Typing 24|May 14th,2022

2022年5月14日(土) 6:09 am 天気:雨

ねむ
睡眠足りん
1:30amに寝て5:15amに起きてるから、3時間45分の睡眠か
ねむな

お風呂の湯船浸かってもまだ目覚めん
眠いと手の動きも鈍いよね
だから
手が別個の生き物ではあるけれど
自分の「眠い」という感覚とは繋がっているということ
「眠い」と体の動きが鈍くなる
重くなる
実際重くなっているのだろうか?
わたしにはわからない

わたし

と書くと読み手は誰かわからなくなるよね
わたし
が誰か

そこが面白いところよ
言葉のね

今寝てしまいそうになりながらも
手は動かしている
雨音を聞く
体が重くなる
家から出たくなくなるのはなぜだろうか
雨の滝
雨が道路に土に落ちていく音を聞いていると
外に出たくなくなる
濡れたくないから?
それだけかな
音による効果が大きい気がする
なぜかというと
実際外に出てみると
自分が音から作り上げた世界
雨が降っている世界よりは
雨が意外と降っていないことが多いからだ

そうなのだ
自分が世界をつくりあげるのだ
音からも世界をつくりあげてる
聴覚から
耳から 肌から
音は耳からもだけど 肌からも感じられる
音は振動だからだ
急に音のこと書いてるね
これも起きていること
雨が降っていることからそこに行ってる
今手が動いてくれてる

こっち側
どっち側なのかそれはわからないが
もうひとつなのかふたつなのか
いやそれ以上か
たくさんある
ミチくん
の中か外かわからないところにいる
複数の誰かさんは
布団に入りたがっているが
それでも手は動いている
目はコンタクトのはまりがわるいのだす
ののちゃん起きたな
よかたよかた
これは手の考えというか
ノノちゃんと接しているときのミチ
もはや名前をつけたほうがいいと思うのだが
どれがどれかはわからない
フェルナンド・ペソア
急に親近感が湧いた
多重人格のキャラクターがそれぞれ詩を書いている詩集とかあってさ
わかるぞ
ペソアもこういうことやってたんだな
でもタイピングじゃなくて
鉛筆とかペンとかで
書く
という行為を通してだろ
それすごいな
スピードがずれが大きいもの
俺の場合
書くのとタイピングとでは
いつもここに書いてるけどねこれは
タイピングのほうがより
無意識

とか
そういう世界の言語をそのままこちら側に
言葉で出してくれる
手で書くと
疲れてきたりが早いのと
手の動きがついてかない分
理性が入ってきやすい
無意識

とか言われてる世界は
身体を伴った世界よりスピードが早いのと、時間軸がランダム、そして実は起きたことは残っていて
記憶みたいなものがこちら側のクラウドみたいにそのまま保存され続けてる感じ
普段いつもそれをみるわけではないけど
ほんとうにいまの「クラウド」技術は
その目に見えないものを「技術」として表現した感じ
現代のツールでね
これは面白いよね
顕在化したわけだ
顕在化という言葉があっているかわからないが

もともと
目に見えないけど
同時に存在している現実で起きていることが
こちら側の身体を伴った世界で現実化しているということ
ここの繋がりがあるんだよね
繋がっている
これが
こころとからだが繋がっているといわれる所以(ゆえん)か
かもしれんな
これは今考えないで書いているから
合っているかどうかはわからん
調べないでそのまま思い浮かんだまま
いや
思い浮かぶのとほぼ同時にタイピングしている感じ
ねむねむねむ
眠りそうになるわ
でもなんとか手が動いてくれている
脳なのかなんなのか
眠そうだ

ちょっとだけでも横になったほういいかもね
これから運転だから
今これを書いている書いている

さ、横になっとこ

今日は眠いな
雨だからかな

8:33 pm
今は夜だよ
急にタイピングしたくなってこれを書いてる
自分が昼に書いていて
これを書いていたとしてもわからないよね
実際は
そういう風にことばは書くこともできるが
今は実際に20:34
こうやって今のことを書いていても
フィクション
どうやってもフィクションになるから
日記をそのまま書いたとしても
嘘と言われることを書いたとしても
フィクション
虚構になる
どうやったって実際は言葉の世界では虚構になる
すべてが正確に描写ということはことばでは不可能なのではないか?
不可能なのに試みようとする
そうすると新しく世界がまた立ち上がってくる
夜にいきなり冴えてくる
しかし今が夜だと本当にあなたはわかるだろうか
これをかいているわたしのことはあなたはみえない
今は20:35だけど
本当に今が20:35なのかなんてわからないでしょ?
もしかしたら
昼の13:45にこの文章を書いていたとしても
あなたはわからない

だから
ということはですよ
このまま今日起きたことの日記を書いてもいいし
そこにちょっとプラスして
無意識の現実の話を書いたりしても

どう書いたとしてもフィクションになるんだったら
実際起きたことと起きてないことをミックスして書いたとしいても
根本は同じだよ

虚構
フィクション

という点においておなじなわけ。

だから言葉は真実なわけがないってこと
そもそもね
どうやったって
どちらにせよ

虚構
フィクション

になる

言葉の世界はね
でも
それが悪いということではない

むしろかなり自由で
詩的な世界
現実を
たちあげることができるんだよ

あったことを書いたとしてもいい
実名ではかかないもちろん
実名は実名があるからね
それはその人のことを書いていると相手は思ってしまう
でも
どんなにその人のこと
起きたことを書いても
その人ではないから
実名はかかないほうがいいんだ

破壊的なアクトになるんじゃなく
ポジティブなアクトに結果的になるような
書き方

これはサイコマジックも一緒で
だから
ことばの書き方もそういう風に
虚構
フィクション
を書く

言葉をかいていく
もはやこれも考えずに手が動いている
書きたいという衝動があってこれをやっているのだ

読書もいいね

でも書くことはもっとしたいなとおもう

行動をすると
なかなか難しいところもあるが
でも癒される
ただそれが破壊的にならないようなやり方でやる必要があるのだよ

ヨガのあーさなも瞑想も一緒だよ
これもある意味サイコマジックなのよね
だから
自分で自分を作っていくのに対して
おれがガイドをすることになるから
そりゃ結構強力だから
取り扱いは注意なんだよね
やはり
そうそう

ヨガの行為もある種
サイコマジックであるよね

きょうは なんの料理をつくろうか
あっというまに行がここまできてる
たった数分

書きたいことを書いている
ここにね

これめちゃ考えて書いてるな
スピードが遅いとわかるわ
手のスピードが遅い時
理性で考えている

ヘッドスタンドおめでとう
と言いたいが
ここはゴールではない
完成も未完成もない
ポーズ アーサナにはそもそもそんなのない
ヘッドスタンドも足が浮いてなくても
天井の方に上がっていなくても
僕はそれがヘッドスタンドだと思うよ
それが今のあなたのヘッドスタンド
なぜか?
あなたはそこに向かって今取り組んでいる
今はその過程にいるんだよ
わかるかい
結果 
要は足が浮いていることよりも
その過程が大事
よりも
という言葉が適切ではないかも
どちらも大事
足が天井の方に伸ばせて
逆さまになっている状態をキープできるようになっているとしたら
それはあなたがこれまで取り組んできたものがそこに体現されているのさ
それは薄っぺらくないよ
その過程を思い出してみなよ
何をどのくらいの期間してきた?
毎週土曜日にヨガクラスに参加して
時には家で
あなたはヨガの練習に取り組んできた
その都度
疲れている時もあったかもしれない
集中できない日もあったかもしれない
いくのがやだなと思った日もあったかもしれない
でも続けたのはあなたなんだ
僕じゃなくてあなた
あなたがこれを自分でできるようにしたんだよ
おれは何もやっていない
厳密には何もやっていないわけではないが
ガイドしたりやり方を教えたりはしていたわけだから
あと支えたりアジャストとかもね
でもね
やっているのは
行為をおこなっているのはあなた自身なんだ
怪我をしないようにできているのならば
あなたが普段からしっかりとそこへ意識を向けて
体を壊さないように練習に取り組んでいるから
今逆さまに安全に安定してたっているんだよ
それを忘れないで
あなた自身がそれをやったんだ
僕に感謝するより
あなたはあなた自身に感謝するといい
僕はあなたでもあるから
それ自体がわたしへの感謝にもつながるから

て、
書き疲れたのでそろそろやめる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?