「べき論」で知らぬ間に誰かを傷つけてる、かもしれないって話
転職してリブセンスという会社に入り、たくさんの人の会話をSlack上で見かけるようになった。
その中で少し心に引っかかることがあり、昨日コトバにしたことですっきりとした。
引っかかったのは「〇〇とは△△であるべき」という「べき論」
おそらく自分も自信のある部類なので、べき論を使ってしまってる。結構つかって来てると思うけど、客観的にそういったやりとりを見てはじめて
「べき論」て、人によっては傷つくんじゃなかろうか?
ということに気付かされた。
結びついたのは
闘病中の奥さんがいる某ディレクターさんのこと
だいぶ前、ピヨピヨのWEBディレクターだった頃、某広告代理店に常駐していたのだが、そこで「この人のディレクションは切れ味が悪いなー」と不満の目を向けた相手がいた。
(今思うとこのおこがましい態度に恥ずかしくなる・・・)
不満を持ちながら一緒に仕事をしていたのだが、とある日にその人の奥様が闘病中だということを知った。
お子さんも元気な盛り。しかもお一人じゃなかった。
そんな中で、どんな気持ちで仕事をしていたんだろう。
今でも思い出すと胸が痛くなる。
僕だったら、ボロボロで立ち上がれなかったんじゃないかな。
皆が皆、健やかな状況で働いているわけじゃない。
ふと、語気を強めたくなるときはある。でもやっぱり忘れてはならないのは、誰しも自分と同じ健やかな状況にあるわけじゃないぞ、ということ。
「某さん、あなたはもっと〇〇すべきです」
まぁ、ルールを破ったとかそういう場合なら分からなくもないけど、効率化や最適化について、誰かに働きかけたいときの「べき論」は、少し立ち止まるようにしたい。
(ちゃんとこの人のことを、理解した上で話そうとしてる?)
きっと、これまでも何人も知らぬ間に傷つけてしまったんじゃないか。
そう自戒した昨夜でした。
終
サポートいただけたら、嬉しくて本屋に行くと思います・・・笑