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私がTEDxに登壇して得たもの

24歳のとき、東京の表参道で開催されたTEDxに、スピーカーとして登壇した。

オファーが来た当時はちょうどイタリア・ローマでのTV出演が控えており、海外渡航の準備と並行してTEDxの壇上で何を話すかを練っていたのを覚えている。

こちらが、実際のTEDxの映像だ。
主に日本人に向けたメッセージだったのでこのときは日本語で登壇したが、英語字幕付きで今も全世界に向けて公開されている。

そもそもなぜTEDxのオファーが来たかという話だが、自分はニュージーランドで高校・専門学校時代を過ごした後、日本の大学に一時期籍を置いていたのがきっかけだ。

帰国後に青山学院大学を受験し無事に合格して入学したものの、1年次の途中でショービジネスの道に進み、そのままプロパフォーマーという形で社会人になって今に至る。

そのため、青山学院大学はほんの一瞬在籍していただけで、卒業すらしていなかった。

その青山学院大学から突然電話が掛かってきたものだから、何か大事なお金を払い忘れたか、もしくは休学中なのに学生証を見せてラーメンに味玉を追加したのがバレたのか、若干ヒヤヒヤした。

結果的にそれはTEDxのオファーの電話だったのだ。

卒業はおろか進級すらしてない自分で本当にいいのかと3回くらい確認させていただいたが、その連絡がきっかけで登壇することになった。

そもそもTEDというものは

Technology
Entertainment
Design


の頭文字であり、自分はまさにEntertainmentにふさわしいという理由だった。
エンターテインメントに人生を賭けて向き合っている自分にとって、本当に光栄なオファーだった。

スピーチの具体的な内容は動画を確認していただけたらと思うのだが、ここでは自分がTEDxに出たことで得たものを書き綴ることにする。

まず何よりも、一つ親孝行ができた。
会場には一般の来場者以外にもスピーカー側で1人招待ができるのだが、そこに自分は父親を招待した。

50年以上高校教師として教育に携わってきたにも関わらず、自分の自由奔放なキャリアを母と共にすべて認めて支えてくれた恩人だ。

この記事では自分の闘病生活について綴っているが、両親がそばで支えてくれていなかったら自分は確実に小学生にして命を絶ってしまっていたと思う。
両親には感謝してもし切れない。

そんな父親に自分が成長した姿を、ショーとはまた違った形で見せることができた、そんな機会となった。

帰りの電車で、父が自慢の息子だと沢山褒めてくれたのを今でも覚えている。とても嬉しかった。

もう一つ、自分がTEDxの登壇で得たものは「社会的信用」だ。

自分にとってTEDxへの登壇は、1人の人間として普段のショーとはまた違った側面や自分の思考を大きく発信する絶好の機会だと捉えていた。

もちろんその通りではあったのだが、実際に現実に起きたことはもっと規模が大きかった。

TEDxに登壇したことがきっかけで、普段の取引先の方はもちろん、初対面の教育関係者、会社経営者クラスの方々から一瞬で信用してもらえるようになり、格段に仕事がしやすくなった。

もちろんコロナ禍の数年間、ショーの仕事はほぼ全滅してしまいショービジネス業界は絶望的だった。

そんな中、自分はTEDx登壇の実績が信用に繋がり、クリエイティブ系の専門学校で担任を持てることになった。
ショービジネスが回復するまでの間、教育の現場にエンターテイナーとして第一線で携わることができた。

何の因果か、まさか自分も父と同じように「先生」と呼ばれる日が来るとは思いもしなかった。

あの17分間のTEDxの登壇が自分の人生にもたらした恩恵は数え切れない。
今でも「TEDxを観ました」と話しかけて下さる方が後を絶たず、本当に自分にとって大きな財産になっている。

人生何が起きるか分からない。

ただ一つ確信していることは、いつか来る大きなチャンスのために、常に自分の信念を持っておくことが大切だということだ。

どんな姿になっても死ぬまでエンターテイナーでいようと自分は心に決めて生きている。

24歳でTEDxの舞台に立てた自分を誇りに思いながら、これからも精進していこうと考えている。


今日の一枚は、台湾・臺南市にある不思議なカレー屋さん「Mirrorld」だ。

まるでミラーハウスのような鏡の錯視に満ちた店内で美味しいカレーが楽しめる。

極め付けは、なんと店主がプロマジシャンでカレーを食べ終わると目の前でマジックを演じてくれる。

まさに異世界のような楽しく美味しいカレー屋さん、ぜひ一度訪れてみてほしい。

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