ポルノが脳の認知・思考力に及ぼす影響の個人的考察記録 その2

ポルノが脳の認知・思考力に及ぼす影響の個人的考察 その2


性的な話、特に性差別と性加害の話になると、突然会話が噛み合わなくなり、不思議な思考回路をさらけ出す人がそこそこ存在することが最近になり認識できた。
性別はそれぞれだが、それぞれにまた違う何かを抱えていそうである。

基本的に自分の属性から先ず物事を捉えるのは当然だと思われるが、そこから出来るだけ引いて、違う立場の状況を想像したり、配慮したりする考えに至る事が異常に難しいようだ。
わかりやすい制度上の差別以外については、被差別者以外がその差別を感知する事は難しく、差別に無意識な人ほど感知できない。
これは社会的意識が全体としてアップデートしない限り、どれほど言葉を尽くしても感知できない人には感知できないような気がする。
人の意識、認識は日々変わっていく。
これから少しづつ変わっていくと良いと思うが、この問題は被差別者や理解がある者が訴えなければ、無意識層へは届かない。

私も何年か前に「ちび◯ろサン◯」という昔馴染んだ絵本のタイトルが問題視された時、『え〜これが?このくらいで?好きな絵本だったのに』というのが正直な感想だった。(これの突然の絶版については様々な議論を呼んだ。方法としてはかなり乱暴であったと言えると思う。)
最近では「ハーフ」じゃなくて「ダブル」と言おうねとか、「レズ」ではなく略すなら「ビアン」ね、カラコンの色をハーフ風とか外国人風と商品名つけるのはやめてほしい、などというものを目にする。

私はこれを見た時、そう言われてみればそうかもね、これから気をつけよう、と素直に思ったわけだが、上記の絵本と何が違うかと言えば、自分が好きなものについて影響があるか無いか、ずっとからかわれたりそれを言われて蔑まれきた人たちを、身近に想像できたかどうかだと思う。

差別的と言われる言葉が差別的なのは、社会に差別が存在するか或いは存在したからであり、その差別を認識できずにいれば、そこに差別要素を見出す事はできない。

社会的差別が薄まれば、その言葉が持つ差別的意味合いも薄まり、時代により人により、言葉や表現が持つ差別要素が変わるものもある。

手塚治虫の黒人表現や、昔の漫画に頻繁に見られた日本人の表現が問題なのは、現在では明らかだが、当時はそういった問題意識が世界的に低かった。
どこまでが許容範囲なのかは媒体や受け取り手、発信側の社会的地位などにも左右されるだろうが、認識のすり合わせを経て徐々にアップデートしていくものだろう。

昨年秋、日赤のポスター問題でも色々と紛糾したが、何が最も問題だったかと言えば赤十字という世界的に人権理念を高く掲げた組織の、差別問題への認識の甘さである。

わかりやすいセクシーキャラを使っただけならば、あそこまで紛糾しなかっただろう。
紛糾したこと自体で非常に打ちのめされた人は多かったと思う。
私自身もそのうちのひとりだった。
騒ぎが波及し、様々な人が様々な見解を述べるその意見自体に苦しむ場合も多い筈だ。
そういった意味でも日赤は自身の影響力を自覚し、慎重に広報素材を作る責任がある。

キャラクター自体も要らぬ解説を大々的に受けることになった。
キャラクターと漫画自体が非難されていると感じた人たちもいたようだが、ゾーニングの必要性を全く受け入れられない人向けに解説が行われたところ、事態が混沌を極めた弊害だろう。
この混乱の原因も、はっきりとした見解を直ぐに示せなかった赤十字にある。
その後にポスター掲載に変化があったような様子も流れていたが、どうも本気であまり問題が理解できなかったというように思えた。
繰り返しになるが赤十字はその性質上、広報に使うのであれば、そのジャンルの中でも極力無難なキャラクターを選別すべきであると考える。

性的な表現という意味でも、医療関係や警察、司法関係は性犯罪被害者が真っ先に頼る所であり、そういうところの広報として考えると、一般的な企業広報よりも、更に繊細な配慮が求められる。

(※ 追記 20.2.2. 紛糾した作品との第2弾コラボが決まったようなので少し見た。なぜ最初からキチンと作らなかったのか脱力感と虚しさが酷い。善意のコラボであったことのみが作者から語られていたが、ロクな検討もされずに新刊表紙を使うという、余りにも雑で配慮のないものだったと思うしかない。)

(現在の社会で女性の体を持って生きていくという事は、善良な普通の感覚の男性にとって、おそらく想像もつかないような酷い言葉をや態度を頻繁に浴びせられ示される状況にあります。
単に性的なだけでなく、侮蔑と加害欲が乗せられた悪意を向けられます。
特に胸の大きな女性の多くが、揶揄われ続け、それが罪悪であるかのように言われ続け、或いは道を歩くだけで性的な罵詈雑言を浴びせられ続けている状況を、少しでも想像できないのでしょうか。
もしかして例え知ったとしても、それさえも酷いと認識できないのでしょうか。
それは女性の身体である者にとって、あまりにも辛い世界です。
『そんなことくらい。』
面と向かってそう言われたら耐えられない。
多くの人が自己の苦しみを他人に知らせることをためらわせる要素のひとつです。
見ることも聞くことも、ようやっと言うことさえも辛いのです。)

問題になったポスターについて、あれは過度に性的ではない、作品もキャラクターも悪くない!というような反応を過剰にしていた人たちがいましたが、彼らは彼らで思春期あたり迄に、周りの女性に自分の性的な事や好きなことを咎められたトラウマが深いのではないだろうかと感じます。
復讐の情念と怖れは、成長の停止、自己破壊への道です。)

海外ではワンピースも年齢制限があるようだが、日本ではまだそこまでされない。
生理ちゃんの漫画は海外出版企画において、作者の他作品が問題視され出版見合わせとなった。
この感覚の遅れを提供側が自覚できないと、今後日本の漫画アニメなどの創作物は海外市場へ持って行こうとした時に似たようなトラブルを起こす可能性が高くなると思う。

このように問題認識が無ければ感知できない問題というのはあるのだが、無意識に感知しないようにしている側面もある。

厄介ごとは知らない方が楽である。
同情や共感をしてしまえば苦しいだけだ。
自分が容認してきた世界、或いは好きだった世界に、批判要素を見出さねばならいかもしれない。

自己の精神を守る為にはある程度必要な作用であり、意識的にコントロールしていく必要がある場合も多いと思う。

しかし内包する問題点に気づき、内部から革新できなければ、ゆくゆくは外側から淘汰されることになる。


この自分にとって不利だったり、自分も傷ついてしまうような要素を意識から除外する、という働きが、顕著に作用しているのではないかと推考されるのが、性的なコンテンツに関する情報認知のバグである。

その1冒頭に登場した人物は、問題の漫画の加害性について、全く認知できていなかった。
叱責を受けた後の反応も予想通りであり、精神的成熟度が低いと言わざるを得ない。

ある意味子どもらしい純粋さと脆さを色濃く残している状態であり、この人物の精神にとって、性犯罪の現実は受け止められないものなのかもしれない。
性加害思考の人物は作品の中の加害要素をよく理解し、それを性加害テーマの読み物として愉しめるだろう。

実際の未成年者であれば、性的な衝撃度が高いコンテンツを与えること自体が性虐待に当たるとされている。
性的な物へ嫌悪感を持つ原因のひとつでもある。
このショックが未発達の脳に悪影響を及ぼす可能性があるとも言われているようだ。

そういえば自分も若い頃、男性のスネ毛など含めた体毛がムリ…となっていた時期があったが、確かTVで放送されていた性教育現場の様子で、局所がやけにもじゃった人形が使われているのを見た事が拍車をかけたかもしれない、と今思い至った。。
高校生か大学生くらいの話だったと思うが、こういう感性には個人差があるので難しいところだ。
家族のスネ毛が薄かったこともあり、子どもの感覚的に体毛濃いめの男性が元々怖かったのかもしれない。
何がどう繋がるかわからないものである。
因みに高校生くらいの頃というのは母親に対する生理的嫌悪感が酷く、更にミソフォニア(音嫌悪)的症状が酷い時期でもあった。

デフォルメの方が気持ち悪かったり、より感覚的真実味があったりする事もままある。
ちょうど問題の漫画のように。


さて件の人物は、AVばかり視聴して過ごしていたことを申告している。
心身共にエネルギー低下を起こしていた場合、性的な事象でエネルギー補給しようという欲求が湧き起こるのは自然であるが、なかなかここまで潔く開示する人は居ない。
精神的に弱っている状態だったようなので、判断力が鈍っているところへ特定の情報が刷り込まれた状態であったとも言えるかもしれない。
誰にでも起こりうる状況ではある。

この人物の認知で興味深かったところは、愉しむ為の免罪符足りうる情報を突出してピックアップし、その他の情報をかなりバッサリと認知していないところで、これまで見てきた正常認知に疑いを持たれていた人々と共通しているが、特に顕著で無意識度が高いと感じた。

先に触れた日赤のポスター案件でも、免罪符情報を持ち出してくる思考回路が散見されたが、ここまで無意識ではなかったと思う。
特に社会的にこの思考回路を容認していくと、行き着く先は黒川開拓団のような事例の容認であり、社会的奴隷状態にある一般市民の容認である。
何かの大義名分の為にあなたの人権、犠牲になってね、ということを見過ごしていってはいけない。

認知情報の無意識的選別というものは、自覚して修正しようという意思があれば、徐々に訓練していくことによって改善すると思うが、自覚がなければなかなか難しいだろう。

見えているもの(ここでは性加害要素)を認知しないように、無意識に修正して情報を読み取る、或いは読み取らないという傾向が多くの人に認められるのは、AVに顕著な世の中の情報に性加害要素が溢れかえっているという事が大きいのではないかと思う。

とりわけ性的なコンテンツを楽しむ為には、そこに含まれる強烈な加害要素や現実離れした要素は、通常の嗜好の人にとっては邪魔なものだろう。
愉しむ為に見ているのに、幼児語が気になるとか、こんな奴いねえとか、赤ちゃんプレイに見えてしまったりとか、これは暴力だろうとか、犯罪や人権問題が気になってきたりなどは、おそらく大変邪魔な意識である。
そういうことはとりあえず考えないようにしようという思考の放棄が繰り返されることになる。

創作物を楽しむ為にはある程度必要な脳内作業ではあるが、加害要素など様々な問題要素が加味されたエロコンテンツを快楽目的で摂取する場合は別格に強力に行われるだろうと思う。

意識的ならまだしも、無意識にこの訓練を反復に反復を重ねて脳の認知がそれをマスターした状態というのは、なかなかにホラーである。
自分を傷つけるような都合の悪いことは認知せず、考えないという訓練をした脳が、機能低下していくのは想像に難くない。

多くの人々の中に、こういった認知回路が構築されてはいないだろうか。
政治問題、環境問題、その他の社会問題、かなりの人々の思考回路の中に、致命的問題の認知を回避して考えない傾向があるように言われている。
正常性バイアスと言われるものと相乗効果をなしているように思えてならない。


見たい情報だけを認識するという認知の改変について考えていた時、ちょうど流れてきた画像がわかりやすいと思ったのでリンクを載せておく。
自分にもなかなか認識できない領域というのは存在しているし、見ないようにしてしまっていることもあるが、少なくとも見えていない事があるかもしれないという事は意識していたい。

https://vaience.com/psychological-test/20200110-first-look-animal-right-now/

半透明のレイヤーで様々な生き物のイラストが重なっている画像だが、自分の意識が向いている情報は受け取りやすく、そもそも知識がなければ存在を認識することは困難である。
苦手だからこそ真っ先に目に入るという場合もあるが、どちらにしろそのテーマに意識が向いているということだろう。

未成熟な精神が性的コンテンツを見た場合のダメージとはまた別に、成熟した精神であっても、大抵の人にとっては性加害や人の尊厳の蹂躙は、精神的なダメージを被る情報である。

精神的ダメージを修正しようとして、よりダメージを含む情報を摂取していき、無限ループに陥るということも考えられる。

ポルノの脳への悪影響というのは、成人の場合、それが性的な情報であるからというよりは、そこに加害要素、差別要素、暴力や人権蹂躙要素が含まれているということが大きな理由であるのだろう。
これの識別が出来る人材が現在の主な制作側に育つかどうかというと大変な疑問がある。
新しい担い手と、受け取り手側の積極的な意識のアップデートも必須だと思われる。

下記のような情報も流れていたが、それはそうだろうなと思う。
子どもほど同じことをやってみたいと思い、性的刺激と共に刷り込まれた情報ほど、性的欲求と強く結びつき、欲求を喚起するトリガーになるだろう。
私の年代だと、子供の頃に創作物から影響を受けた子から、スカートめくりや背後から胸を掴むなどと言う性暴力被害に遭った人は多い。
これもどうやら加害者は大したことないと思っている事が多いようだが、人としての尊厳を蹂躙され、突然の暴行を受けた方は、その衝撃を忘れることはない。

(特に男性向け創作物では男性器への衝撃は激しく痛いものとして表現されるのに、胸を掴まれたりする女性の痛みが少しでも表現されることはほぼない、ということも無意識な思考誘導の訓練であるだろう。)

暴力的ポルノが性暴力衝動の発散になるという意見を述べる人もあるようだが、多少の効果がもしあったとしても、それよりも弊害の方が大きいと思う。
より強く暴力衝動と性衝動が結びき、更なる刺激を求めて暴力性がエスカレートする危険性が高い。
暴力衝動は格闘技でもした方がよほど発散されるだろう。
性衝動から暴力衝動を切り離すという面においても、性的な事柄以外で身体酷使をした方がいいように思う。

性衝動と結びつくことにより、500円玉で欲情するようになったという話も目にしたが、割と些細な事が性的な感受性と結びつくことになると思う。
畳の香りが結びついているという話も見たことがある。これがポルノに頻繁に見られる性対象のビジュアルやシュチュエーションに関するものと強く結びつくとまた厄介だと思われる。
私も金属の塊を見てセクシー!と思う事があるが、最初の心当たりを探れば、アニメのキャラクターなどの何かと結びついてしまっているというところだろう。

性的有害情報に関する実証的研究の系譜
https://www.taf.or.jp/files/items/555/File/P221.pdf

引用 ”科学警察研究所が1997~98年にかけ、強姦や強制わいせつで逮捕された容疑者を対象に影響調査11を実施した。その結果によれば、33%が「AVを見て、自分も同じことをしてみたかった」と回答している。少年に限ると、その割合は49%に上る。”
 ”ネット上で児童ポルノにさらされると「児童を性的対象と見なす」「児童をモノ化する」「被害者の苦しみへの想像力が麻痺(脱感作)する」、といった影響を受けることも示された。”


性依存患者の深刻な実態
https://toyokeizai.net/articles/amp/321728

"性依存者の平均像は「高学歴で、働き盛りの会社員」。被害者に対する罪悪感は少なく、自分の興奮や快感だけを求める加害者が多いことが特徴"
30~40代男性が7割、「性依存症」の深刻な実態

"「どうしてそんなことをするのか」と聞くと、答えは「自分でもわからない」。うまくいくと「スリルと快感、達成感を得られるが、罪悪感を持つことはない」──他人の感情への無関心や社会的規範を無視し、相手を性の対象としてしか見ない「反社会的パーソナリティー障害」"
"痴漢行為を始めてから専門治療につながるまで、平均で8年かかります。彼らは週に平均2~3人に痴漢をします。毎週2~3人に対する痴漢を治療につながる8年間しつづけたら、単純計算で1000人はくだらない計算に"


私たちは男性と女性から生み出され、両親の要素を内在している。
遥か先祖代々から連なる男女の身体の一部が、今ここで生きている。

性とは人間存在の根本である。
性への侮辱、性への暴力は、自己存在への否定であり、己を含む地球生命への暴虐だ。

破滅意識を秘めた集団は自虐自滅へ向かうしかない。

最初にできるのは、自分の中の破滅意識と向き合うことであると思う。

立て続けに性暴力や性差別の話題に触れて、予想以上に疲弊してしまった。
書くことで自分の中を整理しモヤモヤした想いを落ち着かせることもできるが、この話題を追っていると、必ず本人が語る体験談と、悲痛な魂の叫びに出逢う。
私自身も思わぬ情緒不安定に見舞われたので、少しこの話題から距離を取りたい。


過去の出来事は何も変わらず今ここにある。
それを感じ考える現在の自分の状態が刻々と移り変わるだけである。
忘れていたとしても、存在しないわけではない。
空間に放たれたたったひと言も、消滅したりはしない。

そろそろ引いた方がいいかなと思いつつ、ついモヤモヤへ向かって突っ込んでいってしまったりするのだった。

怒鳴られた事、殴られた事は無くならないし、酷い言葉は記憶の底で響き続ける。
人類の集合意識に淀む暴力の連鎖の記憶が、安らぐように祈りたい。


人間の中に存在する暴力的欲望を直視し分析し、どのように扱いどうコントロールしていくのか?
これも人の歴史の中で繰り返し数多の人物が向き合い取り組んできた問題である。
救いと赦しを求めているのは、このモンスターも同様だろうが、次の世界へ行くのか、地獄へとどまるのか、自分自身が選択し続けなければならないのだろう。


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