見出し画像

『一日一文』ノート


木田 元 編

岩波文庫


 副題は「英知の言葉」――せめて一日に数行でもいい、心を洗われるような文章なり詩歌なりにふれて、豊かな気持ちで生きてもらいたい。一年三六六日に一文ずつを配して、そうした心の糧として役立つような本をつくれないだろうか、と出版社からの提案を受け編んだ、と編者は「はじめに」で書いている。

 筆者はこの類の本をよく読む。一つは自分が知らない、作品を読んだこともない人の言葉に触れ、読書の世界を広げること。もう一つは、この世の中の真実をあたかも鑿鑿(のみ)で削るようにして紡いだ言葉の連なりを再構築し、最後に残るものを知りたいがためである。それが何らかの形をしているのか、形を成していないのかはわからない。

 初版は2018年で、筆者は2019年に購入して、閏年の2020年の元旦から読み始めた。それこそ一日一文ずつだ。せっかく366日分あるのだから、と妙なこだわりから、パソコンの隣に立てておいて、毎晩開き、一年掛けて読んだ。いままで一番時間をかけて読んだ本かもしれない。

 この本で珍しい点は、いわゆる名言の類だけではなく、小説の一節や詩歌が多いことだ。歌人や詩人、哲学者、思想家、宗教家、文学者、政治家、科学者、社会運動家、画家、彫刻家、映画監督、戯作者などなど古代から近現代にわたる世界的な著名人を選んでいる。

 巻末に索引があるので、筆者が聞いたことのある人物に印を付けてみるのも一興だった。

 いくつか引いてみる。

〈1月4日〉「不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。」(カミュ『シーシュポスの神話』)

 この世の中には不条理としかいえないことが多すぎる。通り魔や飲酒運転の被害者などなど、なぜ死ななければならなかったのか。考えても何も答えは出ない。そして最も不条理なのは戦争に一方的に巻き込まれた死者・被害者であろう。

 しかし、「戦争ではみんなが被害にあった。だから我慢しなければならない」とし、その被害を受忍しろ(戦争被害受忍論)というのが、太平洋戦争時、米軍の空襲による人的・物的被害への補償を求める裁判でのわが国最高裁の1987年の判決である。

〈1月8日〉「宇宙にはじまりがあるかぎり、宇宙には創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当にまったく自己完結的であり、境界や縁をもたないとすれば、はじまりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?」(ホーキング『宇宙を語る』)

 宇宙創生の定説であるビッグバン――およそ138億年前とされている――が起きる前には何があったのかとよく疑問が出されるが、それの答えは誰も持っていない。そこから時空が存在し始めたとしか今のところはいえないのだろう。その答えを出せるのは、はたして科学なのか、哲学なのか。

〈1月14日〉「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した――しかし、それは遅すぎた。」(マルティン・ニーメラーの言葉 『彼らは自由だと思っていた』(ミルトン・マイヤー著)より)

 政治や社会の動きに警鐘を鳴らす人の存在は貴重であり、それらの声に耳を傾けることは大事だ。しかし、それ以上に勇気を持って行動を起こす人の存在は決定的に重要である。

 ナチスの問題について、筆者は以前『ワイマールの落日』で取り上げた。この本のあとがきに、ある人の言葉を引用して、ドイツ民族が何故にナチスに帰依して狂気集団になったのか、いまだによくわからない、と言いつつ、彼の観るところでは、宗教家が微力すぎたからだと考える、と書かれている。

〈6月30日〉「パリから出かけてみると、ブルッセルは、小じんまりしていながら、どこか淋しい影のある都会で、それはやはり北欧という感じをふかく印象づける。殊更、冬の日は短く、弱々しく、それでも暖味のある淡い陽ざしが、中世からつづくブラバン侯国の古風な石の建物の凹凸を、つつましく浮きあげている。小柄で、品のいい町で、盛り場にいても、羽目を外した少女のいじらしい悔恨のような、動悸の音がききとれるほど、静かな街の気配である。(金子光晴『ねむれ巴里』)

 筆者はパリにもブリュッセルにも行ったことはない。きっとその街の佇まいは行ってみないと感じ取れないだろう。

 学生時代に、詩人の清岡卓行が初めて書いた小説『アカシヤの大連』を何度も読んだ。その後、仕事で大連に行ったときに、その街全体がこの作品に書かれた通りの雰囲気を漂わせており、詩人の感性と描写力に驚いたことを思い出した。ちなみに金子光晴も詩人である。

〈7月13日〉「日常の暮しは跡形もなく崩れ去って、あとに残ったのは、およそ非日常的な、ものの役に立たない力、それこそ一糸まとわぬ丸裸にされてしまった魂の内容だけなんだわ。でも、この魂の内奥にとっては何一つ変わっていないの。だって、それはいつの時代だって、寒そうにがたがた震えていたんだし、たまたま隣り合った同じように丸裸の孤独な魂に、いつも身をすり寄せるようにしていたんですものね。」(パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』)

 これはおそらくララの言葉だ。この小説が映画化され、高校生の時に観に行った。モーリス・ジャールの「ララのテーマ」が映像と融合して印象的であった。ソ連の映画だと思い込んでいたが、アメリカとイタリアの合作であった。

〈9月8日〉「ユークリッド幾何を習いはじめると、直ぐその魅力のとりことなった。数学、ことにユークリッド幾何の持つ明晰さと単純さ、透徹した論理――そんなものが、私をひきつけたのであろう。
 しかしなによりも私をよろこばしたのは、むずかしそうな問題が、自分一人の力で解けるということであった。幾何学によって、私は考えることの喜びを教えられたのである。何時間かかっても解けないような問題に出会うと、ファイトがわいてくる。夢中になる。夕食に呼ばれても、母の声は耳に入らない。苦心惨憺の後に、問題を解くヒントがわかった時の喜びは、私に生きがいを感じさせた。」(湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』)

 知的好奇心の本質をよく表している言葉だ。
 湯川秀樹は中間子の存在を予言して、素粒子理論の契機を作り、日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞したが、それだけにとどまらず、核兵器を絶対悪と見なして、国際的な反核兵器運動に尽力し、「ラッセル=アインシュタイン宣言」の共同宣言者となっている。

〈11月22日〉「此の世のなごり、夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づゝに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘のひゞきの聞きをさめ、寂滅為楽とひゞくなり。」(近松門左衛門『曾根崎心中』)

『曾根崎心中』は、大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名は妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が、元禄16(1703)年、西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしており、最初は人形浄瑠璃、のちに歌舞伎でも上演されている。

 引用した箇所は、有名な道行の最後の段で、このあと「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、はつと徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。

 音読してみると七五調が心地よく耳に響く。

 かつて読んだ作品もあるが、引用された一節から、その作品を読んでみたいと思った本がいくつもある。

 編者は、自分の心に深く響いてくるかどうかを基準に「独断と偏見」で選んだと言っているが、この『一日一文』に出会わなければ、開くこともなかった本も数多くあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?