Typing 19|May 7th,2022

2022年5月7日(土)6:09am 天気:雨

今日は雨

雨と障子

~と~

雨が降る
雨が踊る
雨が食べる 
雨が泣く
雨が喜んでいる
雨が怒ってる
雨が悲しむ
雨が歌う
雨が詩を詠む
雨が抱き合う
雨と太陽のセックス

障子が剥がれている
障子が走っている
障子が叫ぶ
障子が痛がっている
障子が囁く
障子

そこの障子が言った

そんなふうな世界を描くことから始める
練習だよね

こんなふうな言葉の書き方
そろそろ
分析から移行したくなってるね
言葉の分析
だいぶわかってきたから
実際にやりたい
やることでその技術を磨いていきたい
というよりは
ただそっちをやりたいだけだね

朝5:00起き
まだ寝足りない
寝足りないと頭も働かない
言葉も思いついてこないよね

頭も働かない
頭が働く
これも人間の動作の言葉だね
ちょいちょいあるよね
こういう言葉
こういう言葉で使われていない言葉

緑が黄色と抱き合う
青色が黄色と踊っている

海と空が一緒に泳いてでいる色
意味不明なままでいい言葉
通り過ぎていく言葉
戻ってもわからない言葉

そういう言葉だね

これは売れない言葉だよ
理解しにくい人が多いから

簡単にいうと
坂口恭平の「現実宿り」や「建設現場」で使っている言葉

「ことば散歩」

ハルは幸せだ

ナツは幸せだ

ことば散歩

そこに見えた風景
昨日こんなことがあった
文章の印象を感じているところだよ今は
書いてその印象をどう感じるのか

言葉

頭がボ~っとするというが
ボ~っとするってなんだ?
抽象的だよね

『ペイン・アンド・グローリー』。ペドロ・アドロ、アドロモ、、アドロマド、、、アドロモドバル。
いつも覚えられない。。。ペドロ・アドロモドバルの映画久々観たけど、映画の中で使っている色や色の組み合わせがいつもかわいい。

だって。

caetano veloso

Cucurrucucu Paloma

聞いてしまって
ここの世界から消えていた
頭が働かないのは眠いからだね
ということが最近はわかった
眠い時はこれをやっても奥行きがない言葉が出てくることが多いかもね
まだわからないけど
そういうことにも気づいてきた
昨日との比較
そうなんですよ

ことばの世界に気づいてくる

ホドロフスキーの映画「ホロドフスキーのサイコマジック』をみて書きたくなったことを書こうとしている
今そういう言葉が
世界が立ち上がった
これを記してる

「アクト」する「演じる」ことで癒される
人が癒されることを映し出している映画
すごいよこれは
身体を動かすこと
実際にこの身体を伴った現実で身体を使った行為をすることで
目に見えない世界のことが癒やされている
トラウマとかさ
つらい思い出とかさ
無意識の世界というのかもしれないし
眠っている時の夢の世界かもしれないし
言葉で言えない世界

全部そうだけど
言葉で言えない世界の何かに働きかけているんだ
それでそちら側が癒されることによって
身体をともなった現実でも自分が変化して行動できるようになる

身体を伴った体の動きから働きかけることができるってとこが面白いと思っていて
それってヨガのアーサナでやってることもそこに繋がるんじゃないかって思ったんだよね
だからアーサナに対する見方が少し変わった
興味を持てるようになったと言えばいいかな
興味を最近失っていたんだよね
久しぶりに
面白いかも!という感覚をアーサナに対して持てるようになったかもしれない

こうやって言葉を書いている

今は言葉を書いているが

ここに出てきた話はフィクションだよ

フィクションだからね~
ことばにしている時点で全部フィクションになるんだよ~

だって
身体をともなった現実はことばではできていないから
いや
できているといえるかもしれない
現実=言葉

とある意味言える側面もあるね

現実はひとつじゃないってことだね

19日目
テキストエディットタイピングを始めてから19日続いている
継続してるね

継続=生きること

確かに

生きることは継続である

とも言えるかもしれない

言葉の解像度を上げていくこと
ぼやけることもできるよね
そうそうそう

セックスしたいというのは
本当にセックスがしたいのか
もしくは何かを根本的には癒したいのかもしれないよね
そこには複数のことが絡んでいる
一人じゃないから
他社の現実もそこでセックスをする
現実同士のセックス
人と人とのセックス=現実と現実のセックス
でもあると言えるかもしれない
セックスにどういうイメージを持つ?
タブーみたいに思うかい?
そういう空気がなぜか日本にはあるよね
みんな好きなのに
変なの
って思うよね
そうなんだよ
変なんだよ

わたしは誰に向かって書いているんだろ

あなたに向かってこれを書いているんだ

君に向かって書いているんだ
お前に向かって書いてるんだよ
わかるかい?

全然イメージが違うだろ?

この言葉に声をつけているのは君だよ
つまり君の声の一つなんだ
君は実は声をたくさん持っている
身体から出される声は一つかもしれない
そこにも声の色はあるんだけど
一般的には一つだと思われている声
それとはまた別で
心の声
と言えばわかるかい
名前は実際にはわからないが
身体として出している声じゃない声が複数あるってこと
それはあなたもだし彼も彼女もわたしもお前も僕も持っているんだよ
わかるかい?

お前に向かって話している
今タイピングしているお前に向かってこれを話している俺は一体誰なんだい?
もはやわからないよね
この手の動きをしている身体は生まれた時に親から名前が付けられてて
ミチという名前でヨガ講師をしている人間だが
それではこの言葉を話しているのは一体誰なんだろうね???

ミチだと思う?

違う生き物の感覚があるんだよね
そこが面白いところよ

言葉をタイイングしててきづいていることなんだけどこれが

狂人になるだろうね
きっと

これを開いたあなたにことばを届ける

これはわたしの声かと思うかもしれないが
本当はあなたの声なんだよ

それにだんだん気づくといいけど

言葉を見て 読んで
あなたが作っている声がある

それを聞いてみてくれるかい?

実はあるんだよ

それに気づくはず

こういうことはtwitterでは書けない
140字で切り取るとよくわからないから


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