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『しゃべるピアノ』

「このピアノはここに置いていく」と引越しの準備をしながら女は言った。「あらま」と母親。このピアノはしゃべるピアノ。女がまだ少女だったころ、誕生日に買ってもらったもの。

ピアノの声は、少女にしか聞こえなかった。少女にとってこのピアノは、師匠であり親友。彼はピアノのいろはを少女に教えた。少女の演奏をいつも聴いてくれた。

少女は天才ピアニストと持て囃された。賞もたくさんとった。人生すべてが順調だった。

しかし、彼女の中学卒業と同時に、ピアノはしゃべるのをやめた。突然、何の前触れもなく。少女は泣き叫んだ。呆然とした。絶望した。「彼がいなきゃピアノをやる意味がない」。本気でそう思った。

「じゃあいってくるね」

「はい。ちゃんと連絡しなさいよ」

時は流れ現在、彼女はまだピアノを弾いている。

今の女に、あのピアノはもういらない。だって、女の奏でる音楽の中に、彼はたしかに存在するから。ピアノをやっている限り、彼は一番そばにいるから。

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