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ふたりの「私」

そんなこんなで母は、予定より随分早く退院となりました。退院当日、「娘」を「娘」と認識しなかった母にショックを受けた私でしたが、それも入院生活の孤独からくるもので、家に戻ればきっと以前の母に戻るに違いないと信じていました。
案の定、自宅に戻り一息ついたところで、兄や、お見舞いを頂いた友人に電話をかけていました。その様子は、多少、言葉が出づらい感じはしましたが、特に奇妙なことを言うでもなく、極めて普通だったので安心しました。
歩行に関しては、まだまだ股関節が安定しておらず、歩行器を使いながら、後ろから私が支えるといった感じで、なんとか過ごしていました。
翌日、ケアマネージャーさんの訪問があり、入浴指導、今後の在宅ケア、福祉用具のことなど、いろいろと相談にのってくださいました。

当分の間、夜は、私も母のベッドの下に布団を敷き寝ることにしました。入院中もそうであったように、母はなかなか眠ることが出来ず、睡眠導入剤を服用していました。
睡眠導入剤の力を借りて、ようやく眠りについたと思っても、その眠りはとても浅く、ほんの数時間で目覚めてしまい、その後がなかなか眠れず、ウトウトしては夢を見ては目覚める、そんなことを繰り返していました。退院直後の夢は、入院中の夢が多かったように思います。「誰か来てくださーい」と、大声を出しながら起き上がってくるので、どうしたのかとたずねると、「隣の人がうるさくて眠れない」とか、「向かえ側の人が…」とか、訴えてきました。その時、母の目の前にいる私は、娘ではなく、病院のスタッフでした。
私は、それが夢であること、ここは病院ではなく自宅であること、まわりには誰もいないことなどを言って聞かせましたが、まったく聞く耳をもたず、再び眠らせることは至難の業でした。
そのため母は、昼夜逆転の生活が続き、昼間は、ウトウトしている状態でした。

そんな退院後の日常の中で、私にとって、一番の驚きであり、一番、困ったことは、母の頭の中で作られた「もうひとりの私」でした。

実は私、通常は俗にいう「通称」を使用しています。
大した原因があるわけではなく、母の知り合いの姓名判断をされる方が、今の名前より「こっち」の方が良いと言われたために、仕事上で使用しているだけであり、戸籍まで変えたわけではありません。
本来、「実千代」である名前を「みち」にしただけであり、古くからの友人にとって、「あっ、そう」と言う程度のことでした。
言ってみれば、「呼び名」みたいなものです。
通称を変えたからと言って、私の日常生活が何か変わったわけではありませんでした。

ところが、今回の入院生活の中で、母の中でおおきな変化が起きたようでした。母の脳内では、「実千代」と「みち」が別の人間になってしまいました。
最初は、何を言っているのかよくわかりませんでした。
「実千代はどこに行ったの?」と、私にむかって話しかけます。
「ここにいるでしょ?」と答えると、「違う、違う、あなたは、みちでしょ?実千代はどこ?」といった具合です。
実千代もみちも同一人物であることを伝えても、まったく聞き入れてはくれません。逆に、「その二人は姉妹なの?どっちがお姉さん?」と聞いてみると、わけのわからないことを話し出します。二人は、双子ではなく、年子だったり、1日違いで生まれたとか…。
言っていることは支離滅裂です。

父が亡くなった時に、戸籍謄本を取り寄せ、それが残っていたので、母に見せました。そこには、当たり前ですが、「みち」は存在しません。それで納得してくれるかと思ったのですが、母の返答は違いました。
「お父さんは、届け(出生届)を忘れたんだ」と、言い出す始末…。
「じゃあ、その人は、どんな人生を過ごしてきたの?」とたずねると、「わからないから悩んでいるの。何も覚えていなくて可哀そうで…。あなたたちは姉妹なんだから仲良くして欲しい」と、私に懇願してきます。

この話になると、何故か私も意固地になって、なんとか母に理解をさせようと必死になってしまい、挙句の果てに、お互い怒鳴りあいになってしまいます。
母のために、母になんとか普通に戻ってもらいたいと思い、様々なことを犠牲にして頑張っているつもりなのに、ちょっときつい言葉を発したりすると、「あの子は優しいのに…」と言います。「あの子は、食事を作ってくれたり、病院に連れて行ってくれたり、お風呂に入れてくれたり…。なのにあなたはキツイことばっかり言う」。返す言葉がありません。
どっちも私だよ…。

退院後、毎日のように、そんな言い合いを繰り返していました。
3月に入り、コロナが少し落ち着いてきた頃、他県に住む兄が、母の様子を見にやって来ました。
それまでにも、「二人の私」について、電話で兄に話していたので、さっそくその話になり、兄は、妹は一人しかいないことを母に何度も伝えていました。私は、その場にいると、また、頭に血がのぼってしまうので、キッチンで、そっと様子をうかがっていました。すると、兄が笑っているのが聞こえてきたので、どうしたのだろうと思って、ふたりのところへ行ってみたら、「どうやら、親父が浮気をして生まれた子供らしい。」と、兄が私に話してくれました。あまりにも突拍子もない話に、思わず兄も笑ってしまったのでしょう。

その後、数日間は、「もう一人の私」は、父の愛人の子ということになっていましたが、再び、母が生んだ娘に戻っていました。
何度も何度も、怒鳴りあいの喧嘩になりました。冷静になって考えてみると、そのことだけに腹を立てているわけではなく、日に日に募っていくイライラと、今後の不安が、お互いぶつかり合い、爆発していたように思います。
「そんなにその子がいいなら、彼女と暮らせばいいじゃない!」。
そう言って、夜間、母を一人残し、家を出たこともあります。車で出てみたものの、どこへ行けばよいのかわかりません。行こうと思えば、どこへでも行けるのに、やはり頭の片隅で、今、母はどう思っているだろう?とか、部屋のどこかで転んではいないだろうか?とか、考えてしまっている私がいました。

今、母が退院してから1年10ヶ月経ち、「二人の私」の登場は、ずいぶん減ってきました。でも、まったくゼロではありません。今でも時々、「もう一人の子はどこ?」と言います。「実千代もみちもひとり。同じ人だったでしょ?」と努めて淡々と話すと「ああ、そうだったね」と言うようになりました。

家を飛び出したその日、結局は、コンビニに寄り、30分ほど時間を潰し、家に戻りました。母はどこかへ電話をしようとしていました。

「あなたが帰ってこないから、お父さんに電話しようと思っていた」。

問題は簡単ではありません…。


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