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Oh No - Bring Me The Horizon【和訳】

"だから自分が何を願うのか、よく気を付けるんだ"

Title:Oh No (2015)
Band:Bring Me The Horizon (2004-present)
Album:5th Album "That's The Spirit"
Vocal:Oliver Sykes
Lyrics:Bring Me The Horizon


You don't have to lie,
I know exactly where you've been
'Cause you're chewing off my ear while you're chewing on your chin

 嘘を吐かないで
 どこに行ってたのか、僕にはちゃんと分かるんだ
 喜んだ君はショッキングで強烈な表情をしていて
 信じられないほど喋り続けているからね

No we're not on the level
you're just off your face
It's not a state of mind though,
your head's just in a state

 誠実なやり取りは僕らにはできない
 君が酷く酔った顔をしているから
 君は滅茶苦茶な状態で
 視野が狭くなって混乱しているんだ

I may be on the outside but you're empty within
It's getting kind of old now,
I think it's time to pack it in

 僕はすっかり冷めてるのに
 君は空っぽだから、続けてしまうんだろう
 そうやって老いていくだけなら
 今こそが、身にならないことをやめる時だと思うんだ

Don't call it a party 'cause it never stops
Now one is too many but it's never enough

 そんなものをパーティだなんて呼ぶなよ
 延々と続いていくものを
 それは掴んでも掴んでも残っているのに
 決して気持ちが満たされることはないんだ

Don't tell me you're happy 'cause this isn't love
So be careful what you wish for

 それで幸せだなんて、ふざけたことを言わないで
 これは愛情じゃない
 だから自分が何を願うのか、よく気を付けるんだ

Who you tryna fool?
You know you're in over your head
Cause you're holding onto heaven but you're hanging by a thread

 誰が君を愚かにさせている?
 君ですら君自身が手に負えない状況だ
 だって天国にすがりつく君の姿は、まさに風前の灯だ

And we're not on the level,
you're just off your face
It's not a state of mind no, your head's just in a state

 誠実なやり取りは僕らにはできない
 君が酷く酔った顔をしているから
 君は滅茶苦茶な状態で
 視野が狭くなって混乱しているんだ

I may be on the outside but you're empty within
It's getting kind of old now,
I think it's time to pack it in

 僕はすっかり冷めてるのに
 君は空っぽだから、やってしまうんだろう
 そうやって老いていくだけなら
 今こそが、身にならないことをやめる時だと思うんだ

Don't call it a party cause it never stops
Now one is too many but it's never enough

 そんなものをパーティだなんて呼ぶなよ
 延々と続いていくものを
 それは掴んでも掴んでも残っているのに
 決して気持ちが満たされることはないんだ

Don't tell me you're happy cause this isn't love
So be careful what you wish for

 それで幸せだなんて、ふざけたことを言わないで
 これは愛情じゃない
 だから自分が何を願うのか、よく気を付けるんだ

Don't call it a party cause it never stops
Now one is too many but it's never enough

 そんなものをパーティだなんて呼ぶなよ
 延々と続いていくものを
 それは掴んでも掴んでも残っているのに
 決して気持ちが満たされることはないんだ

Don't tell me you're happy cause this isn't love
So be careful what you wish for

 それで幸せだなんて、ふざけたことを言わないで
 これは愛情じゃない
 だから自分が何を願うのか、よく気を付けるんだ

――――――――――――――――――――――――――――――――――


 こんにちはSeigaです。
 早速ですが、この楽曲について概略するため、以下の3つをまとめます。

 ■Oliver Sykesの言う「何を願うか、気を付けろ」とは
 ■ドラッグとの関連性
 ■多面的表現となっているMusic Video

 上記3つを超要約すると、ボーカルOliver Sykesへのインタビュー(WikipediaおよびKerrange!)にまとめられています。まずはインタビューとその和訳を記載し、個々について掘り下げる形で展開していきます。

In a track-by-track commentary of That's the Spirit for Spotify, Sykes explained that "'Oh No' is meant to be like this anti-dance song ... it's all about people who live for the weekend and people that's [sic] my age, 30 something or older ... still trying to live like [they're] 18 or 21. They're trying hard to have fun they don't even realise that they're probably not even having any". The song also features references to drug addiction. The "anti-dance" lyrics are intended to juxtapose the dance-heavy style of the song, which the vocalist added is meant to sound "like something you'd hear in a club". Speaking about the brass section and saxophone solo, Sykes explained that he "wanted this final part of the album to feel like when the lights come on at a club or a bar and you get that slightly shitty song feeling. It's like all good things must come to an end."
 Spotifyのアルバムコメンタリーにて、Oliはこう説明している。
 「Oh Noはアンチダンスソングのような意味を込めているんだ。それはこういう人について歌っている…週末のために生きているような人々、18歳、21歳の時と同じような生き方を続けようとしている僕と同年代やそれより上の人たちに向けて。彼らは、自分が何も持っていないことに気付きもせず、楽しむことを手に入れようと躍起になっているんだ」
 他にも、この曲はドラッグについても示唆している。
 「アンチダンス」な歌詞は、激しいダンスのようなこの楽曲との対比になっている。Oliは加えて、「クラブで音楽を聴いているような」と述べている。ブラスパート、サックスフォンソロについてはこう説明している。「クラブやバーで明かりがついていくような、終わりの部分を表現したかったんだ。聞いている人がちょっとだけ不愉快になるようにね。良いことは長くは続かないもんだからさ」

The clip switches between a hostage situation, footage of the band performing a recording studio and a group of producers and engineers behind a mixing board.
Sykes told Rolling Stone that the visual is the first time he's let the director take full creative control. "At first, I was apprehensive, but when it all came together I was psyched on it," he said. "It's got a good balance of humor and meaning, and it's a video that leaves you with a lot of questions."

 このビデオは、人質事件、バンドレコーディングのフッテージ、ミキシングボードの前にいるプロデューサーとエンジニアという3つの場面が切り替わる。
 Oliはこの楽曲で初めて、Rolling StoneのディレクターにMV制作の権限を任せることになったという。「最初は不安だった。だけどすぐに"うまくいく"と直感したんだ」「ユーモアと意味のバランスがうまくとれていて、見た人にたくさんの問いかけをするビデオに仕上がったと思う」

■Oliver Sykesの言う「何を願うか、気を付けろ」とは

 突然ですが、若さの象徴の一つに「刹那的な享楽」があると思います。
 高校受験や大学受験を終えた後のモラトリアム、自分が親の庇護のもとにあることが前提で形成された世界観が語り出す攻略法、快楽も何もかも正当化でひっくるめて都合よく肯定する自己弁護。日本人でも、高校生や大学生の時分にこういった時期ってありませんでしたか。自分は既に特別だと、ありのままでいいんだと身の回りの全てに自己の在り方の正解を二元論で吹聴し、それを自分の怠惰の正当化に使ってしまう時期が。
 そして自身が過ごしたこういった時間に対して、後悔として負い目を感じているたちが一定数います。「もっとこういうことをしていれば」「あんなことをしなければ」と、過去の時間に対し、繰り返すべきでない失敗という評価を下しているのです。

このような人間は、その時期にある若い人と会話をするとき「もっとためになることをしろ」と表明することが時折あります。
 しかしこれは、自分の過去を弁えればいささか説得力のないものです。なぜならその経験こそが、その人を形作っている可能性があるから。同じことをするなと言うのは、でもそれをやったからこその今のあんただよね?と言われると、「俺みたいな人間になるな」としか言い返せないし、「俺みたいな」と自分を卑下する人の言葉を他人が聞き入れるかは果たして疑問です。客観的によっぽど上手く行っている人が、数ある挑戦の中で一度や二度やってしまった経験ならばともかく、モラトリアムといった長い時間をかけて醸成する経験は、人間性や価値観を形作ってしまうので、それを経ない人間は説教する立場の人間ですら想定しえない全く別物になってしまう可能性があります。そんな不確定性を孕んだ「もっとためになることをしろ」というアドバイスに説得力はあまりないのです。
 このあたりは、以前に同バンドの過去楽曲Home Sweet Holeを訳した時にも述べました。長い間やってしまったことに対して「やるな」と言うのはイマイチ説得力にかけるし、むしろそれが聞き手にとってあこがれの人物ならば、むしろ模倣してやりたくなるものだよな。という話です。

 ただ、事実薬物依存を体験したアーティストが、その体験を基に描いた楽曲が存在するのは確かで、そんな楽曲で成功を収めるのは、「薬物はいけないよ」とアーティスト自身は言いながらも、でもやっぱりあの体験があったからこそのこの曲である、そんな事実を公言している……と言われても間違ってはいないでしょう。
 こういった薬物依存をテーマにした楽曲の存在を認めるか否か、という論争の原因にはなります。

 何を言いたいか結論を言うと、Oliは「同じ轍を踏むな」という意図でOh Noの歌詞を書いてるわけでは恐らく"ない"よ、ということです。そんなものは過ぎたことで、今からこれからのOliにはコントロールできないし、自分の過去をもとに他人の人生にケチをつけることをしたいわけじゃない。

 楽曲の話に戻ると、Oh Noの歌詞では、ボーカルであり作詞者のOliver Sykesが、刹那的な享楽について否定的な見解を述べています。
 ただし、2点注記すべき点があります。
 ①この楽曲のメッセージは18歳や21歳といった若い人に向けてではなく、30代に差し掛かった彼自身と同等か、それ以上の世代の人々について歌っているということ。「その歳になってまだ昔と同じようなことやってんの?」と言っているということ。
 ②昔と同じことをしていること全てをひっくるめて「まだやってんの?」と言っているわけでは"ない"ということ。

 要約するとこの楽曲は、モラトリアムを否定するものではないし、若いころの時間や価値観のすべてが無駄だと言っているわけではないということです。
 では何を言っているかというと、「こんなに歳を取ったのに、まだ空っぽの自分のまま、空っぽであり続けるためのモラトリアムを継続してんの?」ということ。
 あくまで昔に対する忠告ではなく、自分の世代に対しての意見と言う形で、恐らくOli自身に対しても警鐘を鳴らしているのだと考えられます。

 これを踏まえ、インタビューより再度引用します。

"'Oh No' is meant to be like this anti-dance song ... it's all about people who live for the weekend and people that's [sic] my age, 30 something or older ... still trying to live like [they're] 18 or 21. They're trying hard to have fun they don't even realise that they're probably not even having any".
 「Oh Noはアンチダンスソングのような意味を込めているんだ。それはこういう人について歌っている…週末のために生きているような人々、18歳、21歳の時と同じような生き方を続けようとしている僕と同年代やそれより上の人たちに向けて。彼らは、自分が何も持っていないことに気付きもせず、楽しむことを手に入れようと躍起になっているんだ」

 楽曲を紐解く上で最も重要な情報がこのインタビューです。
 特に"So be careful what you wish for(何を願うのか、よく気をつけるんだ)"という言葉が何を示しているか、冒頭で端的に表されています。

 彼はクラブやバー、そこで催される音楽とダンスに向けて否定的な態度を示しています。ただ、前述のとおりそこにいる人全てや文化そのものを攻撃しているわけではありません。
 一時の享楽を10年20年とだらだら続けている人、そこに情熱があるのではなくただ空っぽの自分を満たし享楽的に楽しむためだけに通い続ける人、自分の時間に目を向けず空っぽの自分を埋めるためにそこにあり続ける人に対して、「何を願うのか、何を望んでそこにいるのか、気をつけろ」と言っているのです。

You don't have to lie,
I know exactly where you've been
'Cause you're chewing off my ear while you're chewing on your chin

 嘘を吐かないで
 どこに行ってたのか、僕にはちゃんと分かるんだ
 喜んだ君はショッキングで強烈な表情をしていて
 信じられないほど喋り続けているからね

 そういう人達は、自身が何をしているのか嘘を吐く傾向にあり、落ち着いた顔ではなく強烈に歪むほど喜んだ顔、つまり酔ったような顔をしているとOliは言います。

No we're not on the level
you're just off your face
It's not a state of mind though,
your head's just in a state

 誠実なやり取りは僕らにはできない
 君が酷く酔った顔をしているから
 君は滅茶苦茶な状態で
 視野が狭くなって混乱しているんだ

 一見喜びに満ちているような彼らですが、それは無理やり視野を狭めて楽しんでいるだけの行為だとOliはいいます。彼らは日々の不満を埋めるための享楽的活動を年を取ってもずっと続けており、それは自身や周囲のごく一部しか見ない状況で続いている。だから、彼らは他者と視野を共有する気概や余裕など持ち合わせていないし、そんな二者間では意見交換に強烈な齟齬が生じて当たり前ということです。一見ポジティブなのに、それは帽子を目深に着て視野を狭めることでしか成り立たない世界だから、早い話、話にならない。

I may be on the outside but you're empty within
It's getting kind of old now,
I think it's time to pack it in

 僕はすっかり冷めてるのに
 君は空っぽだから、続けてしまうんだろう
 そうやって老いて行くだけなら
 今ここで、身にならないことを辞める時だと思うんだ

Don't call it a party 'cause it never stops
Now one is too many but it's never enough

 そんなものをパーティだなんて呼ぶなよ
 延々と続いていくものを
 それは掴んでも掴んでも残っているのに
 決して気持ちが満たされることはないんだ

 最初に「重要なこと」の2点目として挙げましたが、この楽曲はクラブなど象徴的に用いられている対象や、抽象的な言葉に対して、それが当てはまる全てに対して否定している意図は恐らくありません。Oliは「延々と続いていくもの」「決して満たされることがないもの」の全てに対して馬鹿馬鹿しいからやめろと言っているわけではないということです。
 このコーラスの歌詞だけを切り取ると、何か変わったことをし続けろ、明らかに成果が出て見切りを付けられることだけをしろ、という風に見えてしまいがちです。

 どういうことかというと、日々の仕事とか学校の勉強とか、あるいは自分が最も関心を持っている物事とか、直視して真剣に取り組むことで自分をより良い場所に持っていく出来事も、「延々と続いていく」し、「決して満たされることがない」がないのです。ですが一方で、これらは享楽的にやることではなく、やり続けるにはある種の覚悟と広い視野を持たなければいけません。周りに盛大に反対されることもあるし、成果が出なければ活動を続けるリソースを打ち切られることもあります。成果を出すためには、周囲が何を求めているのか、それを自分の関心の範囲でどう満たしていくかを考えなければなりません。これは「信じられない顔で一方的に話している状況ではない」ですし、「話にならないわけでもない」です。視野を広く持ち、相手の言うことに関心を傾けることで、相手が何を求めているかが分かり、どんな成果を出せばいいか理解できるのです。
 自分の関心や仕事を続けている人は、多くの場合他者に耳を傾ける余裕があります。そうではなく自分の享楽や逃避のためだけに、永遠に打開することのない状況を選んでいる人は、彼らの狭めた視野の中でしか話ができません。これは、自分で自分の首を絞める行為であり、自ら道を開けてくれる他者との通路を断ってしまう行為なのです。そのような享楽は、一時的には自分を救ってくれるかもしれません。でもずっと続けている限り、視野は狭まり、井戸はどんどん深みを増し、誰も手の届かない場所へと、自ら、しかも気付かず正当化を繰り返して潜って行ってしまいます。
 一時的ではなく、ずっと、延々と、このような袋小路を自ら選んでいる人に対して、Oliは言うのです。

Don't tell me you're happy 'cause this isn't love
So be careful what you wish for

 それで幸せだなんて、ふざけたことを言わないで
 これは愛情じゃない
 だから自分が何を願うのか、よく気を付けるんだ

 享楽的で袋小路から脱せないような幸福感を提供する何かは、愛情を持って君に接しているわけじゃないんだよ。視野を狭めるだけの依存的な関係は、物であれ人であれ、自分がその時間を過ごすことで何を得るのかをよく考えて選ばなければ、empty(空っぽ)になってしまうよ
 Oliが言っているのはおそらくそんな感じです。

■ドラッグとの関連性

 楽曲の歌詞考察投稿サイトGenius Lyricsではやたらと楽曲とドラッグの関連性が語られる傾向にありますが、例に漏れずこの楽曲でもドラッグに関する高評価コメントが8割程度を占めています。
 でもOliは実際にドラッグ依存の経験があるし、依存とそこからの脱却が歌詞のテーマであると解釈されるのは、見方の一つとしては妥当とも思えます。

 Oliのドラッグ経験についてはOli自身が26歳の時、Alternative Press Music Awardsの授賞式で語っています。

“I want to say something that I never thought I’d actually talk about. Before we wrote 'Sempiternal' I was a f--king drug addict. I was addicted to a drug called ketamine; I was on it for years and I was f--ked off my head.
My band wanted to kill me, my parents wanted to kill me and my f--king brother wanted to kill me; everyone wanted to kill me, everybody wanted to f--king take me to hell, but they didn't. They stood by me, they supported me through all of that s--t and we wrote 'Sempiternal' because of it.
No one f--king knows, no one f--king knows this, but I went to rehab for a month, and through that time, as well as my f--king band and my family, you guys – you had no f--king idea that I was in rehab – but you were sending me letters, you were sending me texts, you were sending me f--king emails.
And when I got out of that rehab I didn’t want to f--king scream anymore, I wanted to sing it from the f--king rooftops. And it’s all thanks to you, so thank you very much.”

 僕が絶対に話そうと思わなかったことについて、これから話したいと思う。Sempiternal(注:BMTHの4th Album。Oh Noが収録されたのは5th Album)を訳するより以前、僕は、本当にバカなことに、ドラッグ依存の状態になっていたんだ。僕はケタミンと呼ばれるドラッグを、長い間、ロクに考えもしないで服用していた。
 バンドが僕を殺したがっている。父さんや母さんが僕を殺したがっている。兄弟が僕を殺したがっている…みんなが、誰もが僕を殺して地獄に落とそうとしている。そんなことばっかり思っていた。だけど、事実は違ったんだ。みんなは僕の行動をじっと堪えて、支えてくれた。Sempiternalが出来た背景は、こういった出来事にあるんだ。
 誰も、誰も知らないことだろうけど、僕は一か月リハビリに通って、その間バンドや家族、そしてみんな――僕がこんな状況にあるだろうとは到底思ってもないファンの君たち――から、手紙やテキスト、メールが送られてきた。
 そうしてリハビリを終えた僕は、もう誰かに"叫びたい"と思わなくなっていた。ただありふれた、屋根の上から、このことを"歌いたい"と思ったんだ。それはみんなのお陰だ。本当にありがとう。

 Oh Noにもドラッグとの関連性が見受けられると多数のコメントが寄せられており、その中から一部選びます。

◎You don't have to lie~の部分。「刺激剤のような人間になりつつある」

You don't have to lie,
I know exactly where you've been
'Cause you're chewing off my ear while you're chewing on your chin

 嘘を吐かないで
 どこに行ってたのか、僕にはちゃんと分かるんだ
 喜んだ君はショッキングで強烈な表情をしていて
 信じられないほど喋り続けているからね

Here the Voice of the song seems to be talking somebody who is still addicted to recreational drugs.
‘You don’t have to lie, I know exactly where you’ve been’ – here he talks to whoever this person is telling them he knows that they’ve been to a party or some ever event to take drugs.
This person is likely on some kind of stimulant since they are talking a lot ‘chewing off my ear’ (presumably with speech) and ‘gurning’ or chewing literally because of the effects of said drug.

 この部分は向精神薬の処方中に他者と話しているかのように見える。
 「嘘は良くないよ、君がどこに行ってたのか知ってる」
 彼らはドラッグパーティやそれに準ずるイベントに行っているとOliは知っている。その人物はうんざりするほどよくしゃべって、衝撃的な表情を見せている。ドラッグの効果によって、刺激剤のような人間になりつつあるということだ。

 chewing on your chinとは「自分の顎を(奥歯で)噛む」ということですが、一見何を言っているのか分からないと思います。これは俗にいう変顔で、BMTHの活動拠点であるイギリスで使われる言葉のようです。
 興味のある人は、このコメント中にもある"gurning"で画像検索すれば、忘れられない衝撃的な顔がたくさん出てくるので直感できると思います。
 (割と閲覧注意。脈絡なく目撃すると普通に恐怖を抱くと思うので、「変顔」なんだな、ということを意識していただければと)

 まるで"gurning"しているかのような衝撃的な表情で喜びを表明しているというわけですが、そりゃあ、正気の人間だとは思わないわけです。
 だからOliは「その顔と一方的な喋りを見聞きすると良く分かるよ。どうせドラッグパーティに行ってたんでしょ?」と言っているわけです。

◎we're not on the level~の部分。
 「ドラッグで噴出するのは本当の願いなんかじゃない」

No we're not on the level,
you're just off your face

誠実なやり取りは僕らにはできない
君が酷く酔った顔をしているから

This line is a response to the addicted person in question. He is denying that the drug is putting them on some kind of other spiritual ‘level.’ Instead, he is accepting the reality of the situation of them being ‘off their face,’ meaning that they are not expressing their true desires nor emotion–especially seeing that the most common behavioral symptom of drug addiction is unexplained mood swings or irritability, as well as suspicious behavior unusual to the addict.
 この部分は、麻薬常用者の質問に対する返答になっている。
 彼はこう否定する。薬物の使用と未使用が我々を異なる魂のレベルに隔てることはないと。
 むしろ彼は“off their face”という状態が意味するところについて、こう受け入れている。off their faceという状態は、彼らの本当にやりたいことや、本当の感情を表現しているのではない。ただドラッグのありふれた症状を示しているだけだ。説明のつかないほどの気分の上下やいらだちを繰り返し、疑われるほどの非常識なふるまいを、ドラッグによって引き起こされているだけなんだ、と。

 off one's faceとは「(酒、ドラッグなどによって)酔った状態」を指します。ドラッグが引き起こす、服用者の異常な行動について「その人自身が本当にやりたい欲求、本当に持っている感情なんだ」という論調を持つ人がいて、これを真っ向から否定する態度を示しているのがこの歌詞ではないか、というコメントです。
 「ドラッグが本性を暴き出す」というとドラッグが身近ではない一般の日本人にはピンとこないかもしれませんが、「ドラッグ→お酒」という置換するとかなり理解しやすいのではないかと思います。

 ところで酒のくだりについて、これは一部誤りを含んでいると考えます。酒が暴き出すのは確かに飲用者の本性かもしれませんが、それはその一部にすぎないと思うのです。酒は酒が引き出しやすい感情しか引き出せない。ドラッグはドラッグが引き出しやすい感情しか引き出せない。
 なぜそう思うかと言うと、色々根拠はあると思うんですが、たとえば七つの大罪というキリスト教を原義とする考えを基にすれば導き出せます。

(前略)「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳している。
日本語:傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰

 その人が持つ考えというのは画一した1つや2つの考え方ではなく、複数の情念によって構成されているんだ。というのが、七つの大罪やら五行やらといった古くから伝わる考え方(=多くの人、世代を超えて人間が納得できる考え方)からも分かると思います。
 ようは酒やドラッグによって本性が暴き出されるなんておかしくて、そもそも酒やドラッグが表出させる性格はその人の持つ「一面」に過ぎないだろう。という話です。本性を暴くために、本当の願いを知るために使えるんだ!なんていう、破綻したロジックは、それって使用することを正当化しているだけじゃない?という。
 お酒そのものがダメだと言っているわけじゃないんですが、もし「本性を曝け出せるから良い」というロジックを使っているなら、それは苦しいところがあるんじゃないかなあ。それだけの話です。

 だからOliは、「ドラッグが必ず本当の願いや感情が暴き出すなんてことはない。それはドラッグが持つ性質の一つに過ぎない」と言うのです。

◎It's getting kind of old~の部分。「(楽しくないなら)止めようよ」

It’s getting kind of old now, I think it’s time to pack it in
 そうやって老いていくだけなら
 今こそが、身にならないことをやめる時だと思うんだ

He is suggesting the addict to stop what they are doing to get clean by telling them to “pack in” their addiction history and inner suffering that caused the drug intake in the first place as a form of assurance.
 彼は今よりよくなるために薬物を使うことをやめるべきだと伝えている。薬物が原因の苦しみだとそもそも分かっているのなら、「(楽しくないなら)やめる」ように伝えているのだ。

 pack inの意味の一つに、イギリスでよく用いられる用法として「楽しんでいない仕事や活動をやめること」とあります。面白くないのにダラダラ続けてるだけのことならやめようぜって話。薬物を使うのは今の状態より良くなるためのはずなのに、それに依存したり、禁断症状という反作用で今よりずっと苦しむくらいなら、ここで綺麗さっぱり辞めるべきだということです。
 Oli自身依存と脱却の経験があるため、この言葉は単なる上から目線だけではない説得力はあると思います。

◎Don't call it a party~の部分。「一度限りと思ったことが永遠に続く」

Don't call it a party cause it never stops
Now one is too many but it's never enough

 そんなものをパーティだなんて呼ぶなよ
 延々と続いていくものを
 それは掴んでも掴んでも残っているのに
 決して気持ちが満たされることはないんだ

Oli’s warning the addict or person under the influence that what they’re doing isn’t just for a party, or a one night thing, it turns into an addiction that will go on forever. This harks back to the theme of addiction and meaning of Sempiternal. It might start as just a once in a while drug but will surely become an addiction.
 Oliは薬物の処方や、人間が自身のやっていることに夢中になっていることに対して、それはパーティじゃないし、一夜限りのことではないし、ずっと続いてしまうものになってしまうことを警告している。
 彼は薬物使用や"Sempiternal"という言葉の意味について思い起こしている。始めは一回だと思って始めたことが、ずっと続く処方になってしまうということだ。

 SempiternalはBMTHの4thアルバムのタイトルであり、「永遠」を意味します。色んなテーマが生まれる言葉ですが、今回においては、「薬物に夢中になることは一時の快楽じゃなくて、永遠にダラダラ続く快楽になってしまう」という恐ろしい点に警鐘を鳴らしているんだ、というコメントです。

 今回の場合、薬物服用がトータルの時間で考えると「果たして以前より"楽しく"なったのか?」という問いかけをしているのだと考えます。一般的に言われる禁断症状という状況でさえ楽しんでしまうガチの人たちには当てはまらないでしょうが、多くの人にとってのドラッグは、空っぽな自分にズブズブ浸るだけの道具になっているのではないでしょうか。
 よく「善いこと」とされる夢中や没頭の全てが良いことではありません。自分の不幸にフォーカスしてそこから救い出してくれるいい感じの物だけをセレクトするのは、ただその人自身がより弱く狭くなっていくだけの危険なものです。耳障りの良い言葉だけを選び取ることは、何年ものスパンで見ると先細っていくだけなのです。その期間、広い視野で様々な考え、様々な状況を経験した人間との差が明らかに開いていくわけですから、例えばその人たちが力を行使してきてドラッグを奪われたとしたら、到底叶わない、もはや生きていけない状況になります。
 薬物依存が起爆剤となったり、そこで得た情報を使って自分を強化できるような超絶バイタルの人間なら、「薬物の全部が悪いわけじゃない」という意見は一理あります。しかし多くの使用者にとっては、ただ都合の良い時間を過ごさせてくれるだけのものであり、そんな時間にその人を押しとどめること自体が、その人が得られる経験値と、そのリソースである「時間」を永遠に奪い続けていく、そんな恐ろしいものになり得るのです。

 まとめると、もし使用者が、そんなモラトリアムなドラッグの時間を過ごすうちに、「これでいいのか?本当に楽しいのか?実は何か不安じゃないのか?自分は空っぽなだけでは?」という疑念が浮かんだなら、それをドラッグの再使用という空虚で埋めるのではなく、本当に続けるべきか立ち返って、場合によっては今こそきっぱりやめるべき時なんじゃないか、という歌詞です。本当に楽しいことは、自分の不安や空虚に目を背けることにはないのでは。そんなサビの歌詞です。
 理想論ではあるものの、本当に克服したOliに言われるものだから、説得力はあります。

■多面的表現となっているMusic Video

 最後に、Music Videoとこの楽曲の関連性について述べます。
 まずはインタビューを再掲します。

The clip switches between a hostage situation, footage of the band performing a recording studio and a group of producers and engineers behind a mixing board.
Sykes told Rolling Stone that the visual is the first time he's let the director take full creative control. "At first, I was apprehensive, but when it all came together I was psyched on it," he said. "It's got a good balance of humor and meaning, and it's a video that leaves you with a lot of questions."

 このビデオは、人質事件、バンドレコーディングのフッテージ、ミキシングボードの前にいるプロデューサーとエンジニアという3つの場面が切り替わる。
 Oliはこの楽曲で初めて、Rolling StoneのディレクターにMV制作の権限を任せることになったという。「最初は不安だった。だけどすぐに"うまくいく"と直感したんだ」「ユーモアと意味のバランスがうまくとれていて、見た人にたくさんの問いかけをするビデオに仕上がったと思う」

 このビデオは一つの出来事を描いたインターカット(場面を次々に切り替えるビデオ)になっており、これについてOliは「観た人にたくさんの問いかけをするビデオに仕上がった」と述べています。ビデオと共に歌詞と関連付けて考えて行きます。

 初見だとまあまあ意味が分からないビデオですが、まずは状況からざっと整理します。流し読みしてください。

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 Oh Noを演奏するBMTHのバンドメンバーと、そのレコーディングの場面から楽曲は始まります。様子を観察すると、何やら今一つ何かが足りない状態で、ここにいる人物はレコーディングがよりよくなる打開策を求めているものだと考えられます。

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 場面が切り替わり、明らかに日本のヤクザ風なおじさんグループが、別のおじさんを拘束する人質事件風なカットが入ります。ヤクザ風グループは拘束されたおじさんの目の前に、蓋のされた大きな木箱を差し出し、目の前でその中身をこじ開けようとします。おじさんはそれに強く抵抗する。
 なんでわざわざ目の前で開けようとするの?というと、何かおじさんから箱の中身や、それを見ただけでは分からない情報を引き出そうとしている可能性があります。つまり、箱の中身そのものと、それに関する情報が、ヤクザ達の求めているものです。
 やがてヤクザ風グループの筆頭格と思われる男が、何かメモを書きとって扉の向こうに戻っていく。

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 扉の向こうは、度々カットで挟まれるレコーディングスタジオでした。ヤクザ風グループの筆頭は嬉々としてメモを手渡し、受け取ったレコーディングエンジニアは、ミキサーの前にそれを置いてレコーディングを再開します。
 再開したレコーディングは何やら大詰めの状態で、良い成果が出る前触れのような様相を示しています。

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 しかしここで、人質にされたおじさんが恐らく同時に憤怒の様相を呈し、未だ蓋のされた箱の中から煙が立ち込めます。
 それと同時に、レコーディングスタジオの電子機器は火花を放ち、器材が録音する音量レベルは規定レベルをオーバーした大音量(クリップ)を示します。スタジオの面々は「これはダメだ」と言わんばかりに落胆し、ヤクザ風グループの筆頭格は状況を怪訝に見つめ、扉の向こうへ戻っていきます。
 戻った筆頭格が見たものは、煙が立ち込め空になった木箱と、誰も座っていない椅子でした。拘束されていたはずのおじさんが、木箱の中身を持って逃走していたのです。

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 逃走を繰り広げるおじさんですが、やがてヤクザ風グループにつかまり、木箱の中身を奪われてしまいます。その木箱の中身とは何だったのか?それは、小さなトランペットを演奏する、瞳を閉ざした紙粘土状の赤ん坊でした。

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 筆頭格は赤ん坊を抱きかかえ、喜びを露わにし、額にキスして、我が子を見るかのような眼差しを向けます。この赤ん坊を、目的のため消費されるモノではなく、愛情を向ける対象としても捉えていることが分かります。
 この間、赤ん坊はずっとトランペットを演奏し続けていました。

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 一方そのころレコーディングスタジオは異常な様相を呈していました。風が吹き荒れ、ライトが点滅し、スタッフはスタジオで踊り狂っています。レコーディングエンジニアはこれまでの苦労が報われたかのような夢中の表情をあらわし、レコーディングはライブのように最高潮を迎えています。先ほどのレベルオーバーによるクリップといった、レコーディングにおいて問題になる事象についても誰も気にしていません。
 その最中、戻ってきた筆頭格は異様な雰囲気に困惑の形相を浮かべる。ここで、スタジオとヤクザの場面が終了します。

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 最後のカットは、拘束されていたおじさんと、箱の中身の赤ん坊が仲良く歩いている場面です。

 さて、色々疑問は残りますが、これらについて類推しながら述べて行きたいと思います。

◎赤ん坊とおじさんはなぜ捕らわれていたのか。赤ん坊は何をしたのか。

 赤ん坊とおじさんが何者か、状況から推測します。

 赤ん坊は恐らく音楽の神様的存在で、赤ん坊を起こしひとたびトランペットを鳴らせば、起こした者の関わる音楽がとても魅力的なものになる魔法じみた力を持っています。ただし、後述しますが大きなデメリットがあり、木箱の中なりに封印されています。この赤ん坊の力にあやかろうとする人たちは、多くの場合このデメリットを甘く見積もる傾向にあるようです。
 おじさんは赤ん坊と切っても切れない関係にある理解者です。また、おじさんが怒ると赤ん坊の入っていた箱が開放されたことから、おじさんの感情が赤ん坊の力を開放するトリガーになるか、おじさん自身が遠隔で爆発を起こすタイプの能力者です。

 何の話やねんって感じだけど、超常的な現象が起こりまくっているので、このMVはたぶん「異能バトルもの」「怪異もの」に準ずる物語です。

 ヤクザ風グループは、クライアントか、はたまた自分達の理想か、音楽のレコーディングを上手く行かせる目的がありました。それが煮詰まったことで、打開策として赤ん坊の力を使用することを企んだのです。
 赤ん坊の在処を知っている、あるいは所持しているのはおじさんなので、彼ごと赤ん坊を連れ去り、赤ん坊を「起こす」ためにおじさんの前で反応をうかがいます。
 おじさんは抵抗し、赤ん坊を「起こす」ことを止めようとしますが、とうとう赤ん坊は目覚めてしまいます。これ以上力を利用されるならと、おじさんは赤ん坊を連れ逃げ去りますが、力の及ぶ範囲外まで逃げることは叶わず、レコーディングスタジオは赤ん坊の能力の影響を受けることになります。

 前述しましたが、赤ん坊の能力にはデメリットがあります。
 赤ん坊は恐らく「躁の音」を操る者であり、この音の影響を受けた者は、自分達の聞いている・作っている音楽が素晴らしいものであるという強い認知バイアスに陥ります。音楽に限定して、一種のトランス状態・躁状態・向精神薬の服用に準ずる効果を使用者に与えます。
 それは上手く使用すれば楽曲の良さを向上するような使い方ができるかもしれませんが、多くの場合製作人は興奮と歓声に包まれ、まともな思考と判断ができない状態になります。
 おじさんはそれが分かっていたし、そんな状態にある人間が何をしでかすか分からないし、上手く扱えない限り誰も得をしないので、とっとと逃げ帰って平穏に暮らしたかったのです。

◎二人は最後、なぜ拘束を解かれ、脱走しているのか。

 これは前記から推察すると、ヤクザ風達が「もう演奏始めてくれたし、俺らの計画は上手く行くから、帰ってええよ」と普通に帰してくれた説があります。或いはこれは描写されていない範囲の推察ですが、ヤクザ風達の筆頭格以外が、赤ん坊の演奏に影響されて我を失い、混乱状態になった説もあるかもしれません。
 とにかく、演奏を始めてくれたので、今回は特に残りの用がなかったと推察できます。
 おじさんも、「あーあ、鳴らしちゃったよ……まあもう手遅れだからな……いいか……」と諦め、赤ん坊と一緒にナチュラルに帰っているのではないでしょうか。そりゃ不幸になってほしくはないけど、もう自分たちは逃げたし、あとは関係ないからなあ。忠告を聞かなかったやつらが悪い。

 あと、赤ん坊は終始目を閉じていますが、おじさんと帰る場面だけは、黒い宇宙人のような目玉を見開いています。

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 有体に言えば、おじさんにだけは心を開いている?あるいは、目が開いて"完全に目覚めた"ことで、遠方のレコーディングスタジオはもはや大混乱に陥っている?色々解釈できそうです。

 さて、ここまで疑問を解消していきましたが、最大の疑問が残っています。「で、この曲とMVって何か関係あるの?ただの創作ビデオで関連性はないの?」というところ。
 それは、「MVの物語において、赤ん坊の力は何を比喩しているのか」。これを考えれば、おのずと答えが出てきます。

◎赤ん坊の力は何を比喩しているのか。

 赤ん坊の力とは、トランペットの演奏を合図に、使用者の音楽を良くする効果をもたらすこと。ただし、それは躁状態の歓喜によるバイアス効果に近く、上手く扱わなければ独りよがりな暴走の音楽になってしまうということ。
 もしここまで飛ばさず読んでいただけたなら、具体的な何かに似ていることが直感できるかと思います。ドラッグです。

 薬物依存が起爆剤となったり、そこで得た情報を使って自分を強化できるような超絶バイタルの人間なら、「薬物の全部が悪いわけじゃない」という意見は一理あります。しかし多くの使用者にとっては、ただ都合の良い時間を過ごさせてくれるだけのものであり、そんな時間にその人を押しとどめること自体が、その人が得られる経験値と、そのリソースである「時間」を永遠に奪い続けていく、そんな恐ろしいものになり得るのです。

 上記は前述したドラッグと歌詞との関連性についての引用です。
 おじさんは恐らく、このドラッグ的な能力を正しく扱える超人側の立場です。特性を理解しており、トランス状態になったとしても心地よく音楽を聴いていられる。赤ん坊の理解者とも位置付けられるでしょう。
 一方で、赤ん坊の躁の音に影響されたヤクザ風グループサイドの面々は、完全な躁状態に陥り、レコーディングの成功には至っていないように見受けられます。

Here the Voice of the song seems to be talking somebody who is still addicted to recreational drugs.
‘You don’t have to lie, I know exactly where you’ve been’ – here he talks to whoever this person is telling them he knows that they’ve been to a party or some ever event to take drugs.
This person is likely on some kind of stimulant since they are talking a lot ‘chewing off my ear’ (presumably with speech) and ‘gurning’ or chewing literally because of the effects of said drug.

 この部分は向精神薬の処方中に他者と話しているかのように見える。
 「嘘は良くないよ、君がどこに行ってたのか知ってる」
 彼らはドラッグパーティやそれに準ずるイベントに行っているとOliは知っている。その人物はうんざりするほどよくしゃべって、衝撃的な表情を見せている。ドラッグの効果によって、刺激剤のような人間になりつつあるということだ。

  この部分も前述の引用ですが、レコーディングスタジオのスタッフは完全に"gurning"や"chewing off my ear(うんざりするほどよくしゃべる、意思疎通ができない)"の状態に陥っています。
 そして、ヤクザ風グループ筆頭格の男が彼らに向け困惑する表情こそが、Oliが彼らに向ける表情と似たものなのです。

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 恐ろしいのは、これはドラッグ服用の一回目に過ぎないという事実です。もしスタッフ集団が味をしめ、「あの能力を再び手にしたい」と考えた時、筆頭格=健常者とスタッフ集団=「自身の空白を埋めようとするもの」の溝はさらに深まるでしょう。だんだん言葉が通わなくなり、両者の間には視野の広さとそれにより得る経験値という差が、能力の使用を止めるまで恒久的に続いていきます。赤ん坊の力は、超絶バイタルの人間が特性を理解して使用しなければ、ただ人間をゆっくりと破滅させる禁じ手なのです。
 ところで、こういう依存と破滅の出来事って、果たしてドラッグや酒などだけで起こることなのでしょうか。たぶんそれだけではなくて、人間関係もそうですし、物事への熱中も、道を踏み外せばこうなる危険性を孕んでいます。ただ、その線引きが個人的にはとても難しいと考えているので、これから考えて行きたいところです。失敗を恐れるというより、「自分の願う対象と別の方向に行ってしまわないか」という意味で、禁忌とは何かを考えていきたいですね。

◎サックスフォンの夜明けと、MVの夜明けの対比

 最後に、サックスフォンソロと夜明けについて色々述べて終わりにしたいと思います。これは「色んな答えのある箇所」なので、筋を通すよりもブレスト的に捉え方を羅列している項となります。

 この楽曲にはサックスフォンのソロが特徴的に取り入れられており、Oliによると「楽しいことはいつか終わる、ということを、若干聞き手を不快にさせながらも表現したかった」と述べています。

Speaking about the brass section and saxophone solo, Sykes explained that he "wanted this final part of the album to feel like when the lights come on at a club or a bar and you get that slightly shitty song feeling. It's like all good things must come to an end."
 ブラスパート、サックスフォンソロについてはこう説明している。「クラブやバーで明かりがついていくような、終わりの部分を表現したかったんだ。聞いている人がちょっとだけ不愉快になるようにね。良いことは長くは続かないもんだからさ」

 まず楽曲にフォーカスすると、この部分は、聴き手にとって快か不快かが明確に分かれると思います。個人的にはよく言われる「余韻」のような感覚になり、曲が終わった後も「ここがよかったな」と振り返れる気持ちになるので、不快感は全くありません。僕としてはその余韻の時間の終わりこそが「良いことが終わってしまう瞬間」なので、もしアルバムの終了が何の特徴もなく唐突に訪れたとしたら、「ええ!?余韻に浸らせてよ!アルバム聴いて終わっちゃうなんてやだよ!」という気持ちになるかもしれません。まあ、逆張りすぎて、面白くて考えちゃうかもしれませんが……
 とにかく、サックスフォンのソロは、僕個人としては非常に心地よいものでした。しかしOliの言う通り、子供の頃遊んだ公園に鳴り響く夕方5時のチャイムのように、もう帰らなければならない、を示す合図と関連付けて「嫌だな」と思う人は、確かにいるのかもしれません。

 ここから言えるのは、終わりに対する捉え方が違うということです。
 僕の場合は、終わりによって別の物事「余韻」が始まっており、終わっているようで物事は連続していて、楽しい時間は終了していないということです。この捉え方だと、結構終わりに対して悪いイメージを持つことは少なく、むしろ終わりというものをあまり意識する必要がありません。端的に言って気が楽だし幸せです。
 対して終わりを終わりと認識し、そこでバッサリ思考と情景を断ち切ってしまったら、もう楽しかった時間に別れを告げて何か全く別のことをしなければならないのだとしたら、ただ悲しい気持ちだけが後を引くことになると思います。
 そうではなくて、物事が終わったのだとしたら、それが続いていた時のことを思い返して、何か別のことに活かせないかとか、ここは聴いてる時は分からなかったけどどうだろうとかをなんとなく考え続けることで、また新しく発見があってそこそこ楽しめるし、それを外に出したら似た考えの人が集まってくるので、終わってないなー、という感覚でいられるということです。

 どちらがより良いかはさておき、MVの話に映ります。
 MVでは群像劇的に描かれていることで、この「夜明け」という終わり方に対する捉え方が、それぞれによって全く異なるものになっています。ここがOliの言う「観る人によって答えが違う」の部分ではないかと類推します。

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 この2枚はMV中で一瞬映り込むカットですが、「暗い森の中」と「木漏れ日が向こうに差す森の中」になっており、まさしく夜中と夜明けを上手く表しています。
 Oliのインタビューをもとにすれば、「夜中」とはドラッグパーティに夢中になっている時間であり、「夜明け」とはそれが終わってしまうことの示唆でもあります。つまり夜中は楽しい時間で、夜明けは辛い時間。そして、この辛い時間を、またパーティを始めて夜中に潜ってしまうことで埋めようとしてはいけないと言っています。
 MVでは、このカットが差し込むシーンを注視することで、各々にとって、闇の中とは何だったのか。夜明けとは何だったのかを考えることができます。

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 エンジニアのおじさん。めちゃくちゃ楽しそう。紙が吹き飛んで視界を覆ってしまっても、表情一つ崩さない。
 彼にとって夜中とは「終わらないレコーディング、生まれないベストテイク」であり、夜明けとは「それが生まれた瞬間」です。ただし、彼の夜明けは赤ん坊の能力によってもたらされたものであり、周囲の評価と一致しない可能性が高いです。もしそれを、前述のように能力の再使用で埋めてしまったとしたら、彼はずっと、自分の穴を能力でしか埋められない空っぽのままなのでしょう。まあ、使用したのはヤクザ風の筆頭格なので、ある種巻き込まれていて、悲しいですが……
 彼にとって能力は夜明けをもたらすものとなりました。彼自身の課題を永遠に先延ばしにすることと引き換えに。

 一方、ヤクザ風筆頭格のおじさんにとっては、夜中とは「終わらないレコーディング、生まれないベストテイク」であり、夜明けとは「それが生まれた瞬間」。つまり、レコーディングエンジニアと目的を共有しているはずでした。ところが、赤ん坊の能力の影響に晒されてしまったエンジニアと、それを直接受けていない筆頭格の間では、明らかに認識に差が生まれています。彼らの間では、能力の使用により、目的に対する捉え方の溝、認識の違いが生まれてしまったのです。
 これにより、Oliの言う健常者視点と使用者視点の違いが明確になっています。彼らは「夜中」と「夜明け」の認識が逆転している。もしエンジニアがずっと能力を使用し続けたら、筆頭格はずっと「夜中」に入ってしまい、「夜明け」は彼が使用を止めるまで訪れることはないでしょう。もしくは完全に見切りをつけて別の人に頼むとかあると思いますが。

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 最後に拘束されていたおじさん。赤ん坊と二人になれて幸せそうです。
 彼にとって夜中とは「赤ん坊と自分の能力が利用され、その暴走により危機に晒されている時間」とか、「能力を悪用される可能性に苦しんでいる時間」と呼べるかもしれません。対して夜明けとは、「その危険性からの脱却」ですね。
 一番ストーリーとして理解しやすいのは彼で、異常性に飲み込まれなかった唯一の登場人物です。彼は躁状態を引き起こす赤ん坊の能力をよく理解しており、周囲を狂わせないよう、自分も狂うことのないよううまく付き合っています。

 つまり、おじさんだけが「夜中」と「夜明け」のストーリーラインが崩壊していない。夜中は正しく明けないもので、夜明けは正しく明けてくれたものです。エンジニアは「能力の使用によって、本人は夜明けが永遠に続いているかのような感覚だが、実際は永遠に夜中」で、筆頭格は「エンジニアの夜中を見て困惑している(場合によってはエンジニアが解決しない限り永遠に夜中)」という、狂ったストーリーへと突入しています。

 夜明けと夜中の認識に関する両者の分水嶺は、結局、「何を願うかよく気を付けたかどうか」にあるのだと思います。抽象的な解ですが、結局のところそうでしかない。
 「短絡的な解決」という言葉がありますが、これは直ちに実行することが悪というわけではありません。単純に、「それを実行することでどんな効果があり、何を得られるのかを考えない実行」というのが、「何を願うか気を付けていない状態」だということです。

 この記事を書いている途中に思いついたことですが、こういうことだと思います。
 要は、何が欲しいのか。その手段を選ぶことで願った結果が得られるのか。その手段による結果は何をもたらすのか。それを十分吟味せず、ただ「夜明けが欲しい!」と、自分の望む結果と別の手段を選んでしまったら、歪な形の結果がもたらされ、その人は「頑張ったのに何か違う」という違和感を抱いてしまう。
 その欠落を、さらなる「何を願うかを考えていない手段とその結果」で埋めてしまったとしたら?本当に欲しい結果に対して目指す方向はブレブレになり、上昇と下降、右折と左折、進行と撤退を繰り返す。そうしてしまったら最後、我々は夜中と夜明けの認識を間違え、夜が明けないために「何を願うか」を考えないまま手段を選ばない方法に出てしまう。そうして、最期の時になって「本当に欲しかったものはこれなのに」と悔やむことになる。
 恐ろしいことです。何かを願う対価に何かを犠牲にしてきたのに、その犠牲が目指す方向に見合っていないということ。そして、それによって短絡的な解決により手を伸ばしてしまったとしたら、ただ何も解決しない時間だけを浪費していく。願いとの差はだんだんと開いていく。

 自分の思考の偏りにすべてを委ねるという方法が適している人は、be careful what you wish forしなくてもいいかもしれませんね。そんな人がいるのかは疑問ですが…
 あと、十分吟味するために完全に立ち止まってしまったらそれも効率が悪いと思います。経験と失敗はとんでもない学びを生んでくれるので、あとはそれをしっかり見据えて「何を願うか」を考えるべきなんでしょう。痺れを切らして、目指したい方向と違う短絡的な手段に走ってしまう前に。


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 以上となります。めちゃくちゃ長かったね!もっと読みやすく書きたいです。精進します。
 ここまで通して読んでくれた方も、飛ばし飛ばしで読んでくれた方も、和訳だけでも読んでくれた方も、ありがとうございました。