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heavy metal - Bring Me The Horizon、を解読してみる

“'Cause a kid on the 'gram in a Black Dahlia tank”
(ブラダリのタンクトップマーチを着たヤク漬けのキッズが......)

敢えて和訳記事では訳さなかった一節なんですが、
僕はこの歌詞を見て、まあただの語呂合わせなのかもしれないんですけど、すごく親近感が湧きました。

※以下、Bring Me The HorizonをBMTHと訳します

※※※併せてご覧ください※※※

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ブラダリってBMTHのメンバーにとっては一世代前のバンド、いわゆる自分達がキッズだった頃に周りで流行ったバンドに該当する存在なんでしょうか。例えば日本の今の20代から見たら......超有名どころだとB'zとかラルクとかミスチルとか、BUMPとかRADとか(RAD流行りだしたのは数年前ですが、僕の周りはずっと好きな人がたまたま多かったです)、メタル路線だと敢えて言うならホルモン……?なのかな。あ、日本のライブキッズからしたらワンオクが1番わかりやすいかも。
大人になってから振り返る「あの時みんな夢中だったよな」みたいなバンド。なんなら今もシーンを席巻しているバンド。まるでステレオタイプみたいに。

自分達が単純なリスナーだった頃に流行っていて聴いていたバンドを、いざ演者としての立場で見ると、自分達との比較対象だったり、いわゆるステレオタイプに見えたりするところがあるのかもしれませんね。この歌詞からはそういうニュアンスを感じます。
それは侮蔑でも卑下でもなく、シーンを遠くから見つめた時に自分達の曲がどの位置にあるのか。ステレオなへヴィメタルシーンを愛するキッズ達に中傷される自分達の曲はどういったものなのか。ということを気にはしている、というBMTHの考えが漏れている歌詞だと思うんです。
実際この後にこう言いますしね。

“I'm afraid you don't love me anymore”
「いつも怖いんだ、もう愛されないんじゃないかって」

BMTHがここまでストレートに等身大で「自分達の曲が世間ではどう言われているか、それに対して自分達がどう思っているのか」を伝えた曲は今までにないですね。
基本悲しみや内々の自問自答をベースにした歌詞が多く、それを観客と一緒に歌うことで世界観を得る曲は今までに多かったんですが。Drownはその典型だと思います。
(僕メタルコア好きだけどBMTHは他の曲も大好きな中この曲が一番好きです。というかこの世の数多ある音楽の中で今のところ1番好きで愛してる曲です。5thAlbum最大のアンセムにしてBMTH史上最高の曲だと思ってます。知らない人はライブ映像で是非聴いて......)

Drownはアーティスト自身も持つ心の葛藤や無常感、無力感を歌った曲、ですが抽象的です。抽象的だからこそ多くの人に共感されたんだと思う。
今回のheavy metalも恐らく間違いなく思っていることを語っていると思います。
だけど一点、Drownや既存曲と全く違うところがあって、それは「何に対して不安や恐怖を感じているか、それに対して自分達はどうしているか」。それを具体的で赤裸々に語っていることです。

影響力を持った人がこういうことを直球で言うのってダサいみたいな意見もあるとは思います。あるとは思いますが、僕は嫌いじゃないです。
Oliはインタビューで「自分達の中にあるものしか僕らは歌えない」と言っていますが、それを形にして150kmのストレートでぶつけてきた感じの曲です。
割とギター厚めの音だけど曲の多くはダンスミュージック調、しかし最後の"no it ain't heavy metal"は叫びで歌われて曲が終わるんですよね。
この構成、生で聴くと凄い鳥肌立つ気がするのは僕だけでしょうか。
散々デスコアとメタルコアで叫んできたOliが叫びのほとんどない曲たちで勝負している中、この曲のこの部分だけ叫んで終わるんですよ。スクリームや叫びにある「1発聴かせる力」を最大限使えるタイミングで1番言いたいことにぶっ込んできたなあって思う。それは散々叫びで曲を表現してきた彼だからこそ成せる御業、奥の手、切り札じゃないかな。

彼らの曲の特徴なんですが、究極に自分達の思っていることを歌っていることで、自分自身についての曲を作り出すと同時に、自分達を愛するBMTHのファン達も歌えるアンセムになってるんですよね。
彼らはきっと自分達の音楽を愛してほしいし、可能なら自分達の真に思っていることを一緒に歌ってほしいと思っているのでしょう。そして彼らの思っていることに心から賛同できるファンがライブで彼らと同じ言葉を歌う。
……なんて想像すると本当に「真のアンセム」感があるくないですか?曲を聴いている人が一緒に歌うことで彼らの曲は完成する。BMTHが真に思っていることが歌詞としてリスナーに浸透していく。演者とリスナー、両方の思っていることがシンクロナイズしてライブを作り上げていく。
僕はBMTHの曲においてこの感覚を5thアルバムのDrownから感じています。それ以前にはあまりなかった気がして、4thから5thにかけて、言うなれば「ただ自分達の思いの丈を聞いてもらう曲」から「リスナーと感覚を共有する音楽」に昇華されてる。それが6thのこの曲"heavy metal"を聴いてさらに確信に近づきましたね。
だから彼らのライブには是非行きたいんだよなあ。歌詞を理解して一緒に歌った時彼らとリスナーの音楽は完結する。その現場に行きたい。自分もその中に加わりたい。そう思います。

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去年の日本映画業績収入で1位を獲得し、前例のないパターンで未だその数値を更新し続けている映画"ボヘミアン・ラプソディ"には、フレディ・マーキュリーのこんな台詞が登場します。
「世界中の人達が君に向けて歌っている」
この場面でこの台詞を聴いて、フレディの感覚を理解できるか、共有できるかどうかがバンドマンや音楽の演奏者の素質を分ける1パーツだと僕は思ってます。
いわゆる「影響力」ってやつで、それに対する感覚です。

影響力を持つことは、個々人によって個人差はあれど、恐らくかなり多くの人にとって相当の覚悟が要ります。
最初からそれを持ち合わせる必要はないんですが、アーティストは音楽を広げてライブをしてファンを獲得しお金を得る中で、おそらくこの影響力について考える場面が1度はあると思うんですよね。
自分の言ったこと、思ったことが音楽という形になって、それを見て怒る人もいれば泣く人もいる。
超極端に言うと「子供の教育に悪いゲーム」とか言われるアレかな。昔のロックシーンって少なからずそういう目線を向けられていた面もあったみたいですし。
つまるところ、影響を持つということは自分の言葉が人を良い方にも悪い結果にも導く可能性を生んでしまうことなんです。
どれだけそれに無頓着な人でも、身近な人が新興宗教とかを盲信して破滅したりしたら、気持ちは分かるようになると思います。
あんたのせいで、なんて口だけで言うリスナーのことは別に怖くなくても、
本当にそうなる原因に1つ自分の言葉が噛んでいる現場に一度出会ってしまったら、多くの表現者は足が竦む思いがするだろうと思います。
でも一方でアーティストというのは影響力をお金に変える仕事なんで、本質的に影響力とそれがもたらすもの、それに対するリスナーの反応から抜け出すことはできない。
抜け出したいなら特定の層に向けてだけ曲を発信することになりますが、そうなると音楽だけでは食って行けなくなるでしょう。もしくは過去に作った曲が1000万人の知る超ヒットソングとして歌われ続けたらいけるかもしれないですね。

アーティストによって色々この影響力に対する考え方、割り切り方はあると思うんですが、
BMTHはこれに対して真正面から向き合っているように感じます。
他のバンドで言うとリンキンパークもそうだったんじゃないかなって思います。避けるのでもなく割り切るのでもなく真正面から向き合って行った。他にもそういうバンドはたくさんあると思うんですが、僕にとっては彼らが代表です。

影響力によって与えられるメッセージと共有できる感覚が、影響力によって被る中傷や攻撃・悲嘆や落胆を上回っているかどうか。
つまり影響力によって受けるリスクよりリターンの方が勝っているから、世界のシーンのトップで戦う演者達は、トップを維持したまま歌い続けています。
これは音楽業界に限らずどんな業界のトップでも言えることだと僕は思います。

BMTHを生のシーンで追っている人は分かると思うんですが、彼らは音楽性をアルバムの度に変化させ、その度に既存のリスナーの一部(時には大多数?)から好ましくないコメントを受け続けています。

そしてこれがこの記事で一番言いたいことなんですが、楽曲heavy metalにおいてBMTHは「それでもいい」と歌っています。
反対を受けてもいい、攻撃されても構わない。
こうすることでしか得られないものがあるから。

それは恐らく「リスナーの一部に嫌われても構わない、全然気にしてない」というわけではないと思うんですよ。きっと気にしてるからheavy metalを歌っている。ほんとは傷ついたり悲しい思いをしてるから歌っている。
でもその一方で、等身大の思いを伝えそれに共感してくれる層を増やすことが、その過程で受ける傷や悲しみを上回る喜びや価値を生む。
だから歌える。アルバムを出しライブに出続けられる。
既存のファンからそういう層とそうでない層を分ける形になったり、4th以前を知らない新規層を取り込みながら5th、6thと新たな音楽を拓いていることにもなるでしょう。
その過程で受ける反対は結果論であり、やりたいことの副産物であるという捉え方をしていると思うんです。
いわば敢えて音楽性をシフトしている部分もある。そしてそれは葛藤が全くないわけでは断じてない。けれど。

そんなことよりも自分達が本当に思っていることを聴いてくれ。
それが伝わるような、本当に奏でたい音楽を聴いてくれ。
それがBMTHが、既存のファンから見放される攻撃を受けても進み続けられる理由だと思います。

”No, this ain't heavy metal"
「これはへヴィメタルじゃないんだよ」

へヴィメタルよりもへヴィに感性を伝える音楽を奏でているつもりだ、ということだと思います。インタビューでも「これまでになくへヴィなアルバムだ」って言ってますし。

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彼らはナーバスだしピーキーで、繊細で神経質です。曲を聴いたりOliの人間性を見るとなんとなくそう思いませんか。
Suicide Seasonと題打たれた2ndアルバム、3rdあたりのBlessed With A CurseやDon't Goに始まる悲しみの音楽。4thでは薬物に手を出したり、結婚した最愛の妻と離縁したり、そのショックで彼女に掘ってもらった右腕のタトゥーを全部塗り潰したり、5th以降チャリティー活動に尽力していたり。
根っから打たれ弱くてボロボロになりがちなところが歌詞を見ていると思うんですよね。体の部位に対する歌詞も多い。他にもIt Never Endsの"Everything I loved became Everything I lost"とか、Blessed With A Curseの"Everything I touched turns to stone"とか、なんかもう悲しいんですよね。脆い人間性が垣間見える。

だけどそれとは対照的に、BMTHとしての音楽はファンに対して温情なんて求めていない。いつだって既存のリスナーを裏切り続けてきた。

リンキンパークのチェスターが自殺した時、僕の頭をよぎったのは、「Oliも自殺したアーティスト達の後を追って自殺してしまわないだろうか……」ということでした。
4thアルバムの製作過程の話や右腕のタトゥーを塗り潰した話を聞くと、どうしてもOliの将来に対してそういう最悪のイメージを抱いてしまって、
彼が死んだとき僕は受け止めきれるだろうか、なんて考えて、それが怖くて仕方なかったんですよね。
実際リンキンパークも音楽性の変化とそれに対する反応が葛藤として一つあったのは事実みたいですし、今まで信頼していた人間に裏切られる気持ちは、たとえ自分で選んだ道とはいえ想像を絶する痛みを伴うでしょう。

でもheavy metalを聴いて、drownの頃から僕が考えていたこととピースが合って、その心配は一つなくなりました。それがこの曲を聴いたことの最大の収穫じゃないかと思う。

攻撃されて傷つく精神性があって、それを自分で理解している。

「だから攻撃されたくない」という風に自分の弱さと他人の心との外交を結論付けるなら、こんなに音楽性を変えて攻撃されようとはしない。
なのに彼らは音楽性を更新し攻撃され続けている。これは矛盾で、その矛盾がこの6thでも続いた。
それは、攻撃されて傷つく精神性があって、それを自分で理解している、「だからこそ共感できる人や共感して救われる人を増やしたい」と彼らはきっと考えているから。僕はそう思います。

heavy metalの歌詞のとおり彼らは傷だらけになっています。攻撃されて痛む精神性は今も昔も変わらない。「それでも歌い続ける、それでも共感してくれる人を増やし続ける」。
それはある種保身ではあっても100%の保身ではないです。100%の保身なら前述の通り音楽性を変えなければいいですからね。実際彼らはそれで食べていけるレベルには達しているように思いますし。
でもそれじゃあ新たなリスナーの誕生や真の感覚の共有にはどうしても繋がりにくいんです。何十年もファンやってる人間って時には温情や同情でアーティストを見てしまうことがあると思うんです。BMTHはそれでは悲しいと捉えた。真に心を共有できないリスナーとアーティストであってはならない。
BMTHはそう思っているんじゃないかなって、日本の片田舎の弱小クリエイターである僕は勝手に考えています。

本当に思っていることで歌う方が、偽りの言葉や温情で生きるよりもずっとずっと意義があるし温かい。それを伝えるために他を犠牲にしてでも全力を尽くすし、それに特化することで、そのメッセージを受け取る人達をファンにして、密度の濃いメッセージを交わすことができるようになる。
それこそが真のアーティストとファンの関係だ。
彼らはそういう結論に至っているんじゃないでしょうか。

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最後に、heavy metalの出だしの部分の歌詞の意味だけ説明して終わりたいと思います。
全体の歌詞でこの部分だけすごく比喩的で抽象的なんですよね。

I woke up in a warehouse
But the label had fell off
Just minding my own meltdown
It was then I heard the cannibals, cannibals

倉庫の中で目を覚ましたんだ
貼り付けられたラベルがどこかへ行ったみたいなんだ
自分で自分を溶かしてしまわないよう
それだけは気を付けている
同種を屠る音が聞こえるから

解釈は多々あると思うんですが、以下のような感じだと思います。

影響力と向き合い続け悩み抜いた僕らは、気が付けば一つ次元の違うステージに辿り着いていた。
今まで言われ続けた怒りや悲しみの言葉、攻撃、時には誹謗中傷、そういったものから外部的に塗り固められた、僕らの世間的なイメージ……
新しく辿り着いた場所では、そういったラベルからある種解放されたような気分になる。そんなことは気にしなくていいんじゃないか。そう思える。
だけどこれは自分自身を突き詰め、そこで得られたものを表現するステージだ。
自分を突き詰める過程で、自分自身を溶かしてしまわないようにだけ気を付けたいと思う。
自問自答っていうのは、自分への問いかけって言うのは、時には自分で自分の身を滅ぼすことになりかねない。実際そういう人を何人も見てきたから。
それだけは気を付けるよ。

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ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。

歌詞って訳してみると本当に楽しいです。アーティストの人間性を表現していたり、世界観を表現していたり。
これがなくても音や発音のニュアンスやら歌い方で言語を超えて繋がるんだから音楽ってのはすげえよなって思う。
その一方で、もう一歩踏み出して、彼らが何を言おうとしているのかに耳を傾けてみると、想像を超えた世界が待ってます。楽しいですね。

何かこの記事で感じること、同意や否定、喜びや悲しみ、楽しさや怒り……
そんなものが一つでも与えられたなら幸いです。
何よりBring Me The Horizonがより好きになってもらえたらこれ以上言うことはないですね。

↓↓↓amo全曲訳に挑戦しています↓↓↓