最高はタイでもいいのかも

「○○って最高!」という表現に疑問をもっている。
もやもやしている。
それを使う人はどんなことを考えているのだろうと思ったことが何度もある。
疑問をもっているから、喉元まで出た「最高」をぐっと腹に抑えたことも何度もある。
もちろん、○○に今最も価値を感じていますというようなことで使っているのだとわかってはいる。
「○○に今最も価値を感じています」どころではなく、ただ言葉にできない感情を表してもいると思う。
そういう言葉にできない感情を表しているという意味では「エモい」と似ているかも。

エモいは感情を貧しくしていると思う。
美しいものを見たとき、感情が動いたとき、それにはまる言葉を探すのではなく、なんでも一緒くたに「エモい」ということで満足してはいけないでしょ、貧しいでしょ。
自分の語彙力は乏しくて語彙力をたくさん備えている人が本当にうらやましいけど、撮った写真を「エモい」という感想を伝えられた時はもっと別の表現してよ…と思わずにはいられなかった(エモいで終わるほどの貧しい写真であったかはおいておいて)。
安易に「最高」を使う人は「エモい」も連発していそうだ。
そういう人はあまり信用できない。
と、今書いていて、小学生の読書感想文が全然かけなかったことを思い出した。
いつも「○○(作品名)はいいと思いました」と書いていて、親からあんた感想書くの苦手ね、と言われていた。
少し頑張って、「○○(作品名)はこことここがこんな感じで、いいと思いました。」といいと感じた表現を探して提出していた記憶がある。
作品を表現する言葉を「いい」しか知らなかったことにコンプレックスがあるから、今「最高」や「エモい」にもやもやを感じているのかもしれない。

「最高」という言葉は、何かとの比較で、つまり相対的に最も優れているものに使う言葉だと思っていた。
ただ、もし、雄大な自然を見て「最高」と言っている人が、今まで見た風景の中でこれとこれもよかったけど比較して相対的に今見ているものが一番いいな、なんて冷静に判断していた方が気味悪く感じる。
そしたら、「最高」という言葉の前に省略されているのは「(相対的に)」ではなく「(絶対的に)」なのか。
なにとも比較せず、これこそがただただ最高なのだ、とそういうニュアンスだろうか、そっちの方が近そう。
雄大な自然を見たり、とても楽しい時間を過ごしたりするとき、なにとも比較せずただ今こそが「最高」と思えているならそれはすごくうらやましい。
そうか「最高」にもやもやがあったのは、2番目、3番目があるんでしょ、とっさにランキングをつけているのねと暗に思っていたからかもしれない。

あ、それでいうと、海外の話の翻訳で「○○は最高なものの一つだよ」ってよく聞かない?
サッカー選手のNeymarが「○○(国名)は最高な国の一つだよ」って100以上の国で言っているみたいなこと聞いたあれ。
リップサービス的なあれ。
あれを思い出して、「最高」ってタイでもいいんだなと思った。

「最高」を感じているときは相対でなく、絶対で生まれているのだろう。
ただ、「最高」を相対の文脈で考えてしまうなら、Neymarを思いだそう。
現状維持は衰退しているって最近よく聞くようになった。
でも最高は毎回更新しなくてもみんなタイでもよさそうよね。
今まで行ったいろんな場所も、一緒に過ごしたいろんな人との時間も「最高」といえたらいいな。
みんなタイでみんないい。

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