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[英詩]英詩史とヨーロッパ

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

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コメント、質問等があれば「[英詩]コメント用ノート(201606)」にお書きください。

英国のEU離脱決定で英詩とヨーロッパとの関わりの歴史を想起した。少しそれを。

「英詩の父」といわれるチョーサーの時代(14世紀)、英国はヨーロッパの一部という意識が強かった(Geoffrey Chaucer, 1340?-1400)。

[Geoffrey Chaucer; photo source]

ルネサンス期になりイタリアから輸入したソネット詩形をイギリス流に改変してからヴィクトリア朝までは英国は我が道をゆく、だった(16世紀後半〜19世紀)。

20世紀にはいりアメリカの世紀となってからは英詩は世界の詩のなかで影がうすかった(英語で書かれた詩ではアイルランドとアメリカが目立った)。

ECへの加盟後EUからの離脱を決めるまで40数年、形はヨーロッパの一部だった。その間、英詩は相変わらず影がうすい。

今回EUから離脱を決めたことで英詩は存在感を増すのか。

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チョーサー以降の英詩の歴史を振返ると、(1)チョーサーの中世からルネサンス期の200年、(2)EC加盟からEU離脱までの40年、の2つの時期を除けば、イギリスはヨーロッパの一部であったことなどないように思える。

しかし、ヨーロッパとの関係は常に意識にあっただろう。

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英語の語彙のなかにヨーロッパの占める部分は大きい。英語語彙の二大要素のうち半分はラテン〜フランス系の語彙だ。それが十全に生かされたのがチョーサーの詩で、まるでフランス語のような発音が英詩の韻律の中に入り込んでいた。

(ちなみにもう一方の要素はアングロサクソン〜ゲルマン系の語彙で、これは短い無骨な語彙に多い。端的な例をあげると、「山」を表すのにフランス系だと mountain, アングロサクソン系だと hill という。)

書いていて気づいたがイギリスが意識する(高級な)ヨーロッパとはまず第一にフランスだろう。Norman Conquest (1066年、ノルマン人によるイングランド征服)でアングロ・ノルマンに牛耳られていた期間もあったというのに(300年間、上流階級はフランス語を話していたし、中には英語を話せない者もあった)。

それに対しヴァイキングを始めとする北欧系や、アングロサクソン系のものはフランスのお上品な流れとは違い、どちらかというとイギリスには野蛮な身内のように感じられているのだろう。(700-1100年頃、古期英語 [Anglo-Saxon] が話されていた。)

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チョーサーの『カンタベリー物語』の序の部分を少し引用してみる。

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