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今は昔と花も幻 - Squall Of Scream[ENG translated]


"When I count the days from our promise,"
"flowers bloom as if it does't matter"
帰らぬ日々の違えた数を
数えてみても花は咲いて


This is NOT official!
Japanese lyrics -> English translated by Seiga (just a Japanese fun)

Flowers are blooming and the fairies are becoming active as usual, but the amount of flowers and fairies is unnatural; even non-spring flowers are blooming.   -Touhou Wiki "Phantasmagoria of Flower View - 3. Story"


*This is a teaser video (The song starts at 3:36)

春に咲く向日葵を 綺麗だと君は笑う
ここにいる僕にも 微笑んでくれるかい
夏の空 西日射し 君の影 揺れ動く
いつまでも消えずに 網膜に焼きつく

 It's beautiful that sunflower blooms in spring, you said with a smile
 May you smile upon me in here?
 The weathering sun is bright in the summer sky, and your shade is swaying 
 and burning into my eyes forever

一面の向日葵に 佇んで君は泣く
決められた終わりこそ 二人には相応しいと
冬になり枯れ果て 結んでた手を離す
行かなくちゃ そう言って泣きながら笑った

 You've stood on the field is covered with sunflowers all over, with your tears
 It's suitable for us that the end designed by someone
 So we let go of our hands when flowers are dead in winter
 And you said “I've got to go” with a smile and tears

遠くの方で鳴り響く ひぐらしの声懐かしく
今でもずっと忘れられず あの面影を探してる
もしもう一度会えるなら 君は笑ってくれるかな
向日葵畑 首を振り あの日の想い 否定した

 “The voice” of higurashi resounds from far away make me feeling of nostalgic
 I can't keep myself from reminding someone of you
 If we were meet again, will you smile again?
 Sunflowers shaked them head to deny our mind of that day

*higurashi is a kind of cicada, and "The voice" of higurashi means that the cicada makes noise. In Japan, people often feel comfortable about hearing sounds made by some insects (ex. cicada, cricket).

空へ叫ぶ
 Screaming into the sky

さよならの意味を知るたび花は散って
どこまでも広がる光の中
君がまた歩めるように解いた手が
いつかきっと意味を持つようにそっと願った

 Every time I noticed the meaning of goodbye, flowers spatter
 In the light spreads out everywhere
 Your hand which I let go of because you can walk again
 Will have some meaning, I wished that quietly

帰らぬ日々の
違えた数を
数えてみても
花は咲いて

 When I count the days from our promise,
 flowers bloom as if it does't matter

交わした声の
優しい音色
思い返すも
花は揺れて

 When I look back our words and your tender voice,
 flowers sway as if it doesn't matter

春に咲く向日葵を綺麗だと笑ったね
ここにいる僕にもそう言って笑ってよ
一面の向日葵の その中に君は無く
軋み泣いた心が 大空に悲鳴あげる

 It's beautiful that sunflower blooms in spring, you said with a smile
 May you smile upon me in here too?
 I've lost you on the field is covered with sunflowers all over
 The heart is bleeding like crying, and screaming into the sky

空へ叫ぶ
 Screaming into the sky

さよならの意味を知るたび花は散って
どこまでも広がる光の中
君がまた歩めるように解いた手が
いつかきっと意味を持つようにそっと願った

 Every time I noticed the meaning of goodbye, flowers spatter
 In the light spreads out everywhere
 Your hand which I let go of because you can walk again
 Will have some meaning, I wished that quietly

帰らぬ日々の
違えた数を
数えてみても
花は咲いて

 When I count the days from our promise,
 flowers bloom as if it does't matter

交わした声の
優しい音色
思い返すも
花は揺れて

 When I look back our words and your tender voice,
 flowers sway as if it doesn't matter

春に咲く向日葵を綺麗だと笑ったね
ここにいる僕にもそう言って笑ってくれ
一面の向日葵の その中に君は無く
その中に君は泣く その中に君は亡く

 You say it's beautiful that sunflower blooms in spring, with a smile
 May you smile upon me in here too?
 I've lost you on the field is covered with sunflowers all over
 You were crying in there
 I've lost you in there


――――――――――――――――――――――――――――――――――

(Sorry for writing below in Japanese)

 当楽曲は、シューティングゲーム"東方Project"のステージ曲の二次創作アレンジ楽曲となります。
 この和訳ブログをよく読んでくださっている方ならば、東方アレンジ楽曲の英訳・和訳記事は既に馴染みのものかもしれません。これまで様々な記事で、東方という世界観、それにリンクする形で展開されるアレンジ楽曲の奥ゆかしさ、面白さに言及してきました。

 今回も例に漏れず、歌詞と東方と絡めて考えると色々出てきますし、楽曲が収録されるアルバム全体で考えてもさらに面白いものとなっています。
 それを一文で集約するならば、花の狂い咲く景色とそこにいるはずの「君」です。

 以下、読み解いていきます。

■死者によって花の咲き乱れる花映塚異変と、
 ジャケットイラストの向日葵

 日本人的感覚の"花"とは、咲き誇るその瞬間の美しさは幾度となく讃えられど、その美しさはほとんど必ず「儚い」という言葉があわさって付いてくるものです。風が吹けば花弁が舞い散り、雨に打たれれば花弁は落ち、道行く者に踏まれれば支える茎は曲がり、放っておいても季節のめぐりと共に枯れていく……と、植物と、その一生のうち短い期間に咲く花は、度々「儚い」と形容されるものです。
 桜は儚さの代表格と呼ばれるものですが、向日葵も季節の花であり、7月の暮れから夏が訪れ8月、9月と経るごとに、だんだんと色が落ち、首をたれ、花弁は形もなくなって小さくなっていきます。

 花が咲いているということは、その終わりが明確に存在するということ。
 花が咲いているということは、咲かない長い期間が存在するということ。

 冒頭から当たり前のようなことを連ねましたが、つまるところ、この楽曲と「花」は切っても切れない関係にあると解釈しています。
 まず原作に言及すると、この楽曲の東方における原曲は「今昔幻想郷 ~Flower Land」であり、花を操る程度の能力を持つ妖怪である風見幽香のテーマ曲となっています。彼女は一年中花が咲いているところを目指して移動する妖怪で、作中でも一面の向日葵畑で登場します。
 さらに、風見幽香と楽曲「今昔幻想郷 ~Flower Land」が登場する作品である「東方花映塚」は、地獄への出入り口である彼岸で起きたある出来事をきっかけに、四季の花々が、季節を選ばずあちこちで咲き乱れる異変となっています。

春に咲く向日葵を 綺麗だと君は笑う
ここにいる僕にも 微笑んでくれるかい
夏の空 西日射し 君の影 揺れ動く
いつまでも消えずに 網膜に焼きつく

 It's beautiful that sunflower blooms in spring, you said with a smile
 May you smile upon me in here?
 The weathering sun is bright in the summer sky, and your shade is swaying (in the wind)
 and burning into my eyes forever

 「春に咲く向日葵」とは、在りもしない空想、幻を表しているとも捉えられますが、原作である東方花映塚の四季異変を鑑みれば、それは確かに起こった出来事であり、歌い手の直面している事実は花映塚異変との関連が深いと考えられそうです。

 花映塚異変について、詳しくは本楽曲が収録されたアルバムの別の楽曲を和訳した記事でも言及しています。この記事の内容と関連がある箇所は、できる限り本記事中でも解説していきます。

 さて、上記の記事での記載を引用すると、花映塚異変で四季折々の花々が咲き乱れたことには理由があります。
 それは死者が地獄に行くまでの橋渡しである彼岸(三途の川の向こう)に、大量の死者が押し寄せることで船頭の死神がキャパオーバーとなり、彼岸に渡れない霊が此岸で彷徨うことになったこと。
 そしてその結果、彷徨う霊は生命の象徴である花に次々と憑依し、花々は狂ったように咲き続けることになります。

 東方花映塚における異変では、春先にも関わらず、桜、向日葵、野菊、桔梗といった一年中全ての花が同時に咲き出します。そしてその原因は、六十年周期で訪れる外の世界での幽霊の増加、それによって一度に彼岸に渡れる幽霊の数のキャパシティを超え、溢れた幽霊が幻想郷中の花に憑依し全ての花が咲き乱れる……というもの。 -「彼岸にて泡沫は咲き」英訳記事より

 このことから、当楽曲のアレンジ元である東方花映塚の世界において、「花が咲き乱れる=近々で大量の死者が発生したイベントがあった」と関連付けることができます。

 ここから僕は、"今は昔と花も幻"の歌い手と「君」は、死によって別たれた関係にあると推測しました。
 それを裏付ける根拠は当楽曲が収録されるアルバムの端々にあり、特にジャケットイラストと収録楽曲の対応はこれらの根拠を総括するものと考えられます。

画像1

 ジャケットイラストは「一面の向日葵」「東方Projectのキャラクター"レミリア・スカーレット"」「果てしなく続く空の下」が特徴的に描かれています。

 「一面の向日葵」については、花映塚異変と霊の大量発生イベントとの関連により死を連想させることを前述しました。これについては"今は昔と花も幻"および"彼岸にて泡沫は咲く"の2つの楽曲の原曲が東方花映塚からの登場であることからも関連が強いと考えられます。さらに後者の曲に関しては、死との関連が非常に強いです。
 「レミリア・スカーレット」については、同アルバムの4曲目「亡き貴方のために揺り籠を」の原曲がレミリアのステージ楽曲となっています。この楽曲は以前和訳した際にも、明確に死別によって二人が分かたれる楽曲となっていることを説明しました。つまり、ジャケットイラスト中にレミリアを登場させることで、4曲目の歌い手と「君」の関係である「死別」を連想せざるを得ないイラストになっています。

  最後に「果てしなく続く空の下」は、同アルバムのイントロである"Everlasting Sky"で一瞬呟きの入る「果てしなく続く同じ空の下で」や、ラストトラックである"True End"でサビの歌詞となる「遥か彼方同じ空の下」と関連しています。
 現実世界でも、死別した相手や、二度と会えないであろう相手に対して「同じ空の下できっと生きている」「違う場所でも同じ時間を過ごしている」という気持ちの整理の付け方があります。さらに東方Projectの舞台である幻想郷は、現世と地獄は三途の川を境に引き伸ばされた距離で隔たれてはいるものの、妖怪や霊に対峙できる強い存在であれば、行き来すること自体は可能になっています。本当に文字通り、生きていたとしても、死んでいたとしても、果てしなく行くことが困難であったとしても、「同じ空の下」であることは変わりありません。

 "彼岸にて泡沫は咲き"、"亡き貴方のために揺り籠を"をこれまでに訳し考察した感想としては、ジャケットイラストの向日葵畑の向こう、遥か彼方空の向こうには、通常ではとても辿り着けなくとも、彼岸が、死別した相手が今も確かにいるのではないかと思います。
 このアルバムの楽曲たちは、花映塚異変によって花が咲き乱れる情景の中で歌われ、死別した誰か、或いは遠い場所で生死も定かではない誰かを偲んだ歌詞が繰り広げられているのではないか。そう考えています。

画像2

 風見幽香(画像左)は花映塚異変において、花が狂ったように咲く状況に違和感を抱き、その原因を探ることが彼女の目的の一つになっています。花を咲かせる力は土の力にあり、その花が枯れるとまた土に還っていく、というような画像の台詞ですが、花映塚異変では花を咲かせるために霊の介入が発生します。これは霊の力そのものというより、彼岸に渡ってしまう前に何かを成し遂げたくて、霊が花と土の力を無理矢理借りたのではないかと一つの解釈として考えています。なぜ霊が花を咲かせたのか。それは現世に別れを告げる前に文字通り一花咲かせたかったのかもしれませんし、ただ死者として反射的、無意識的に、生命の息吹のする方に導かれたのかもしれません。ただ、この楽曲、"今は昔と花も幻"風に解釈するのであれば、霊は「生き別れた大切な誰かに会うため、気付いてもらうために自ら目立つ行動をした」のではないでしょうか。まさしく花映塚異変の花々は、死者が現世に帰ってくるお盆が目に見える形で一気に訪れたような光景で、そう考えるとジャケットイラストの向日葵たちが、まるで一人一人大切な人を現世に遺した死者の魂のように思えてきます。


■果てしなく死別からの再会を願う

 先に背景やアルバム全体の話をしてしまいましたが、楽曲の歌詞にもフォーカスしていきたいと思います。

 歌い手は「君」と離別したことを何かしらで受け入れようとしていますが、実際のところ、いくら季節が廻ったとしても、それを受け入れられない自分と思い出に苛まれているような歌詞となっています。

春に咲く向日葵を 綺麗だと君は笑う
ここにいる僕にも 微笑んでくれるかい
夏の空 西日射し 君の影 揺れ動く
いつまでも消えずに 網膜に焼きつく

 It's beautiful that sunflower blooms in spring, you said with a smile
 May you smile upon me in here?
 The weathering sun is bright in the summer sky, and your shade is swaying (in the wind)
 and burning into my eyes forever

 「春に咲く向日葵を綺麗だと笑う君」とはどういったものなのか、解釈が分かれそうなところです。
 二度と会えない相手をよみがえらせたいという現実に反した願いを抱いていることの表れが、春に咲く向日葵という在り得ない空想である
 あるいは、花映塚異変で咲き乱れる花々の中で、その中のどこかで微笑んでいる君の霊がいることを信じている
 など、色々考えられそうです。

 花映塚異変と絡めると後の歌詞との関連を付けやすいため、本記事では「大量の死者の霊によって咲き乱れる花々の中に、生き別れた君がいるかもしれないと縋るように希望を抱いている」と解釈します。

一面の向日葵に 佇んで君は泣く
決められた終わりこそ 二人には相応しいと
冬になり枯れ果て 結んでた手を離す
行かなくちゃ そう言って泣きながら笑った

 You've stood on the field is covered with sunflowers all over, with your tears
 It's suitable for us that the end designed by someone
 So we let go of our hands when flowers are dead in winter
 And you said “I've got to go” with a smile and tears

 未だ咲き誇る一面の向日葵の中で君が泣いてしまう理由は、この記事の冒頭で述べた「花の儚さ」に関連すると考えられます。花を咲かせ、歌い手との再会を夢見る「君」は、それでもなおこの花がいつか枯れてしまうことを知っている。現世で終わりがあったのと同じように、この希望に満ち溢れた、いつか会えるかもしれないという日々、もしくは再会を果たしたこの状況もまた、現世のように枯れてしまうのだと、未だ咲く向日葵の中で泣いているのです。
 やがて花にとって死の季節である冬が訪れ、花を咲かせた彼女も別れを告げる時が来る。はじめから分かっていた終わりと共に。

 ……という物語を頭の中に描きましたが、これは恐らく歌い手の妄想であると僕は解釈しています。
 仮に霊となった「君」が、花映塚異変に紛れて、一面の向日葵の一輪を本当に咲かせたのだとしても、それが間違いなく「君」だと言える根拠はそうありません。そうだと信じているだけであり、それを証明する手立てはなく、証明ができないことで何より歌い手自身が苦しんでいる。本当にこの考え方で救われているのなら、信じられているのなら、こんなに苦しんであの日の笑顔を切望することはありません。
 この楽曲ではまだ、二人は「出会えて」いません。近くにいるのだとしても、会いたいと互いに、あるいは片方が思っていたとしても、それが互いに知覚できる形で実現できてはいない。
 そういった相互知覚の壁こそが、死者と生者のどうしようもない隔たりであり、現実です。

遠くの方で鳴り響く ひぐらしの声懐かしく
今でもずっと忘れられず あの面影を探してる
もしもう一度会えるなら 君は笑ってくれるかな
向日葵畑 首を振り あの日の想い 否定した

 “The voice” of higurashi resounds from far away make me feeling of nostalgic
 I can't keep myself from reminding someone of you
 If we were meet again, will you smile again?
 Sunflowers shaked them head to deny our mind of that day

 もし向日葵畑の中に「君」がいると確証があるのであれば、「もう一度会えるなら笑ってくれるかな」という言葉を、向日葵たち自身が否定するような光景が、歌い手の目に映るはずはないのです。忘れられない面影とは、花映塚異変で出会えた「君」ではなく(そもそも花畑では君と「出会えて」いない)、現世で互いに知覚し合えた時の「君」であり、その時に見た表情、仕草、面影を忘れられないでいる。いくら季節が廻り、いくら花が咲き誇ろうと、その中に君はいない。たとえ花が霊の願いを以て咲くものであり、その中に君がいるのだとしても、「出会う」ことはできない。この中に君がいると思っているだけじゃ、とても生きられない。花に霊が宿ると信じ足繁く通う歌い手は、現世で再会しもう一度笑ってほしいと内心切望しているのです。

さよならの意味を知るたび花は散って
どこまでも広がる光の中
君がまた歩めるように解いた手が
いつかきっと意味を持つようにそっと願った

 Every time I noticed the meaning of goodbye, flowers spatter
 In the light spreads out everywhere
 Your hand which I let go of because you can walk again
 Will have some meaning, I wished that quietly

 この歌詞は、現世にて歌い手と「君」が分かたれたその時を思い出すような描写だと思います。

 「どこまでも広がる光の中」について、"彼岸にて泡沫は咲き"の記事でも注釈で若干ですが触れています。この描写は東方Projectの設定として語られる彼岸の光景によく似ています。

画像3

 彼岸の花々が昼夜も季節もなく咲き続けているのは、そこに地獄へ行く道すがらの霊がたくさんいるからかもしれません。彼岸がずっと花畑となっているのであれば、花映塚異変の花が咲き乱れる光景は、彼岸の花畑が現世である幻想郷にまで広がってきた、と捉えることができるのかも。

 ですが歌詞の通り「花は散る」のが、現世と彼岸を隔てる現実です。「どこまでも広がる光の中」に君が導かれていくのを、歌い手は「君がまた歩める(こことは違う場所で生きられる)なら」と、別れを惜しむように握っていた手を離す。それが意味を持つように、それが君のためになってくれるように願って別れを選んだあの時を、歌い手は未だによく覚えている。未だにその時を切望して忘れられない。

帰らぬ日々の
違えた数を
数えてみても
花は咲いて

 When I count the days from our promise,
 flowers bloom as if it does't matter
交わした声の
優しい音色
思い返すも
花は揺れて

 When I look back our words and your tender voice,
 flowers sway as if it doesn't matter

 帰らないあの日々、再会を願う約束が叶わない日々がどれだけ過ぎようと、交わした声、その優しさを思い返しても、花は咲いて揺れて枯れていく、季節は巡っていく、花はまた咲いていく。
 「君」が帰ってくるはずの場所である花そのものが、歌い手の気持ちには何の変化も示さないまま、まるで花と「君」が通じていることを否定するかのように振舞ってくる。この花畑で微笑む君と再会できることを、否定しているかのように。

春に咲く向日葵を綺麗だと笑ったね
ここにいる僕にもそう言って笑ってくれ
一面の向日葵の その中に君は無く
その中に君は泣く その中に君は亡く

 You say it's beautiful that sunflower blooms in spring, with a smile
 May you smile upon me in here too?
 I've lost you on the field is covered with sunflowers all over
 You were crying in there
 I've lost you in there

 幾度も季節が巡って、君がこの中にいないことを確信し、だけどその中で別れを惜しんで泣く君の姿を未だ夢想し、花が散るように手を解いたあの日のことを忘れられない。
 グチャグチャの感情の中で、この楽曲は締めくくられます。歌い手は墓参りのように咲き誇る向日葵畑に足を運びますが、心の底から飢餓のように求めているのは再会であり、「同じ空の下でなら」という発想には至っていないと考えられます。


■単なる同情を誘う嘆きではない

 最後に、所感です。

 いつだって、僕の歌詞の解釈で結論したいことは善悪論ではありません。我々は前を向いている時間が長い方がより良いと直感しがちですが、実際はそうと限られるわけではなく、たとえば平坦で落差の無い前向きさであれば、成長や進歩がない、次第に周囲や環境に淘汰されていく、という欠点もあります。もちろん現状維持が素敵だという考えもありますし、逆もしかりです。だから別に、歌い手が燻っていたって、前を向けていなくたって、あるいは幸せだとして、前を向いているとして、別にそれを糾弾する意図はない。
 ただ一つ気になるのは、この楽曲における歌い手の状態は、単なる同情を誘うような嘆き悲しみではないのではないか、ということです。それはまるで、自身の理想の方角へ、行きたい方向へ行く過程での感情のように映るのです。

 歌い手はスピリチュアルな墓参りの概念を信じながらも、心の奥底ではやはり信じ切れない、というより、もし本当に「君」がいるのだとしても、自分に微笑んでくれるその日はもう決して訪れないじゃないか!と、落胆と共にある種の憤慨を覚えている。この楽曲は再会できないことに対する深い悲しみと共に、変わらない現実に対する強い怒りがあるようにも思うのです。
 歌い手は自分を貫いて、メリーバッドエンドと言われようと、納得のいく解を求めているのだと僕には映りました。「死んだら会えるから今を頑張るやで」「いつもどこかで見守ってくれてるんやで」なんてステレオな回答では、歌い手は現世を生き続けることはできない。望むのは再会ただ一つだ!と、とても強い意志を感じるのです。その意志の表出が怒りや悲しみという一見ネガティブな感情であったとしても、その根源が何なのか、願っていることは何なのか、本当は見据えないといけないはずです。

 僕は初めてこの曲を聴いた時、この曲の持つどん底の悲しみの叫びに甚く救われた気持ちになりました。けれどそれは単なる共感や同情ではない。傷ついた時に慰めてくれるものではなく、何かを奮い立たせてくれるものに近いと思います。それは歌い手のTrue Endを追い求める生き方そのものが反映されているのかもしれない。
 そのような生き方は、他者からの承認が必ずしも得られるものではないし、ましてや自分の望んだことが本当に叶うかどうかも分からない。それでも、明確に願いを見出してしまった人間は、不幸になったとしても、そこを愚かにも目指していく。願わなければ、その具体的な方向にいつか落ち行くことなんて決してないから。
 恐らくその過程で、願いや理想に全力でぶつかっているのに叶わないという長い時間を過ごし、その悲しみや怒りが表出している。願うあまり、夢中になるあまり、出涸らしになっている。一見暴発的な怒りや悲しみに見えるそれは、僕にとってはなんだかとても魅力的な姿に見えるし、単なる悲しみの共感ではなく、自分で自分の未来を背負って戦っている、まさしく生きている人間のように思えたのです。

 なんだか妙な評価になってしまったけれど、この歌い手について自分が感じたことを正確に表現するならば、「挑む者」と言えます。それがきっと、僕がSquall Of Screamの楽曲がとても好きな理由の一つかもしれない。
 この感情の洪水は、単なる怠惰や平坦の延長にあるのではなく、理不尽な現実に理想を願って挑んだからこそ生まれた、血と涙で出来た、宝石の原石のようなものではないでしょうか。

 最初に言った通り、そんな生き方やそこで生まれたものががいつだって誰の場合だって正解なわけではないですが、僕は歌詞を通して見えた人物像について、現実だとしてもとても好きな人間の特徴に当てはまるなと思い、すなわち自分がなぜこの楽曲が好きなのか腑に落ちたので、要するに若干興奮気味です。やばい!
 美しい花畑と、そこに佇む二度と会えないはずの君の夢想と、それをひたむきに血と涙が溢れるほど追い求める歌い手。という光景が、あまりにも花のように儚くて、生きているなあ、と思ったのでした。


 以上です。ご覧いただき、ありがとうございました。




-おまけ- 

訳の意図

遠くの方で鳴り響く ひぐらしの声懐かしく
今でもずっと忘れられず あの面影を探してる
もしもう一度会えるなら 君は笑ってくれるかな
向日葵畑 首を振り あの日の想い 否定した

 “The voice” of higurashi resounds from far away make me feeling of nostalgic
 I can't keep myself from reminding someone of you
 If we were meet again, will you smile again?
 Sunflowers shaked them head to deny our mind of that day

 「ひぐらしの声」という表現ですが、英語圏には虫の鳴き声で季節を感じるような文化がないそうです。虫の鳴き声を「雑音」として捉える向きがあり、そのため、日本語のように虫の鳴き声を表す擬音が存在しないとのこと。思えば東方と同じく同人発祥である「ひぐらしのなく頃に」も英題がWhen They Cryなので、やっぱりcicadaという蝉そのものを表す言葉はなんとなく直感しづらいのかもしれない。
 とはいえ、この部分は「夏にひぐらしが鳴いている」という、子供の頃夏の終わりの夕暮れに外で遊んだようなノスタルジー的懐かしさを正確に表現したかったので、若干強めにダブルクォーテーションで"The Voice"と表記することにしました。さらに、英訳中では注釈を加えています。
 英語圏にも直感で馴染む表現にするか、歌詞を正確に表す表現にするかはいつも悩みますが、僕自身が英語圏での会話や生活の経験があまりにないので、結局後者になりがちな気がします。通じているといいんだけど…


-extra *.rom-

春に咲く向日葵を 綺麗だと君は笑う
ここにいる僕にも 微笑んでくれるかい
夏の空 西日射し 君の影 揺れ動く
いつまでも消えずに 網膜に焼きつく
haru ni saku himawari o kirei dato kimi wa warau
koko ni iru boku nimo hohoende kureru kai
natsu no sora nishibi sashi kimi no kage yure ugoku

一面の向日葵に 佇んで君は泣く
決められた終わりこそ 二人には相応しいと
冬になり枯れ果て 結んでた手を離す
行かなくちゃ そう言って泣きながら笑った
ichimen no himawari ni tatazunde kimi wa naku
kimerareta owari koso futari niha fusawashii to
fuyu ni nari karehate musundeta te o hanasu
ikanakucha souitte naki nagara waratta

遠くの方で鳴り響く ひぐらしの声懐かしく
今でもずっと忘れられず あの面影を探してる
もしもう一度会えるなら 君は笑ってくれるかな
向日葵畑 首を振り あの日の想い 否定した
tooku no hou de nari hibiku higurashi no koe natsukashiku
ima demo zutto wasurerarezu ano omokage o sagashiteru
moshi mouichido aeru nara kimi wa waratte kureru kana
himawari batake kubi o furi anohi no omoi hitei shita

空へ叫ぶ
sorahe sakebu

さよならの意味を知るたび花は散って
どこまでも広がる光の中
君がまた歩めるように解いた手が
いつかきっと意味を持つようにそっと願った
sayonara no imi o siru tabi hana wa chitte
dokomademo hirogaru hikari no naka
kimi ga mata ayumeru you ni hodoita te ga
itsuka kitto imi o motuyou ni sotto negatta

帰らぬ日々の
違えた数を
数えてみても
花は咲いて
kaeranu hibi no
tagaeta kazu o
kazoete mite mo
hana wa saite

交わした声の
優しい音色
思い返すも
花は揺れて
kawashita koe no
yasashii neiro
omoi kaesu mo
hana ha yurete

春に咲く向日葵を綺麗だと笑ったね
ここにいる僕にもそう言って笑ってよ
一面の向日葵の その中に君は無く
軋み泣いた心が 大空に悲鳴あげる
haru ni saku himawari o kirei dato waratta ne
koko ni iru boku nimo sou itte waratte yo
ichimenn no himawari no sono naka ni kimi wa naku
kishimi naita kokoro ga ozora ni himei ageru

空へ叫ぶ
sorahe sakebu

さよならの意味を知るたび花は散って
どこまでも広がる光の中
君がまた歩めるように解いた手が
いつかきっと意味を持つようにそっと願った
sayonara no imi o siru tabi hana wa chitte
dokomademo hirogaru hikari no naka
kimi ga mata ayumeru you ni hodoita te ga
itsuka kitto imi o motuyou ni sotto negatta

帰らぬ日々の
違えた数を
数えてみても
花は咲いて
kaeranu hibi no
tagaeta kazu o
kazoete mite mo
hana wa saite

交わした声の
優しい音色
思い返すも
花は揺れて
kawashita koe no
yasashii neiro
omoi kaesu mo
hana ha yurete

春に咲く向日葵を綺麗だと笑ったね
ここにいる僕にもそう言って笑ってくれ
一面の向日葵の その中に君は無く
その中に君は泣く その中に君は亡く
haru ni saku himawari o kirei dato waratta ne
koko ni iru boku nimo sou itte waratte kure
ichimenn no himawari no sono naka ni kimi wa naku
sono naka ni kimi wa naku sono naka ni kimi wa naku