ヲタクの略歴(1周目編)

・2日連続の更新。やったぜ。

・昨日からSixTONESのヲタクになった話をしていますが、私は「今」「このタイミングで」SixTONESのヲタクになったことは必然だと思っている。

・ヲタクになるためにはまぁ色々な要素があったと思うので、まずは自分の人生を振り返っていきたい。

・ちなみに私は現在24歳。社会人3年目である。ちなみに私のヲタクへの道は生まれた時から舗装されていた。


(幼少期)

・母がジャニヲタ。はいこれはデカい。生まれた時から6人時代のSMAPのポスターが家に飾られていた。

・ちなみに母は現在大野担。遍歴としてはトシちゃん→キムタク→タッキー→大野くんだそうだ。割と王道?

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↑母のアルバムより。この前部屋の掃除したら出てきた。

・そんなヲタクの血を継ぐみっちゃんはこの後の人生で衝撃的な出会いをする。


小学生 (亀梨担〜裕翔担)

・先述の通りヲタクの英才教育を受けてきたみっちゃんは、日常的にドラマを見ていた。流行ってたしね。

・そんな中衝撃的な出会いを果たす。人生のはじめての推し、亀梨和也くんである。ちなみに例に漏れず出会いはごくせんである。

・おそらく小学生4年生の時、幼いながらに「かっこいい」のものさしが出来上がった。私のヲタク人生はここからだと断言できる。

・「推し」という言葉がない当時、それでも出来た初めての推し。大好きだった。どれくらい好きかというと大好きすぎて亀と当時熱愛報道をされていた小泉今日子さんのアンチになるくらい。今で言う「リアコ」である。本気と書いてマジで。小泉今日子さん本当にすみませんでした。小泉さんに1ミリも勝てるところがないことは今は自覚しております。

・ここから母の熱烈なプッシュが始まる。CDはもちろん、当時小学生のみっちゃんには遠い存在であったジャニーズショップに度々連れて行ってくれた。

・とはいえ自分のお金もほぼない小学生。悩みに悩んで買ったのを覚えている。

・亀梨くんの出ているドラマ・CMは子供ながらに見れる範囲でチェックしていた。「金を落とすこと」がヲタクの定義とするならば確実にこのころヲタクになっていた。

・そしてここに来て再度運命的な出会いを果たす。

・言わずと知れた伝説のドラマ「野ブタ。をプロデュース」にて、いつも通り亀梨くん目当てで見ていた。この番組のユニット「修二と彰」は爆発的人気を誇った。ところが、ここで私は担降りを決意する。

・桐谷修二(亀梨和也)の弟役である桐谷浩二(中島裕翔 現Hey!Say!JUMP)である。こんなに可愛らしい人を見るのは生まれて初めてだと思った。

・もちろん修二と彰に比べたら格段に出番は少ない。が、もう裕翔くん以外考えられなかった。2歳年上という近さや、当時Jr.という「まわりに同担がいない」という環境も良かったのだろう。

・とはいえ裕翔くんも事務所のスペオキと評されるほどのJr.のエース。様々なドラマに出演しておりお金のない小学生にもたくさん夢を見させてくれた。「エンジン」「プリマドンナ」など毎週の生きる意味であった。

・そして当然のように凄い勢いでリアコになった。当たり前に卒業文集には将来の夢の欄で「中島裕翔くんと結婚」と書いた。裕翔くんは今でも大好きだが、本当に恥ずかしいので同じ小学校通ってた奴全員文集燃やしてくれ。


中学時代(裕翔担真っ盛り)

・そしてここでも母からの猛プッシュが始まる。ドル誌の購入である。買えば1ヶ月上機嫌のみっちゃん。なんなら自分も楽しめる。母としても買う以外ないだろう。

・私は私で悩みを抱える「一冊が選べない」のだ。裕翔くんが載っているドル誌は無数にある。全部別の情報が載っている。選ぶことなんてできない。

・ここでみっちゃんは交渉を行う「テストの順位が良かったら買って」作戦である。自慢できた話ではないが私の生まれ育った地域はあまり治安も良くなければ学力も高くない。勝ち戦である。

・正直めっちゃ勉強した。この頃が一番勉強したし偏差値も高かったと思う。だって雑誌欲しかったもん!!!!執念で雑誌を買ってもらっていた時期である。

・そんなこんなでHey!Say!7としてCDデビュー→Hey!Say!JUMPとして正式デビューを決め、私のヲタクとしての沼は深まるばかりであった。

クソ長くなったので続きは明日書きます。これは当時悩みに悩んで買った生写真。

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