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個人的なお知らせ

母が他界しました。68歳でした。
昨日まではこのことをお知らせするつもりが一切なかったのですが、思い返せばここ数年は全国どこへでも私のライブに良く遊びに来ており、私と付き合いのある関係者やアーティストの皆様ともお話をして頂いたり、時にはお酒の席でもご一緒して頂いたり、各所で多くの方々にお世話になりましたので、やはりご報告をしようと思い直しここに記しております。
ファンの皆様の中にも、母の姿をライブ会場で見かけた方がいらっしゃるかと思います。

持病もなく元気に過ごしていたのですが、突然の頭痛で父の部屋へ駆け込み救急車で搬送されました。くも膜下出血でした。手術をしてそのまま入院する予定だったのですが水頭症を併発しておりかなり重症とのことでした。
更に手術をしてギリギリ生存させる方法もあったようですが、それでも意識が戻る可能性は低いこと、半身不随は免れないとのことでした。
生前から母とは死生観を語ることが多く、どのように生きたいか、どのように死にたいか、その確固たる意思を細かく聞いておりましたので、延命処置はしませんでした。

意識不明の状態でしたので言葉は一切交わせませんでしたが、人工呼吸器と点滴で繋がれながら緩やかに死を待つ時間を病室で一緒に過ごしました。人間は聴力が一番最後まで残るという話を聞いたことがあるので、私の音楽を聴いてもらったり、思い出をポツリポツリと話してみたり。
その時点でもう時間の問題だと言われていたのですが、それを宣告されてから24時間以上も心臓は動き続け、夜勤の看護士さんにも「本当に頑張り屋さんだ」と感心され、次の日兄夫婦が到着してから突然血圧が下がり静かに息を引き取りました。
これも思えば、父と病室で兄夫婦が来る時間を話したので、母はその時間まで待っていたのかもしれません。
兄と私を産む時にかなりの難産でそれぞれ30時間以上かかったという話を母から聞いたことがあります。だからきっと最後の最後までギリギリまで兄に会いたくて頑張ったのだと思います。

とても綺麗な死化粧をしてもらって一旦自宅に戻ってからは、お酒好きだった母を偲び枕元で兄夫婦と飲みました。そうしたら次の日ちょっとニコッとした顔に変わっていました。死後硬直でそうなっただけかもしれませんが、ここはちょっと信じさせてよね。
それからすぐにお通夜と葬儀でした。父が母から意向を聞いていたとのことで家族葬にしました。それでも噂を聞きつけた同級生の方々が駆けつけてくださったり、ご近所さんが自宅まで来てくださったり、本当に愛されていたんだなと感じました。

それからはひたすら飲み続けましたね。笑
叔父(母の弟)夫婦を招き、宴会を開いたり。楽しいお酒と食事が好きな母でしたから、きっと一緒に楽しんでくれたと思います。
あとは葬儀の時、お坊さんがかなり癖のあるビブラートでお経を読み上げるのでマスクの中で笑ってしまったんですが、親戚一同も同じことを思っていたみたいで葬儀後にツッコミ大会が始まったり。もうこれは、、血筋を感じざるを得ませんでした。笑
そして母が生きていたら真っ先にツッコミそうな状況なので「母!このビブラート聴いてる!?後で物真似しよう〜〜」とあの世とこの世の間付近で会話してしまいましたよね。
どこかに行く度にほのかに面白い事に遭遇する母でしたので、最期まで母らしいなと思いました。

突然の連絡を受けてから感情も予定も本当に慌ただしかったです。
親子でありながら女友達であり飲み友達のようでもありましたので、これからじわじわと寂しくなってゆくかとは思いますが、気持ちの整理をする時間はありましたので、きちんと切り替えられると思います。
このような報告をしてしまうと、これから私とお会いする皆様に気を遣わせてしまうかと思ったのですが、報告をすることで気遣いなく会って頂きたいとも思いました。
いつもと変わらない、いつも通りの延長で顔を合わせてもらえたら嬉しいです。

それから、生前の母と短い時間でも交流をしてくださった皆様、本当にありがとうございました。
心より。

小林未郁



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