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南チロルの帰属。あるいはメラーノの夕陽

懐かしい場所に関するコラムを読んだ。坂本鉄男の「イタリア便り」(産経新聞、2017年3月26日付)である。

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もしも、東京で「北方領土は日本領でない」と書いたビラを貼ったら… 一旦領土失うと復帰は困難 割譲された南チロルの教訓に学ぶべき

もしも、東京のど真ん中で「北方領土は日本領でない」と書いたビラを貼ったら、人々から「親ロシア派の外国人か」と思われるに違いない。ところが、イタリアでは、ローマ市の真ん中で赤・白・赤のオーストリア国旗の上に「南チロルはイタリア領ではない」と印刷したビラを貼ろうとした「イタリア人」の一群がいた。彼らの行為は警察当局に止められたが、その後、彼らが訴えを起こしたローマ行政裁判所は、「ビラの内容は国を著しく侮辱するものでなく、イタリア憲法にも抵触しない」と貼付許可の判断を下した。

 第一次大戦で敗戦国となったオーストリアは、サン・ジェルマン条約により、戦勝国イタリアにアルプス山脈の南北に広がるチロル地方の南側を含むアルト・アディジェ地方その他を割譲した。だが、もともとオーストリア住民であった南チロルの住民の一部は、オーストリア復帰を狙って武装テロを含むいろいろな行動をとってきた。今回の「南チロルはイタリアではない」とのビラを貼ったのもその運動の一つである。

 イタリア政府もこうした住民の懐柔策として、ドイツ語も公用語とするなど特権を与えてきたが、100年近くを経た今もオーストリア復帰運動は絶えない。一旦失った領土の復帰がいかに難しいかを学ぶ教訓でもある。(坂本鉄男)

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かつてこの地方に属するメラーノで勉強したことがある。カフカの『城』にあたる城に泊まり込んで米詩人エズラ・パウンドの集中セミナーを受けたのだ。それは米ニューオーリンズ大学の主催だった。パウンドの娘さんがその城に暮らしていたのだ。メラーノの風景、食べ物、人々のことがなつかしく思い出される。山の斜面で干し草狩りをしたこともある。そのメンバーの中で私はパウンドの詩に出てくるギリシア語を読む係だった(指導教授は読めなかった)。所望されてプロヴァンス語の歌もうたった(誰もプロヴァンス語は解さなかったけれど、二度リクエストされた)。

上の記事にあるとおり、ほんとうにドイツ的なイタリアだった。確か、ドイツ語が普通に使われていたと思う。

山の端にかかる夕陽は原風景として、その後、何年も消えなかった。

その後、別の機会に同地方の Cortina d'Ampezzo (かつて冬の五輪が開かれたことがある)の修道院も訪れたことがある。陸の孤島のような場所だけど、ここが特別な地方であることは、訪問者に過ぎない者にもよく理解できた。

#EzraPound #Merano #AltoAdige

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