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江戸時代 文学作品の変遷

 前半の仮名草子や浮世草子や読本では教訓的・実用的な作品が描かれ、文体が洗練されている。主にこれらの作品は京都や大阪で出版されていた。一方、後半の談義本、黄表紙、滑稽本、人情本では世俗的に当世風の文体で描かれている。主にこれらの作品の舞台は江戸であり、江戸で多くが出版されていた。

 仮名草子では教訓的な作品が多く、木版という技術により世間に大量に広まるようになった。内容は教訓を施す物語や説話集が見られる。仮名草子の『伊曾保物語』は、仮名草子の中の種類では啓蒙教訓的なものに分類される。『イソップ物語』の口語訳本と翻訳本であり、イソップが語ったとされる寓話集のことである。そこには教訓や風刺を込めた例え話や動物を擬人化した話が多い。その中の「犬とししむらのこと」では、「人は生きているうちは力の及ぶ限りで生きるための所業を行わなければいけない」という意味を込めた教訓が書かれている通り、読者に生きる筋道を与えるような啓蒙がなされているのである。

 浮世草子は儚い世の中を楽しもうという考えのもと江戸時代前期に誕生し、当時の町人を主役とした作品が多い。そのため、町人を中心に広まったとされる。教訓的な作品が多い仮名草子とは違って、町人たちの風俗や生活が描かれるようになっていった。浮世草子の『西鶴諸国ばなし』では、町人たちの日常における遊びが描かれている。京都の問屋町に集まる町人と不思議な能力を持った盲人とのやりとりが描かれている。当時の人々はどのような生活をしていたのか、小説と挿絵から推し量ることができる。西鶴のユニークな人間観により町人たちの様子が生き生きと描写されているのである。

 読本は、歴史に題材をとり勧善懲悪・因果応報思想をもとに書かれた。中国小説の様式から筋を学び、知的な作品となっている。
読本の『雨月物語』の中の「菊花の約」は特に和歌や古典作品を引用していたり、叙情的な表現が多数用いられている。話の内容は兄弟の契りを交わした二人の強い絆の物語であり、江戸時代以前から日本で見られる人情を重んじる作品である。作者である上田秋成は大阪の人である。上方を中心に描かれていた。

 談義本は滑稽さと教訓を掛け合わせたものである。ここで以前ではみられなかった滑稽さが描かれるようになった。通俗的教訓を中心に描き、主に江戸で作られた。江戸の風俗習慣を描き、江戸の人々が使う言葉を使用することで独自の文芸が出来上がっていった。談義本の『当世下手談義』では、蘆屋道満のもじりである足屋の道千という占い師を謳っている者が訪れる客に対して知らず知らずのうちに教訓を与えているという話である。滑稽と教訓の掛け合いが読み進める調子を良くしている。また、訪れる客の身の上や悩み事から当時の風俗を知ることができる。初めて江戸言葉を取り入れた作品であるため、江戸っぽさを感じる作品となっている。

 滑稽本は町人の日常生活におけるおかしさを描いたものである。滑稽を目的としており、多種多様な作品が「滑稽本」として呼称されている。
滑稽本の『東海道中膝栗毛』では、日常語、俗語を多く用いて当時の江戸らしさを感じることができる。話の内容は、江戸日本橋から伊勢を目指している道の間、さまざまな人との出会い、滑稽な出来事を繰り広げていく話である。話の区切りごとに狂歌を挟んでいる。当時の狂歌は庶民の俗な文学であり、その狂歌が挟まれているということはこの作品の庶民性を表しているといえる。この作品が出版されていた場所は江戸である。江戸で出版されたことや主人公たちが江戸日本橋から出発していることから、この頃の文化の中心は江戸であることがわかる。

 人情本は男女の恋愛物語である。一般社会を舞台とし、以前に成立した戯作文学よりも情緒的・写実的に江戸時代の庶民の生活を描く文学へと変化していき成立した。
人情本の『春色梅児誉美』では登場人物の心情描写が描かれることがあった。浮世草子などでは心情描写は描かれず、風景描写に限られている。調子の良い五七五調から、登場人物同士の会話に移り変わる様子が読んでいて気持ちの良いリズムがある。冬を想像させる雅やかな季語を用いての場面描写が秀逸である。滑稽本や洒落本の面白おかしい要素は無く、受け継いでいるところといえば世俗的な話がテーマになっていることである。

 以上のことから、江戸時代の文学は風流・風雅なものから俗世的なものへの変遷、文化の中心地が上方から江戸への変遷、教訓的な作品から娯楽性の高い作品、また世俗的な作品への変化が見られる。時代が進むごとに、今の世の中を楽しもうとする風潮が強まっていき、俗性の強い作品が登場した。

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