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[英詩]聴き手に終わりを分からせる方法(ボブ・ディランの場合)

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

耳で聞く詩や歌われる詩と、目で読む詩の違いのひとつに、終わりが分かるかどうかの問題があります。頁の上の詩は目で見て終わりがすぐに分かります。聞く詩はいつ終わるか分かりません。

終わりを聴き手に知らせる方法はあるのでしょうか。

今回はこの問題をあらためて考えてみます。

シャン・ノース歌唱(アイルランド語無伴奏歌唱)の場合はイントネーションを平準化することで分かります(歌の抑揚から日常語の平板な調子に戻す)。

ソネット詩型だとあらかじめ知らされていれば終わりは容易に分かります(シェークスピア型のソネットなら最後の2行が押韻し対句となる)。

しかし、詩型が不明の定型詩の場合は?

言うまでもありませんが、自由詩の場合、終わりはおろか、連も行も聞いては全く分かりません。

今回の考察はボブ・ディランの韻の問題の考察の続きです。

※「英詩が読めるようになるマガジン」の副配信です。コメント等がありましたら、「[英詩]コメント用ノート(201702)」へどうぞ。

この定期購読マガジンは月に本配信を3回配信します。そのほかに副配信を随時配信することがあります。本配信はだいたい〈英詩の基礎知識〉〈英語で書かれた詩〉〈歌われる英詩〉の三つで構成します。2016年11月から主要な内容をボブ・ディランとシェーマス・ヒーニでやっています。英語で書く詩人として最新のノーベル文学賞詩人たちです。

目次
押韻形式による方法
特殊な語を使う方法(附・押韻辞典のこと)
円環的な方法

***

押韻形式による方法

韻をふむ詩の場合、連ごとの押韻形式(rhyme scheme)がある。

たとえば、バラッド連だと押韻形式は abcb になる。

“Arise, arise,” he cried so loud
In a voice without restraint
“Come out, ye gifted kings and queens
And hear my sad complaint
('I Dreamed I Saw St. Augustine')

ここでは restraint / complaint の韻だ。こういう押韻形式が最後の連だけ突然変われば、聴いている方は気づく。それまでのパタンと違うから。

その方法を使っているのが 'Just like Tom Thumb’s Blues' だ。最終連に至るまで、ずっと偶数行(2, 4, 6, 8行目)で脚韻をふんできたのが、最終連だけ、すべての行で脚韻をふんでいる。しかも、最終連の前に間奏が入り、気分が変わる。その最終連はこうなる。

I started out on burgundy
But soon hit the harder stuff
Everybody said they’d stand behind me
When the game got rough
But the joke was on me
There was nobody even there to call my bluff
I’m going back to New York City
I do believe I’ve had enough

意味的にも最終行が I do believe I’ve had enough「もう十分だと思う」となっているので、終止感がある。


特殊な語を使う方法

'Talkin’ New York' では最終行が特異な終わり方をしている。これを聴けば、分かるひとには終わりと分かる可能性がある。最終連はこうなっている。

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