おっさんの戯れ言#5

※おことわり

本稿では2020年11月11日に公開された櫻坂46のMV「Nobody's fault」についての私感、私見を述べます。批判的な文章になることが予測されますので、そういった文章を不快に感じる方の閲覧をお勧め致しません。そもそもご興味無い方の閲覧も勿論お勧め致しません。
また、筆者の根底にはあくまでポジティブに櫻坂46の行く末を見守る、という見地に立っておりますので悪戯に辱しめるようなことを述べるつもりはございません。そして、個々人を貶めるような意図もございません。この上ない敬意を抱いた上での発言であることをご理解下さい。

本稿に対し、ご意見をお持ちの方は是非ご自由にお書きください。但し、頭ごなしの否定や攻撃的な言葉については、投稿前に今一度ご自身の文章をご確認されることを心より願います。言論の自由は最大限尊重致しますが、敬意を欠いた発言についてはこれを許す気はございませんことを予めご了承下さい。

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以前より抱いていた疑問は解決できなかった。むしろ深まってしまった。まるで荒れ狂う潮の渦に海中深くまで引きずり込まれるように…。

今回の改名、新たなスタートとは一体何を意味しているのか。
アートワークに新なクリエイターを起用し、映像監督にも新進気鋭の若者を登用した。イメージカラーも大きく変え、まだ何色にも染まっていない白、これからなのものにも染まれる白になった。

だがしかし、彼女たち自身の表現を司る指導者には以前から全ての楽曲を担った人材に任せた。

何故?

今までのアートワーク、映像を担当したプロフェッショナルは若く、新な旅立ち、変化にも対応できると思っていた。過去を知っている人達、同じ苦悩と挫折、栄光を胸に刻んでいる同志。そう思っていた。

では、何故?

彼らは外され、根幹の表現を担う人材だけをそのままにしたのか?
外された彼らプロフェッショナルは失格の烙印を押されたのか?

映像は非常に美しく、これからの旅立ちを船の出航に重ね、荒れる日本海から未来を目指している姿は目を惹かれる。彼女たちが苦悩に顔を歪めながら、それでも晴れとも雨ともわからない未来を睨み付ける表情に戦慄さえ覚える。一体どれ程の悪意に晒され、人を信じられなくなり、それでも明日を願う辛く苦しい日々を過ごしていたのだろうと。

しかし、だがしかし、その表現は過去の自分達の振り付けが多用され、オマージュと呼べるほどのものであった。

新たな一歩を踏み出すのに、過去にしがみついているのは結局あなた方自身なのではないのか?

生まれ変わることを、決意の涙と震える声を振り絞って宣言したあの時からこれまで、それは私の中で拭いきれない違和感としてはっきりと認識されている。その感覚は悪しき方向に増幅されてしまったような気がしている。だからこれで全てが分かるとも思っていない。が、何かの糸口になると期待をしていた。

この違和感が一筋の光明と共に、曇天の中の一時の晴れ間のように、気が付けば晴れていくのだと思っていた。

だが、少なくとも今日は全く逆の結果になってしまった。

以前、誰のせいでもないのなら、じゃあ誰のせいなのだ?という論を立てた。
端から見れば順風満帆、実績を重ねてきた最中で、自分達の歩みを変えなければならなかったのは何故だったのか?
変える必要に迫られたのは何故なのか?

それを誰のせいでもないと一笑に付すのか?
勝手に絶望しているのは、こちら側の信念が無いからだと断罪するのか?
その時点で誰のせいでもない、などと言えないのではないのか?
一方的に宣言してしまっているではないか。
本当にそれで良いのか?

それが変化したことで見出だした解であるならば、過去を想起させる表現を多用した意図とは?

など、疑問は尽きず、違和感は拭えない。

いつか、海中深くで呼吸が止まってしまう前に、救いの手が差しのべられることを願い、自力で這い上がれるようもがき続けてみよう。

始まったばかりの新たな道を、苦しく険しい道を、波風に晒されそれでも高みを目指して這い上がる姿を見届けよう。

そうすることで自身も何かの変化を見出だせるかもしれない。
人生訓を若いその身体で私に叩きつけてくれているのかもしれない。

分かろうとすること
寄り添おうとすること
見守ること

疑問は尽きない。
またひとつ人生の課題を与えられている気がする。

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