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この手のぬくもりが、どうか消えませんように。

あぁ、この手の温もりが消える日がどうか1日でも遅く、できればきませんように。
そんな日が来なくても済むのであれば、どうか来ないでください。
どうか1日でもこの温もりを、愛を感じながら過ごすことができますように。

金婚式。
私には全く馴染みのない言葉だった。

結婚50周年を迎えるその年のお祝いを「金婚式」というらしい。
銀婚式は25年だから、さらにそこから25年。

半世紀を人生のパートナーと連れ添って迎えるこの50年目というのはどのような気持ちなのだろうか。

4年前、2018年。
私の母方の祖父母は結婚50周年目を迎えた。
それから4年。受験やコロナなどいろいろな事情が重なり、4年越しとなってしまったが2022年6月19日、祖父母の金婚式を開催することができた。

祖父母は私が世界で一番憧れているカップルだ。
これは私が幼い頃から、今まで。ずっと変わらず。

高校の時に出逢い、付き合い、結婚をし、その後半世紀以上に渡って連れ添っていること。
(大学で上京した祖父を追いかけて東京の大学を受験して上京した祖母の話も、携帯がない時代いつ帰ってくるかわからない祖父を最寄りで数時間待って祖父と会ったという話も大好きだ(そして夕方に会えた祖母、祖父が当時住んでいた寮の夕食とんかつに負けるというオチも好き)。)

これももちろんロマンティックで憧れる理由の一つではあるが、一番の理由はその仲の良さにある。

祖父母は本当に仲がいい。
2人の軽快なやりとりも大好きだし、たまに祖母が惚気るのも可愛い。それを聞いている祖父が静かに横で微笑んでいるのも、良い。私が好きな光景だ。
孫の私まで微笑んでしまう。
お互いのことをいつまでも名前で呼び合っているのも素敵。(結構子供がいたり孫がいたりすると「お父さん」「お母さん」みたいな呼び方になってしまうじゃない?これはあくまでイメージだけれど)

長年連れ添っているパートナー/夫婦としての安定感はもちろんのこと、いつまで経ってもカップルに見えるのだ。

プレゼントしたアルバムを仲良く見つめる祖父母


祖父母の子供である私の母は家でも明るくて我が家のムードメーカだ。
そんな母が大好きだし、祖父母や母の兄弟たちが集い会話をしているのを見ていると、いかに明るく愛溢れる家庭を祖父母が築いてきたのかが良くわかる。
初孫だった私は、祖父母からの惜しみない愛を贅沢にもらいながら育ってきた。
(念のため補足しておくと他の孫たちは愛されていないと
いうことではない、私が2年ほどだけ先に生まれたので独占できただけ、というラッキー話である。)
本当に、なんと運のいいことだろうか。常々そう思う。

そんな大好きな祖父母の結婚50周年を祝う「金婚式」。大変めでたいことだ。
その年月の長さも凄いことだと思う。

ただ私にとっては、今も祖父母が健在で4年遅れてしまったにせよ親戚一同で集まり、大好きな祖父母の「金婚式」のお祝いする。
これは毎年誕生日をお祝いするくらい当たり前にくるお祝い事の感覚だった。
生きてたら50周年も迎えられちゃうんだね、じゃあ次は60周年だね!
本当にそんな感覚。今日の金婚式の締めになるまでは。

祖父母にとってはそうではなかったらしい。
私はまだ20数年しか生きたことがないので、孫もいる結婚50周年を迎えた人の気持ちを想像しろ、理解しろというのは正直難しい。
だが、祖父母にとってこの50周年目を、しかも4年遅れにも関わらず、誰1人欠けることなく健康に、集うことができたのは本当に感謝すべき奇跡にさえ思えるとのことだった。

恥ずかしながら、私は今の今まで知らなかったが、祖父母は今年のはじめ2人同時期のタイミングで病気を患っていたらしい。
乳がんの手術経験を持つ祖母は、咳が止まらない状態から乳がんの処方時に受けていた放射線の影響で肺癌でも患ったのではないかと、診察も慄きながら訪れたらしい。
結果、癌ではなく祖父母共に喘息ということで、薬の服用は必要にしても命に関わるような病気でなかったから良かったものの、一体どれだけ怖かったことであろうか。
私も腫瘍があると宣告を医者から受けたことがある。
その時の絶望は凄まじい物だったから、祖母が抱えていた恐ろしさは計り知れないと思う。

2人で薬を服用しながら、重い病気でもなかったということもあり最近は気分的にも元気に過ごしているとのことだった。
その一方、やはりここ数年で体が弱ってきていることを体感せずにはいられないと。
6年後は結婚60周年だが、その時2人元気に健康で、今日のようにみんなと過ごせる自信が正直ないと。
祖父は淡々とそう語り、だからこそ今日のような日は本当に宝物だと。そう言っていた。

あまりにも私が思い描いている数年後と
祖父母の思い描く数年後の重さが違いすぎて怖くなった。

もちろん頭の中では、当たり前ではないことだって、祖父母がいつまでも今までのように隣に居続けてくれることだって叶わないのはわかっているけれど、
やはりこの祖父母が当たり前にいる世界が日常にあまりにも溶け込みすぎて居てその尊さを感じることは少なかった。

今、私は20代前半で、やりたいことがたくさんある。
留学だってしたいし、世界をフラフラと旅したいし、仲間に入れて欲しい会社だってあるし、ホテルやゲストハウスみたいな空間づくりや場づくりもしてみたい。そう考えると27−28くらいに結婚できればいいなとは言いつつも20代はあまりにも短くて、家族がいる未来は少ししか思い描けていない。
(両立させられているのが一番の理想だからその想像をしようとはいつも思うが。)

でも、今日の祖父母をみていて、
私にも旦那さんがいて子どもがいるその日が来るのであれば、旦那さんや子供にはこの素敵な祖父母を知っていてほしいし、祖父母にも私の大切な人を知っていてほしい。

次の6年後、ダイヤモンド婚では今日の金婚式よりも人数が増えより賑やかな状態で祖父母をお祝いできたらいいのに。心からそう思った。

帰り際、普段私の故郷である三重に住んでいる祖母が「またしばらく会えなくなるから手を握らせて」と。
今までの私だったら、何をそんな大袈裟な、と。
いつでも手ぐらい繋いであげられるよ、とそう思ったかもしれない。
でも今日の祖父母からの話を聞いていて、1回1回の重さを感じた途端に、今この繋いでくれている手の温もりを感じることができなくなる日がそう遠くない間に来てしまうのかもしれない。

そんな日が永遠に来なければいいのに。

どうか、
どうかお願いだから、
1日でも長く、元気に2人で長生きしてくださいと。
そして
私や、私の両親や孫たちの成長を見守り
一緒に過ごしてくださいと、

そう願わずにはいられませんでした。

おじいちゃん、おばあちゃん。
どうか元気に、健康で、1日でも長生きしてください。

結婚、50周年(厳密には今年は54周年だね)
本当におめでとう♡

可愛い祖母のピース。

初孫より。

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