スプリッツ

自信に根拠があってはいけない理由は、幸せに理由があってはいけないことと同じです。


根拠のない自信は本当に大切なのです。

私たちは小さいときから自分に少しでも自信をつけるために頑張ってきました。

それは勉強であったり、スポーツであったり、音楽やアートだったり、少しでも上にいこうと一生懸命だったことと思います。


私はこれだけ勉強して良い学校に入れたから大丈夫。

私はこんなに女子力があるから男性に気に入ってもらえるはず。

私は一流企業に勤めているから、女性には困らない。

良い家柄の家庭に生まれた私は特別だ。


自分で努力して得てきたこと、生まれ持った才能や豊かさ、そのどちらにも感謝して、それらを活かしていくことはとても素晴らしいことです。



しかし、


夫が〇〇だから。

妻が〇〇だから。

子供が〇〇だから。

両親が〇〇だから。

自分は〇〇だから幸せだ。


というふうに今の幸せが、自分の持っている何かのおかげだと信じていると、それを失うことがとても怖くなります。


自分では気づいていなくとも、自分を発揮できない場所や立場にしがみついてしまったり、そこでの仕事が辛いものであっても会社から離れられなかったり、結婚生活が破綻しているのに世間体を恐れて離婚できなかったりすることもあるかもしれません。


結婚しているから幸せではなくて、幸せだから幸せなのです。

夫が一流だから幸せなのではなくて、自分が元々幸せだから幸せなのです。

幸せに理由は要らないし、理由がある幸せは本当の幸せではないと思うのです。



根拠のない自信がある人というと、なんだか偉そうな人を想像してしまうかもしれませんが、


根拠のない自信がある人とは、理由なく幸せでいれる人のことなのです。

そして、他人のことも理由なく愛せる人のことです。



家族のことも友人のことも、彼らが何かをもたらしてくれるから愛するのではなく、その存在そのものが有難いと思える人のことです。


そして、自分の人生という列車に乗り合わせた人全てに、ご縁を感じ、同じ時代、同じ場所に一瞬でも存在できたことに感謝できる人のことだと思うのです。



これを読んでくださっている皆様と私は、目に見えないご縁で結ばれていたのです。

もしかしたら、数ヶ月だけのおつきあいの方もいらっしゃるかもしれません。

でも、おつきあいの長さは関係なく、そして私のことを覚えていてくれても忘れてしまっても、一期一会のこの機会にこうして関わりができたことに意味があると思うのです。




自分の内面が世界を創っているのは変えることができない真実です。


なので、損得関係で物事を見る癖があると、どうしても損得関係で繋がりたい人とばかり出会うことになります。



愛を持って、一つ一つの出会いを大切にするとやはり愛が返ってくるでしょう。

ときには、返ってくるどころか、反対に後ろ足で砂をかけられてような仕打ちを受けることもあるかもしれません。

でも、それでもいいと思うのです。

正確に言うと、それでもいいと思えるようになりました。



皆、誰でも、幸せになりたくて一生懸命生きているのですもの。

成長の過程で間違うことも不義理をしてしまうこともあると思うのです。

もちろん私自身も、そんなことの繰り返しで、ここまで生かせていただいてきました。


これからは少しずつ、できる範囲で、恩を返していけたらいいなと思っています。

それは、いただいた人へ返すのではなく、(それもできたら素晴らしいことですが)、少しだけ成長した私が今できることを、それを必要としてくださる方にお譲りしていくことができたらどんなにいいかしらと思います。


きっとそうできたらなら、今までに出会ってくれて、たくさんの愛を注いでくれた多くの人たちへの感謝のメッセージになると思うのです。




雨続きでまだ富良野には行けていませんが、少しの晴れ間を見つけて札幌のラベンダー畑を見てきました。

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今日は、夫にドニチカキップという週末だけ使える札幌市内のメトロが乗り放題の一日券で、できるだけ長く観光してきてねと、朝から一人で出かけてもらったので、私はのんびり一人時間を楽しんでいます。



日本から愛を込めて❤️

ミカリュスより

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ミカリュス・ブルガリスの世界へようこそ。 ブログでは書けない深くて濃いお話をしています。 愛のある暮らしと地に足のついた精神世界、そしてお…

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