育児のしんどさは何から生まれるの
久しぶりに育児しんどいな、と思う瞬間があった。
元々は悩みやすい性質なのだが育児に関してはだいぶおおらかに受け止めるように変わったと思っているので、本当に久々だったのだけれど。
ふと、育児でしんどいと思う時はどんなときなのか改めて考えてみた。
様々な考えがあるだろうけれど、私が出した答えとしては"世間の目が気になる時"だった。
他者の目に怯えているのかもしれない
赤ちゃんのときは、長く泣かせていると虐待を疑われるのではないかとか。
幼児のときは、癇癪を起こしていると何で親が諌めないんだとか。
小学生のときは、トラブルがあったら親の躾がなっていないと思われるんじゃないかとか。
一部分の場面だけを切り取り批判されることに、どうしようもなく不安が強い時期があった。今もまだ同じように少し不安はある。
子どもにはもっとおおらかに、のびのびと日々を過ごさせてあげたいのに。世間体を気にして口うるさく子どもに注意してしまいがちな自分がいる。
これが加速すると過干渉につながるのだろうなということは分かる。そして過干渉が子どもに悪影響であることも、分かる。
分かっているのに、子どもが大きくなるにつれて口うるさくなりがちな自分を自覚していて、年々育児の難しさを感じている。
また成長すればするほど、子どもも精神が成熟していくので一筋縄ではいかなくなる。それは大人としての成長段階として喜ばしいのだけど、親としてはどう立ち振る舞うのが一番良いのかと、いつも頭を悩ませている。
どこの家庭だって子育ては大変
職場のママさんたちと話すたびに、「ああ、こう感じてるのは私だけじゃないんだな。」とか、「どこも同じように苦労してるんだな。」と再認識する。
どのママさんたちも子どもへの対応に難しさを感じていて悩んでいる。
中には育児に悩むことや、子どもの色々な行動も面白いよね!と笑い話に変えてしまうママさんもたくさん居る。
私も最早笑うしかないなぁと思うことは多々あるので、それも一つの育児における到達点なのだと思う。(長男くん、ほんと色々な武勇伝を残しまくってるんです笑)
もっとお互いに寛容な社会に
普段仕事で高齢者支援に関わっている立場上、ご高齢の方々がこの地域で住みやすいようにするにはどうしたら良いかと常日頃考えているけれど、逆に子どもに対してはあまり真剣に考えた事はなく。
まず自分自身が子どもを連れていて、一番気になるのは前述のとおり周囲の目だ。公共交通機関に乗る時、お店の中で過ごす時。子どもの行動が他者に迷惑をかけて居ないかを気にしながら過ごしているように思う。もっとそれを気にしなくても良い環境になるのが理想だけども、全てを子ども主体に変えていくのは違うだろう。どのような人であれ、相互に受容され尊重されるべきだろう。
じゃあどうしたら良いかなんて正直思いつかないけれど、もう少し他者に対して寛容でいられる社会であってほしいとは思う。また、まずは自分の意識から変えていきたいなと思う。
どんな子であれ受容され愛される世の中であるように。そう願わずにはいられない。
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