ニュートラルな立ち位置に立ってみる

様々な国々が自己主張を繰り広げ、不穏な空気が漂っている今ですが、そんな流れから超脱した在り方を一つの方向性として考えています。

 この二元の相対世界の対立軸では無く、エゴの領域をも超えた在り方を提示してみたいのです。

 お釈迦様は中道とは、両極端を排すると言う意味も有ると思いますが、如実知見も言われている事からエゴから離れた見方、俯瞰する事も言われていたと思いますし、中道とは、ゼロポイントを意識する生き方、見え方と思います。

 それはお釈迦様が無記と表現された純粋無雑な想念、文字通り、生命エネルギーの発露としての想念です。それは、幼児の頃には持っていた想念と思います。幼児の笑顔は無垢なモノです。

 それをイエス様は言われていたと思います。目のうつばりを取り除きなさいとは、そのような眼差しを取り戻す事を言われていたと思います。

 さて、ニュートラルな立ち位置とは、良い悪いの物差しの中心とも言え、ゼロポイントの事です。ちなみに、ゼロポイント・フィールドとは空間の事です。

 内なる存在の中心であるゼロポイントとゼロポイント・フィールドとは等価と思います。文字通り、Jupiterの歌の通り、胸の奥で繋がっている訳です。それはワンネスとも言えるでしょう。

 さて、ニュートラルな立ち位置をもう少し探求してみましょう。生命から真っ直ぐに立ち顕れた意識、又は想念です。

 エゴの介在しない想念です。名前も、性別も、老若男女も、社会的地位も影響されずに、湧くままに、想念を感じられたら、それがニュートラル意識、若しくは、真我意識と言えるでしょう。

 この位置が内なる魂が起動し、アマノミナカヌシ様の隠れた位置と思われます。この位置で、宇宙の全体意識と繋がって、色即是空=我即宇宙、空即是色=宇宙即我の最高の悟り(般若心経に書かれている)の世界を実感して日々を生きてみようと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?