教会

本当の自分の戻る道筋で起こること - 我儘の階層について


自分らしく生きましょう。

誰かに気に入られるための人生ではなくて。

自分のための人生を生きましょう。


そうすると、結果的に、人に愛を与えられる人になることができます。


と巷ではよく言われています。


しかし、多くの人が、人に愛を与えられる段階まで登っていくことができません。


なぜなら、途中の段階に、我儘の階層というのがあるからです。


それは、ずっと我慢して生きていた人が、波動を上げていき、嫌なことは嫌と言えるようになってきたときに、通る階層です。

その階層に来たとき、多くの人が戸惑いをおぼえます。


自分のやっていることは、自分勝手なのではないだろうか。

皆、もっと努力したり、頑張っても上手くいかなかったり、自己犠牲をしているのに、私だけがこんなに自由に生きていてもいいのだろうか。


そして、その階層を突き抜けて、その上の愛の階層に登ることに自分でブロックをかけてしまいます。


私が、その上の階層に行けたのは、日本から出て、何のしがらみもない異国で暮らしているということもおおいにあると思います。

だけど、日本在中の方も、その階層を超えている方もたくさんいらっしゃるので、できないことはないのです。

そして、海外に住んでいるからできるということでもなく、どこに住んでいても、小さなコミュニティーの中での評判を気にしたり、気を使う暮らしをしていると、その我儘の階層にすら登ることができません。


我儘の階層と私が勝手に名付けているだけで、実際は我儘ではなくて、自分で自分のことが我儘だと感じたり、周りの人に我儘だと思われているように感じる次元上昇のある段階のことです。


実際には、我儘でも、自分勝手でもないのですが、今まで人の意向を気にして、自分を殺して生きてきた人にとって、急に自由に生きていいんだよ、と言われても、その自由が難しくて、戸惑ってしまうのです。



しかし、少しずつ慣れていくことで、自由に生きるということが普通になっってきます。

周りのリアクションが気になる段階では、まだ自分を許していないのは自分であって、罪悪感のようなものがある限り、自分を批判してくる人に出会うことになります。


でも、自分らしく生きている自分を許せるようになると、その度合いに従って、周りの人も自分らしく生きている人だけになっていきます。

そうなると、誰かが誰かの生き方を批判したり、自分の生き方に罪悪感を感じたりということがなくなり、お互いがお互いの生き方を、たとえそれが自分とは違ったものであっても、リスペストして共存できるようになります。


迷いがある間は、やっぱり揺れ戻しさせられそうな出来事がお試しとして起こってくるのですが、それでも、自分を信じて進んでいくと、クリアな世界へ出ることができるのです。



フランスから愛を込めて❤️

ミカリュスより

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ミカリュス・ブルガリスの世界へようこそ。 ブログでは書けない深くて濃いお話をしています。 愛のある暮らしと地に足のついた精神世界、そしてお…

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