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楽曲紹介 - 鳥籠

遂にこの曲が来てしまった。
私にとってはパンドラの箱を開けるようなものです。

制作経緯

この曲は忘れもしない19歳の頃に作りました。
人生の中で本格的に曲を作り始めた年齢です。何しろ全てが手探りで、私が好きなあらゆるものからヒントを得ながらどうやったら私自身の表現が出来るだろうかともがきながら、反面「好きなことを吐き出そう!」という純度が一番高かった時代です。
当時好きだった楽曲のベースラインだけを抜き出して、それに合わせてフェイクで歌いながらメロディを作り。
当時好きだった漫画のストーリー性をオマージュしながら、元々持っている自分の考え方を歌詞に盛り込み。
そうやって人生で初めて「これだ」と思える楽曲が仕上がったという感覚がありました。

しかし!
当時周りにいた大人たちからは想定外のことを言われました。
「見た目と曲が合ってない」「普段の君はもっと明るい性格じゃないか」「若いうちにしか出来ないことをやろうよ」「明るい曲の方が売れるよ!」
はあ!??
手応えある曲を作ってもこれかい、と思いながらも、じゃあこの楽曲に見合う表現力が当時の自分にあったか?と問われたらやはりそれはまだ追いついてなくて。負けん気は強いのにギリギリのところで自信が持てなかった部分も確かにありました。そしてこの曲は一旦封印。

それでも私にとって表現の発端な曲なので、その先も持ち歩きました。最初の事務所を離れてからも誰かに会う度にこの曲だけは一番最初に ’絶対にやりたい曲’ として提出していました。
それから言葉通りの紆余曲折があり、ようやく人様に聴いてもらえる形になったのが人生で初めてCD発売した2005年「月夜のかけおち」にて。
ピアノ弾き語りを始めた時期でしたが、全ての曲をアカペラで作っていた私にとって楽曲制作時には協力者がどうしても必要で、CD発売時のプロデューサーにアレンジしてもらいました。(以下P)
この時のPからもやはり表現力が足りないと言われ、「これ別の人が歌った方が良いかもね」とまで言われました。
はあ!??(2回目)

確かに、確かによ。2005年当時でもまだ自身の表現力は追いついてなかったよ。
でもさ。大切な我が子をそんな簡単に手放すかいな。別の人に歌ってもらうならその人の為に1から曲書きますわ!という気持ち。自分で歌う為に書いた曲はちゃんと自分で歌って私から生まれた証を作りたいです。それがただのエゴだと言われても構わない、そうしたいと思うことをするのが表現の世界なんだから。

そう感じた時に私は、何の為にこれをやるのか?を大事にしていたいんだなと思いました。
何かにつけて納得がいかないと前向きに取り組めない、その代わり納得いけばお釣りが来るくらいに頑張れる、ここにはこういう意味があるからそれを分かってもらえないと無理、これはこういうもんなんでという枠組みで考える人が無理、根底が合致しないなら一緒にやる意味なくない?という。
・・・なんと面倒な性格なのだ。笑

何しろ私がこんななのでその後Pとも離れ、完全な独り立ちをしてからというもの納得のいくピアノアレンジがなかなか出来ずにいましたが、ようやく今ひとりで歌えるようになりました。
それでもまだこのアレンジで良いのかな、という問いを投げかけながら歌っています。
きっとこの曲は、私の人生の最後まで一緒にいる曲かもしれない。どこかのタイミングでまた封印しながら。

パンドラの箱には希望だけが残った、といいますよね。
私はその希望は ‘変化’ と捉えています。
私がこの曲に触れる時、それは自身の変化の時期だと思っています。

2019年に、私はいよいよ変わりたかったんだと思う。

過去音源

さて。今回は2005年ver.をお届けしたく思います。
上記したように19歳で作り持ち歩いた曲なので、もう2つくらいアレンジされた音源があります。それはあまりにも今と乖離しているので、恐らくこれからの人生で1~2回はまた挑戦するであろうクラウドファンディングでリターン出来たら、と思っています。
こればっかりはね、本当の私のファンにしか聴いてもらいたくないというワガママが。

それでは。当時のPにピッチ修正されまくった音源をどうぞ!笑

レコーディング

2005年は弾き語りを始めた直後だったので、自身のピアノ演奏をレコーディングするなんて全く考えておらず、当時のPが全楽曲のアレンジをし楽曲提供もしてくださいました。
本来だったらボーカルに徹することが出来て良い環境だったものの、私もまだRecでの歌い方も音の作り方も分からずうまく歌えず「何で音程取れないんだよ!」と怒号まではいかないけどPのRec中のイライラがすごくて。
小さい鍵盤を叩きながら、「これだよ!この音!これ!!これ出せよ!!」とヘッドフォン越しに叫ぶので、歌の表現をするというより音程をちゃんと取らなきゃ、と思いながら歌った記憶があります。

今その反動でピッチ修正したくなくなったのかも。やっぱり不自然だし、自分が歌えるに越したことはないので。
今のデジタル技術はもっと上がっているので普通の人には気づかないレベルだけど、’歌う’ ということに疑問が残りますよね、ピッチ修正って。

現代だとパワハラに当たるのかもしれないけど色んなことを経て、Pにはとても感謝しています。こんなに厳しくされることは若い内に経験しておいた方が良いですし、そもそも音楽とは?歌うとは?に向き合うきっかけになりましたので。
ありがとうございました。

2019年ver.

レコーディング

ひとつ前の収録曲「雨音」と続けて録りました。
その記事でも書きましたが、ヘトヘトだったのであまり覚えていません。でもその必死さがこの曲には合っているかもしれません。
切羽詰まった感じが良いと思っています。
将来的にはこの曲も、俯瞰で見ている語り部のような立ち位置で歌えたらと思うのですが、それはもう少し年を重ねないとね。
死ぬまで理想を目指して頑張りますよ。

ピアノソロを焦らず弾けるようにはなりたいなぁ。

過去音源と今の比較

もうこの曲は年齢と共に成長していくしかない、と思っているので、さすがに過去よりは成長したと思いますよ。思いたい!笑
でもそれこそ若い頃にしか出せない儚さもありますし、どっちが好きかは人それぞれ、そしてどの年齢でもその時にしかない良さはある、
というような基準が示せる曲であって欲しいという思いもあります。
自分では思い入れが強過ぎて、良い悪いではなく、あの時こうだったなという懐古しか出て来ません。
客観的に聴いて頂いた皆さんのご意見も聴いてみたいですね。
そして、これからの表現も楽しみにして頂けたらと思っています。


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