くまでのスピードがtwitterは遅い
人からどう見られるかを気にしてしまう
考えてしまっていると遅くなる
時間が過ぎていく

身体を伴っていない世界の時間と
身体を伴った世界の時間はずれがある

身体を伴っていない世界の時間の方が早い
あっという間に
身体をともなった世界のほうは取り残されていく

だから入力する言葉は常に後追いになる感覚がある
twitterはそれが強いよね
反射力
みたいな
それを鍛える練習でもある
社会に見られる言葉だから
気にして遅くなってる
その分遅くなっている

このタイピングはそのタイムラグがtwitterより少ない

今日は久しぶりに6:00起き
最近4:30起床が多かったからだいぶ寝た感じがする
やっぱ頭が働くし
身体も休まってる
やっぱ睡眠大事

昨日は寝る前はもうだいぶイライラしてたからな~

うん

睡眠は大事

ことばの世界にまた戻ってきた

ここに戻ってきたいと思う

睡眠の世界

夢の世界

ことばの世界

「無意識」と言われている世界

身体を伴ってる世界

全部「現実」なんだよね~
これ同時進行で起きちゃってる

これが混乱の原因でもあるよね
人々の

だから

話し言葉は消えていく

書いたことばは残っていく

ことばの使い方よ

定着した言葉を使うのは表現できていない

ことばの世界は身体を伴った世界とはそもそも違う世界であるから
身体を伴った世界のことを言葉で表現すること自体が無理なんだけど
その無理なことにトライしていこうというこの試みが、書くってことで、表現が生まれてくるのだよ
芸術でもあると思っている

芸術は多様性を持っている「現実」を垣間見せてくれるものである

傷を開ける

少し亀裂を入れる

そうして、一瞬違う「現実」を鑑賞者に見させる、あるいは体感させる

そういったもの全てが芸術だと思う

いや
 
芸術 という言葉すら あっているかわからない
それも誰かが決めた定義で
芸術 という言葉 ではない なにか だとわたしは思う

これを書いているわたしは
もはやミチでもない 誰か としかいえないのだ

それすらわからない

わたしは手を動かしているが
その手を動かしているが一体なんなのか 
本当は知らない
本当はわからない

だけど
誰も知らない
本当は知らない

by 七尾旅人

これは旅人が作った言葉なんだろう

だから、僕もこうやって勝手に思い出される
その人が作った言葉は刻み込まれる
どこに刻み込まれているかはわからない
わからないものを
言葉で表現しようとすると狂いそうになるからすぐに人はそれを放棄する
おかしくなりそうになるんだよね
でもそれを言葉で搾り出そうとすることで
僕は 異なる 「現実」が重なり合っていることに体感として気づいてきている
それをいち早く気づいて言葉にしている人たちは人類の歴史を見てもたくさんいる

現存する人物の中で親近感を覚えているのは坂口恭平

やっぱり、睡眠大事や

言葉の出てくる度合いが違う

頭と心が働いてる
手も動く
背中の痛みも減ってる
昨夜の頭痛の余韻はまだある

このくらいのスピード感でかけると爽快
気持ちがいい
滞りがない
言葉がどんどん出てくる
頭の左側に頭痛
いつも右側だから珍しい

こうやってどんどん言葉が出てくる
僕は日本語が浮かぶが
異なる言語を使っている人なら
異なる言語が浮かんでくるだろう
複数の言語を話す人はどうなんだろう
わからない

これからやろうとしていること
昨日浮かんだことは

その時に浮かんだことばをメモする

そのことばをテーマにその日の絵を描いていく

「枠」を決めて書いてみるのも面白い

どうせ その枠から 抜けていくことはわかっているから
枠から抜けたらそのままにして 枠に戻ってこないようにする
もちろん戻ってきてもいい
どちらでもいいんだ

note

溢れることばはこちらに書いていく

そうね

テーマを決めるんだけど

どんどん外れてく ブログを書いてもいいかも

それだったら楽しいかもしれない

「ことばの散歩 第一回 ~花とタコ~」

みたいな

これも超適当

これいいアイディア

今興奮してるよね

この興奮にしがみつくと
創造的な状態が消えていくってことも最近この
執筆を続けてきてわかったこと


自分で作ったことばは
刻み込まれて
覚えている
もちろん消えていくんだけど

言葉は面白い

写真は
今や虚構をめちゃくちゃ作れるけど
そこに何かがあった事実だけは
抑えている

それがそこで起きた事実ではない
写真もフィクションになるってことだよね
完全に色が再現されてる訳じゃないし

そもそも
身体を伴った現実をできるだけそのまま映し出そうって試み自体面白いか?

絶対に無理なことをトライしようとするにも
そこにあるそのままを再生しようとすること自体面白いか?

家に穴が空いてた
あれはproblem
蜂も鳥も入ってこれるやん
修繕費が気になってるね
修繕はしたいけど
そこが一番

はい、急に心配し始めましたね

アーサナの練習したいな
って思ってるからしようぜミチくん

これを書いてる俺からの忠告だぜ

ミチくんはお前が作ったんだ

ミチくんはどうにでもなれるんだぜ 
本当は

ミチくんという人物を演じているのはお前だ
演じるってことは変えられるってことだよ

いつだって変えられる

しれっとね

それをダメとしてるのもお前自身なんだ

これを読んだあなたはわたしを多重人格者だと思うでしょう
でもあなたも同じだよ

自分を見てみなよ

逃げないでね
みてみなよ

逃げてもいいんだよ

別に誰も怒らないから

ことばの遊び

ことば散歩

ことばwalkingですよ

散歩だからどこにいったっていいんだよ

そういう風に表現する

言葉の定義を逆手にとって
現実を表現する
読み手が作り上げることができるように

奥行きがあって多様性がある

現実
ことば
いろ

これは全部共通してる

多様性があって
奥行きがある

そうなんだよね

だから

ことばは 現実 の多様性を見せてくれる乗り物になるし
色も 現実 の多様性を見せてくれる乗り物になるし

言葉と色は
それぞれを補完もする

お互いの特徴に気づく

音楽は
詩を受け取りやすいものにしてくれる

詩は消えていくことの方が向いているのかもしれない

歌った言葉は消えていく

声に出した言葉はかんじられるけどその場で消えていく
すぐ過去になっていくのだよ

そこがいいのかもしれない

詩は
紙に記されると
特に現代では
ポエマー
という言葉で馬鹿にされがち
SNSとかで書くとね

相手が受け取れない状態だと
そういう言葉で片付けられる

でも音楽の形をとると
聞いてないようで聞いているような状態を作れる
BGM的なね

そんな風に
でもそこに 多様な現実を垣間見させる 詩がしれっと入ってるくらいが
現代向きなのかもしれない

詩も

書いてる人は書いてるだけで楽しいからいいと思うけどね

もし社会との接点をそれで持ちたいなら
音楽に紛れ込ませるといいかもしれないね

そんな風に気づいたよ
これも執筆のすごいところだ

140字の表現てまた違うな
読み手がいる訳だから
その言葉で書くとこ

こことは違う
ここは読んでもらうことを全く気にしていない

だからこんなに言葉が書ける
別にそれだけでいいじゃん
これこそ幸せでしょ

今わたしは幸せだ

書くこと=幸せ

なんだよ

「幸せ」にも多様性があるってことだよ

これもいい気づき

書くこと=幸せ

音楽を聴くこと=幸せ

しあわせにも種類があるってことだ

今わたしは書く

わたしは書いている=わたしは幸せだ

だな

わたしはタイピングしている=わたしは幸せだ

英語でいう
現在進行形の言葉の時だね

~している

その時こそ「幸せ」なんだ

幸せとは書いていることである

自分にとっては

幸せは絵を描くことである

幸せは言葉を、文章を書くことである

幸せだと感じている時
幸せではない
それは考えている

「幸せ」だと思っていることを 認識しようとしている状態が
「俺は幸せだ」と書いている時で
それは幸せではないと思う

ことばのカラクリ
言葉で迷路に入る

ミチの特徴

特徴である

特徴とはなんだ?

特徴とは、「他と比べて目立った点」と書いてある

なるほど、じゃ、違う言葉だな

ミチの性質か

「側面」↓
いろいろの性質・特色などがあるうちの一つ。ある一面。「友人の意外な側面を知る」

だって。

言葉の側面。

ミチの側面

コロコロ変わる
コロコロ変わる

これから運転だ
今日は何時に出なきゃ
今頭に浮かんだことがこれ

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