Typing 17|May 5th,2022

2022年5月5日(木) 5:09am 天気:晴れ

ただいま。

テキストエディットの世界に戻ってきた。
ここの世界は何の世界なのだろう

言葉が作り上げる世界

おれが書いた言葉
それを読むあなた

同じ言葉でも作り上げる世界がそれぞれ違うし
それもお互い
いつも移り変わってる
グラグラ
安定していない

そういう世界

このテキストエディットの世界だけではなく
身体を伴っている現実でも同じだよ
実は

テキストエディットに言葉をタイピングしていると
さらにそれに気づく

ことば
ことば

ことば=世界

とも言えるかもしれないね

あなたはことばを読んで世界をつくる

ことばを聞いたとときと
よんだときで作り上げる世界が違う

聞いたときはことばが消えていく
読んでいるときはことばは紙や画面に定着しているから
戻って読むこともできるから消えていかない

消えていかないことば

読み返すことは想定していないことば

アーサナの練習したい

背中がバキバキ
手も
手のひらも前腕も固まってきている感覚あるね

いきなり使いすぎているのかもしれない
それは何となくわかる
何となくわかる

これも定型文だよね
どっかで聞いたことば
慣れの言葉
慣れの言葉でない言葉を使いたい
言葉 
ことば

意味のわからん言葉
意味 は 固定化 している

でも
ことばにもグラデーションがある

グラデーションてなんだ?

Wikipedia↓
グラデーション(gradation)とは、1つの図画の中で、・見た目・エフェクト・テクスチャなどが連続的・段階的に変化する表現のことである。

表現したいことと若干違うのかもしれない
なんて言葉で表現すればいいんだろう

言葉の。。。


言葉のなんだろう

例えば
楽しい
という言葉も
そこには
楽しいという一言では表現できない
楽しいがあったり
軽く言ってる
楽しい
があったり
する
それを言葉で比喩を使わずに表現するにはどうしたら良いのだろう?
自分で考えてみる

明らかにスマホでことばをうつ
twitterに打ってく時のスピード感は遅い
心の中の動きより遅い
どんどんどんどん過ぎ去っていくことに
ついていってない

このタイピングはスピード感がついて行きやすい
完全に
とは言わないが
タイムラグが少ない
この感覚に慣れてくると
いかに
twitterのことばを打つときにどう見られるかを考えて
手が止まっているかがわかる

手が止まることは気持ち良くない
何か疲れるしね
何かはわからないが疲労するのだ

この行為は疲労はするけど
心の詰まりがない感覚

ような

ってすぐ使いたくなるね
簡単なんだろうね
コンビニ
カップラーメンみたいな言葉なんだよ

でもさ

言葉が世界を作り上げるから
コンビニ見たいな言葉ばっかり使ってたら
そういう世界が立ち上がるよ

自分にも言葉に触れた相手にも

その意味を以前より実感してる

なんて楽しいんだ
執筆は

今はそのままを打ってくスピード感に慣らしてってる
それもわかってる
まだまだ

それをやってる

でも予感
気配
があるんだよね

これやってると

何の気配か?

う~ん、言葉の発明の仕方

どんなことを書こうか

って考える前にここに打ってる
言葉を打ってる
わたし

敢えて

わたし

という一人称

わたし
という人物になってみる

わたしはここにきた
なぜここにきたのかはわからない
わたしはワサビ
どうしてわたしがワサビだとわたしがわかるのか
他の人がわたしをワサビと呼ぶからかもしれない
わたしはどうしてワサビなのかはわからない
ワサビは辛いと言われる
わたしは辛いがどういうことかわからない
わたしは辛い?
わたしはワサビじゃないの?
わたししはワサビと辛い
ワサビは鼻にツンとくる言われる
鼻にツンとくる
ってどういうこと
どういうことかなんて考える必要がそもそもあるの?

かい?

かい?

あるのかい?

そんな言葉を君はこの世界で使うけど
身体を伴ったミチはそれを使ってるのあまり聞いたことないけど

あるのかい?って言ってるミチは一体誰?
誰だろうね
これもミチ
身体を伴ったミチが言葉で作り上げているミチ
ミチ製造機
みんなそれやってる
自分を製造してるんだよ
言葉でやってるのは実はそういうこと
自分製造機
アバター

アバターってなんだ?
アバターアヴァター (avatar) は、自分(ユーザー)の分身となるキャラクターのこと。(wikipedia)
アバター利用者であるユーザーに模した姿にされることがある一方、現実の自分と違う性別にしたり、カスタマイズした姿に合わせて性格を変えるなどして別の人間に「なりきる」など、ある種の遊びとしても機能する。無論、このような遊びやコミュニケーションの形はアバター出現以前から存在していたが、より視覚に訴えかけるアバターが出現したことから、容易になった。
基本的には感情などを直感的に相手に伝えるのに適しているが(アイコンという形でアバターの表情を変えられるサービスがついている)、従来の文字によるコミュニケーション(顔文字など)を強化する意味合いを持っている。

(語源)
サンスクリット語アヴァターラ(avataara अवतार)は、インド神話仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味。「アバター」は、その(もしくはヒンディー語形アヴタールを英語表記したavatarの)西洋風の読み方で、概念が似ていることからネットワーク用語として転用されたもの。

アバターはビジュアルありきのものとして現代では使われていることが多いのだね

語源を見ると、神や仏の化身の意味なんだね。概念が似ているからネットワーク用語として転用されているのか

したらま、アバターと言えるかもね
twitterでみんながやっていることも

ビジュアルがあると固定化されるから

それがない方が読み手が創造しやすいよね
世界を
ある意味 固定化されちゃうから 
言葉だけの世界と ビジュアルが動いて ゲームみたいなアバターの世界とは違いがあるね

それが面白いから
言葉の世界を今やってきているわけだけど

他人がその言葉に触れるとき

その触れる場所によって
同じ言葉なのに
変化する

扱い方が変わるんだな

SNSと
本の違い

日本では
表現の自由が認められている
不思議や
フィクションだから
みたいな感じで許されるのかな?
言葉で書いたら全部フィクションになるけどね
事実を書いたと言っていても
事実全部を書ききれていない
その言葉がその状況を全部示せているわけじゃない

映像だとそれができやすくなるよね
いわゆる事実みたいになって
固定化されてしまう
記録されてしまう

そこに
相手が世界を作り上げる余地があまりない
映像は
言葉だけで作られた本よりはその余地がない

言葉
ことば
言葉

手が動かない

動くからだ
その後ろの青い空
笑ういつもの顔が
今も手のひらに浮かんでる
今も君の悲しい
声がなぜか喜んで
声がなぜか鳥のように
声が今

坂口恭平の歌ね

詩は歌にするといいよね
感覚で伝わりやすいし
覚える
そこがすごいね歌は

を歌にするってのがいいね

詩を書いたら
トラックを作ろう
俺はへっぽこ電子トラック
80’s アンダーグラウンド

そうそう
へっぽこ

だんだん言葉の世界にも慣れてきているね

日記を書いてみようか

4:28 
ジュジュがフスマをガリガリする音で目覚める

眠い まだ眠い
 
アカリ

みんなが悩んでいることについて書いていこうか

ちょっと朗読しようか

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