カメラで撮っていいのか問題

素晴らしいものを見たときにカメラをかまえる。とても自然な行為だと思う。
考える前から手が動いている反射速度から、もう本能に組み込まれたものなのかと思うくらいだ。
ただ、バッグからカメラを出してシャッターを切る直前くらいに、このまま写真を撮っていいのだろうか、と考えてしまう時がある。
例えばラーメン屋、まず店内で写真を撮ることをお店が了承しているのか、シャッター音によって隣の人の気分を害さないか、ラーメン写真撮るの反対派はこういうときに「麺が伸びるから早く食べろよ」とか思っているのだろうか、等もろもろ考えてしまい、そのままカメラをバッグに戻す、その間に麺は伸びてしまって本末転倒、なんてことがある。

私と一緒にいるときに、写真を撮っていいのかわからなかった、ということを何度か言われたことがある。その時々に、なんでもカメラで撮るの反対派かと思われて、窮屈な思いをさせているなら嫌だなと思った。いっそ、「私といるときはいつ写真を撮っても大丈夫です」と書かれたTシャツを着てやろうかなと考えてみたが、そういう逆張りの突飛なことを言うから、困らせてしまうのだと猛省した。

このカメラで撮っていいのか問題は街中や飲食店だけでなく、ライブ会場でも発生する。写真撮影禁止ではない会場でカメラをかまえるかどうか、あなたならどうするだろうか。
私は撮らない派で、見返すにしてもスマホの画質と音質が見返せるほどのものではないからだとか、手が邪魔になって後ろの人が見えにくくなるからだとか、音楽に集中できなくなるからだとか、まぁ適当な理由もあるが、みんながみんな保存しようとしやがって、ライブは一度きりの生ものだろ!という反骨精神からというのか一番大きい。
反骨精神で、というのもなんだか恥ずかしい理由だなと思っていたとき、くるりのラジオで岸田繁さんが、「ライブはそのときだけのもの」、「目とか顔を見ながらやりたい」とやんわり伝えてくれた。星野源さんが「ライブ中に観客の顔は結構見えている」とラジオだとかエッセイで話していたことを思い出した。これらを聞いたとき、この理由に乗っかりたいと思った。こういうことを発信してくれるところも好きなのだ。これで、反骨精神ではなく、アーティストのためという名目でライブでカメラを構えなくていい。本当に信頼できる。

と思ったとき、いろいろな場所で起きるカメラで撮っていいのか問題は、写真を撮られる人や一緒にいる人がそれに対する考えを表明することによって解決するのかもしれないと思った。
ラーメン屋なら店主が撮影OKですと書いてしまえば撮りたい人がとりやすくなる環境が生まれるのだろう。
答えを出しにくい問には、だれか扇動してくれる存在が必要である。
そうか、そしたら私が「私といるときはいつ写真を撮っても大丈夫です」Tシャツを着る意味も生まれることになる。


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