能力、労力、努力。

法人を立ち上げて7期が過ぎた。
初年度に言われたのは「理念を掲げよ」とのこと。その当時は「なんでわざわざ?」と思っていた。しかし今なら分かる、それがないと人は基準を見失うのだなと。

思えば私は能力主義に理想を持っていた。中高生の頃はまだ自分が何者にもなれない年齢だったが、社会に対しての勝手な考えだけは一丁前に持っていて、年功序列に疑問を持ち、なぜ能力給じゃないんだろうか?能力給が一番分かりやすいよね?と思っていた。
秀でた能力は認められるべき、成果を上げるべき、ただ長くだらだら会社にいるだけで給料が上がるなんて!と、私が何かされた訳でもないのに地味に怒っていた。(根本性格は変わりませんね。笑)

そして歌手を目指して東京に出てバイトを転々としたり、フリーランスで活動していく中で、徐々にその考えは変わっていった。多種多様な性格の人がいる事、仕事の種類がとにかく多い事、それを一纏めにして "能力" を簡単に括れない。どの立場から見るかどの視点から見るかでも判断は変わってしまう。
特にフリーランスを経て法人化してからは、それについて再考を重ね続けている。

近年でも「成果を出す」という言葉は耳にするが、そもそも"成果"とはどのようにして生まれるのか。
売り上げが出て会社に利益がある、その仕事を取って来れる、この2点は誰からも見えやすい部分なのではないだろうか。一般職で言えば営業とプロジェクトリーダー的な??
人から見えやすく分かりやすいものは評価され勝ちだ。しかし、"成果"を出すまでにどれだけの過程があるかを考えた時、この部分は最終的な出口でしかないことが分かる。

仮に私が小さなライブバーで歌うとしよう。その為に何をするか細分化すると良く分かる。
タスク:ライブバーに連絡→日程を決める→詳細を決める→告知日を決める→フライヤーデザイン発注→宣伝して集客する→お客様へのメール対応→ライブ→売り上げ集計
関わる人:バー店長、受付スタッフ、ドリンクスタッフ、音響照明スタッフ、物販スタッフ、デザイナー

もちろん業務兼任することもあるが、小規模なライブでもこれだけの作業と人数が関わる。この規模が大きくなればなる程、業務を分担し関わる人を増やしていかなければ仕事は成立しない。
そしてもっと掘り下げれば、ライブバーが経営されている、ライブバーを建築した会社がある、その土地の所有者がいる、だから歌える箱がある。
要するに、物理的にも概念的にも場があるから仕事が出来るという事。その「場」はどう作られたのかという事。
(法人化して最初の2年は酷い状況だったのだが、渦中で日々思っていたのは「各企業の創業者ってのはすげーなー!!」でした。笑)

最初から分業された状態で仕事を始めてしまうと、その土台も全体の流れも見えてない人が非常に多いのだ。だからこそ給料を支払う側が全体を見てどこの何に支払うかの評価基準を決めておかなければならない。
売り上げが出るまでには、日々とても地味で目立たない作業をやり続けている業務もあり、その土台の上に、いわゆる人から見えやすく分かりやすい成果が出ている、と言っても過言ではない。その地味な単純作業の評価を低く見ることは出来ない。
そして評価する側もされる側も、迷った時に立ち返る共通のものが "会社理念" だと思うのだ。

このようなことをぐるぐると数年考え、様々な状況に直面し多種多様な人達に出会い、ようやく導き出したのが「能力、労力、努力。」だった。
まず能力ある人は評価されるべきだという考えは変わっていない。これは私自身の悔しい経験にも基づいているので変わる事はないだろう。
そして、能力が足りないなら労力をかける事。能力ある人が1時間で出来る事が丸1日かかってしまうなら、丸1日かけて達成すればいい。それだけの事である。
最後に、努力をする事。あまりにも不器用で理解が遅い、いつも失敗してしまう、そんな人でも努力の跡が見えればそこを切り捨てるべきではない。
これは多くのライター達や人権団体のコラムなどを読み私の考え方が変わった部分でもある。社会に出ていないガキの頃に能力絶対主義だった自分が、ようやく社会の構造というものを本気で考えられるようになったのかもしれない。

長く働いていれば迷う事や卑屈になる時期が必ず訪れるが、労力をかけ丁寧に仕事をしていれば自ずと能力は高くなる。
そして能力が身についたとしても、やはり努力をしなければそれが衰える事もある。
モヤモヤしたらこの内のどれか!という指標になれば、と掲げた理念である。

さあーーーー、今年は8期目に突入。
経営者の能力というものが何なのかまだまだ手探り状態な自分ですが、新しい事業の海へ飛び込みます。
現実では泳げないけど、概念上ではスイスイ泳げるように努力するぞ!!!

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