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これまでと、これから

ご覧いただきありがとうございます。
同志社大学4年次在籍の木本です。

現在、OldCordを経営しながら、隙間時間にこれを書いています。経営とはいっても、社員は僕とわんこの2人体制。給与は毎日2回のカリカリさん。(我が家ではドックフードをこう呼ぶ。)

学生で起業なんてすごいな、とか言ってくれる友人が多くて、あたかも本当にすごくなったかのような錯覚を起こしそうですが、実際は毎日泥臭いことの積み重ねです。

本記事は学生が終わる前に、自身の備忘録として、また知人に見られるという少しばかりの緊張感が生み出す良文に期待しながら書くことにします。
それと大学に入って毎日決まった時間に本を読むようになり、会社ブログも書くうちに、文字を綴るのが好きになってしまいました。




春から一旦東京に出ます。
理由は単一ではないですが、20代の最も若い時期に首都東京の気風を肌で捉える経験は何にも変えられないと判断しました。

生まれてから数年を東京杉並で過ごしたとはいえ、ほとんど覚えていないため、東京はほんのり緊張です。おかんっ子なのも相まって。


「おかんも守れない奴に何が守れるんや」って昔言われましたね


別に東京だからといって、ハイカラに染まることはないと思います。自分はそういうタイプじゃないので。それなりに遊びながらも、結局はどこかの自習室を借りて何かをやってそう

年賀状で交友を続けてる友達も東京には何人かいて、久々に会えると思うと大変嬉しい。どんな大人になってることやら


会社のブログ記事、恩師も見てくださっているようなので触れておきます。

一条高校外国語学部から同志社大学に進学して本当に良かったと思います。他大学に進学した世界線を知り得ないため絶対評価の域を出ませんが。

僕は高校でサッカーを辞めるに際して、将来「間接的にスポーツに携わる」ことを目標に据えました。

高校最後の大会直前に左足首の靭帯を断裂したこともあり、大学でサッカーを続ける選択肢はありませんでした。
引退以降、スパイクを履いたのは数えられる程度です。

人に涼しい顔で「サッカーはもうやりきった」と言っていますが、そんなわけないんですよね。
正直やりたくてたまらない

今も最前線でスポーツを続けている仲間を見ると胸が熱くなるんです。

そして具体的に目標を定めることにしました。


「地元奈良にスポーツクラブのスポンサー企業を作る」


周りのサポートもあって、当初の想定より10年ほど早く実現しそうですが、初期の意気込みは今も変わらずです。

思い返すと大学入学後、会社以外にもいろいろ取り組みました。
とりあえずHSK6級を取得して、北京大学へ留学しました(留学レポート)。


北京大学の学生証。
カラオケで出すと少し驚かれる。


ただ、コロナで思うように勉強に取り組めなかったため、学部教授に直談判で交換留学制度の申込許可を請いました。

そして、清華大学への正規留学も大学特例で認められました。

北京大学と清華大学に留学した学部生なんて、聞いた感じなかなか凄みがあるかもしれません。

この交換留学は倍率が高いので、すごく対策したのを覚えています。
中国語と英語での筆記試験に加え、対面で中国語の面接。久しく喋っていなかったので、途中で英語に切り替えてもらいました。

交換留学認定証。
いつかまた。清華大学


たしか「清華大学でやりたいこと」や「ここでしか学べない学問」、「清華大学の教授論文について」などを聞かれたように記憶しています。

知るかーって感じで。

Strongly prefer to study abroad because it is a very legitimate one-year extension of my life moratorium period, sir!(人生のモラトリアム期間が極めて合法的に1年延長されるため)と答えたら受かっていました。

なんとか勝ち得た交換留学も訳あって泣く泣く辞退しまして、ここからダブルスクールスタート。これは紆余曲折ちょっと辛くてまだ書けません。
とはいえ、この予備校で本当に信頼し合える友人が出来たのも事実です。

大学一年の頃、会社を設立するにあたり、頼りにしていた友人に完全に裏切られたことがあって以降、何か真剣に取り組んでいる人が一層キラキラして見えるようになりました。

予備校はそんな頑張ってる人が沢山居る場所でした。



大学生活、勉強以外に学生らしく遊びまくった時期もありました。バンコクの某所で浴びるほど飲んで記憶を飛ばしたことも。

シンガポール、お高めのクラブ。


人生のなるべく早い段階で「そういう遊び」を経験する事で、本当にそれが好きなタイプの人間かどうかを見極める事ができるのではないかと思います。


幸か不幸か、僕はいわゆる「隠」ですので、しっぽり飲むのが好きな方でしたね。


というわけで、色々なことに取り組んできましたが、一貫して僕の夢は変わっていません。この一貫性こそが僕の最大の武器なのかもしれません。



たまにSNS経由で来る自称起業家からの「ビジネスのお誘い」みたいなのを見ると、深いため息が出ます。基本的に、ああいった類のものはマルチ商法じみているのでフル無視です。幸せなのかな

学生というだけでアレと同じ括りに入れられることほど屈辱的なものはありません。僕はこの4年間、勉学と並行して真剣に経営してきました。

本来ならば弁護士、弁理士、公認会計士に委託して作成してもらう貸借対照表、損益計算書、特許出願依頼書も、全てを僕1人で作成しました。

OldCordの損益推移


粗利益率は重要です。
主にチェコから原素材を直輸入することで極限まで原価率を抑えています。


お酒を覚えたての学生が意味すら知らない横文字を乱用して弱者を食い物にするソレと一線を画していることは一目瞭然かと思います。

ここは絶対に譲れない部分です。


とはいえ学生でも稀にすごい人がいて、勝てないなあと思った経験もあります。とある外資系投資ファンドの最終面接でお会いしたSさん(東京大学の博士課程2年)は、論文が海外の有名な雑誌に掲載されているとかなんとか。アカデミアの専門分野をビジネスの要素と噛み合えわせることで特異性を発揮されていて、同じ土俵では勝てないなと。

ありがたいことに彼とは交友が続いており、東京に行くと毎度飲みの席で色々教えてもらっています。



ちなみに、私はその最終面接で落ちました。
悔しかったですね。自信があっただけに

外資系PEファンドによくある「ジョブ試験」と呼ばれるものでした。
思い出しただけでも吐き気を催すようなジョブを、私大文系である私が理系修士博士に混ざってこなす訳です。

3ヶ月にもわたる格闘の末、我ながらまあまあの出来でアウトプットできたように思ったのですが、結果は振るわず。
いまはもう立ち直りましたが、当時は辛かったです。

負けたことがある、というのがいつか大きな財産になる。

 スラムダンク山王高校 堂本監督


他にも、学生のうちに自身の会社をM&Aにてexit、次なる事業経営に邁進している方も知っています。

思うに、そいうい人たちに共通しているのは「集中力はモチベーションに比例して、モチベーションは勝率に比例する」というのを、よく理解していることではないでしょうか。
これをよくわかっていればだらだらYouTubeやら見て時間を浪費することはないんでしょうね
僕はアフリカで動物達が闘う動画が好きです。



最後に会社のことを少し。

この小さなパーツ、世界のどこを探しても、僕しか設計していません。
その為、世界各地から問い合わせが来ます。

小さいものほど高精度かつ高難易度。価格は跳ね上がります。これは1/100での図面設計です。
詳しくは会社ブログにて。


中には、何倍も大きくて立派な会社から、「図面を買いたい」とメールが来ることもあります。
これまで血眼で描いてきた3D図面たちはまさに会社の心臓なので企業価値そのものです。 
特許図面を売却するのは魂を売るのと同じだと思うし、今後もそれは選択肢にない。

小さな個人メーカーが生き残る唯一の術である技術を、そう容易く外部に売るほど愚かではありません。

お金よりもっともっと大切なものがあります。友人や家族。

僕にとってその一つが3D図面です。

図面こそが僕が僕であることの証明になります。

久しぶりに会った友達に笑われながら「なんかやってんなあ」と言われるのはもう慣れたけど、法人から言われると創業者の矜持が許さない。

京都にて。大学の授業後、商談の様子。


会社設立当初は19歳だったので、年下だと分かるや否や相槌が「うんうん」に変わる取引先もありました。

最近は海外から少し変な英語でメールが届くことがあります。たまに親切心で日本語に翻訳してからメールを送ってくださる方もいますが、内容が分からずそれはそれで困ったりもします。

フランスからの問い合わせ。ヨーロッパへの国際便となると関税や通関手数料など仕事が増える


両親は事業内容についていくら説明してもあまり理解していない様子です。それでも楽しそうに会社のことを聞いてきます。


2023年正月、実家にて。





あえて時系列バラバラで書きました。
そのほうが本音で書けるので。


友達は多けりゃ多いほどいいとは限りませんが、帰れる場所は多い方がいいなあ、なんて。

ご無沙汰の人たちにお会いする機会が最近あり、改めてそう思います。



そしてその最たるものが家族なんですよね多分。

思い返せば、兄貴と弟には刺激をもらってばかりでした。
外交官としてブラジル大使館で働く兄貴に、医者の門を叩く弟。

自然と身が引き締まる思いです。
これまでも、これからも。

僕はというと、お魚と遊んでるわけですから

とはいえ、この分野(3DCADモデリングによるレベルワインダー及びライトスプールの開発)では世界の誰にも負けない自信があります。

てか絶対に負けません

それぞれ、三者三様です。

2012年、舞浜。



わんこを忘れていました!よんしゃよんよう!

ずっと寝てる




詰まるところ、春から東京ですのでお声がけしてくれると嬉しいです。

余った肉じゃがとか、喜んで貰いに行きます。

ブラジルや北海道、東北、福岡にも行く予定です。


では。都会に揉まれますぜ。

逆に揉み返してやろうか!ぷにぷに!!





しょうもない長文に最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。


実家の自室。ここでOldCordを創業。



2023.9追記

京都にて。
スポンサーを務める「ストスク(代表:大津、三河)」の選手達と
がんばれー!


OldCord






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