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【ネタバレ】3部作Drawの個人的解釈・感想。「憧れ」の行きつく先とは?

この作品に大きく影響を受けた僕だけれど、一旦ちゃんと、受けた感情を整理しておきたい。
玲音が自分達の物語に終止符を打ったように。いつまでも現実を引きずるわけにはいかないから。

というわけでネタバレ付き感想が始まります。
未読の方は是非こちらへどうぞ。



スクロールすると早速始まります。








○色々感想はあるけれど、一番思ったことは「憧れを終着点とすることの意味」。

早速だけど、僕はこの"Draw"3部作から1つ大きなメッセージを受け取った。創作者視点として。

「憧れを終着点とすることの意味」。

断っておくと、あくまでこの記事は僕自身の解釈、読み取り方なので、万人にそれが当てはまるわけじゃない。
むしろ人の数だけ解釈があって然るべきだと思うし、受け取り方なんて様々だと思うし、僕は人によって形の違う回答が見たい。
だからこそ、回答がほしいからこそ、僕なりの回答を示すまでのことだ。

本編をなぞりながら、このメッセージに至った理由について説明していきたい。


○Drawの歌から始まる物語

アルバムの曲順は以下のようになっている。
1. Prologue 2. Draw 3. Misery 4. Leia
5. Reon 6. Canvas 7. Gerbera 8. Epilogue 9. Palette

僕ははじめ、この曲順は小説Drawの物語の順番に沿っていると思っていたけれど、
彼の言葉を念頭に置きながら聴いていると、どうもそれだけの意味ではないな、と感じた。

この楽曲たちには3人+1人の登場人物がいる。
玲音。生前の礼亜をキャンバスに納め、絵の中で生かしたいと願い続ける画家。
礼亜。玲音の絵の中で生きたいと願いながら、とうとう生きている間にその願いが叶うことはなかった少女。
ただ、この二人の話だけではない。

絵の中の礼亜。玲音の想像の中にいる、偽物の礼亜。こうであってほしいと願った礼亜像。玲音は「無題」を描き上げた時まで、その存在に気付くことはなかった。
そして漫画Fakeで描かれる贋作家。玲音と同じく礼亜に魅了され、惹かれ、肖像画を描き続ける人物。玲音のアナザーエンド。

この4人を想像しながら楽曲を聴くと、多々感じることがある。

Drawは何度も繰り返される「描いて」という言葉が印象的だけど、玲音と礼亜の二人が言っている言葉のようにも聞こえる。
「胸の中に映る可能性・響く言葉」を描くのは玲音だけど、「君の、僕の、生きた証を」描いてほしいと願うのは二人に重なっている。
何より「描いて」の言葉は、玲音が自分の才能に対して願っている言葉とも受け取れるけど、それ以上に礼亜が望んでいることのように思うのだ。

この礼亜が「本物の、生きていた礼亜」なのか、「偽物の、玲音の想像の中の、こうであってほしいと願う礼亜」なのかを考え出すとキリがないけれど、
僕にはこの時の礼亜は、生前の本物の礼亜であるように思える。偽物の礼亜には「描いて」という言葉は願えない。

この曲は唯一、「玲音と本物の礼亜の心が通っていた」楽曲だと思うのだ。
その理由をこれから紐解いていく。


○ゆよゆっぺが言う「現実と非現実」とは。対称性を伴って進む曲順構成

ゆよゆっぺのこの言葉をなぞりながらアルバムを聴くと、また違った意味でアルバムを捉えられる。

Drawの次にMisery⇒Leia⇒Reon⇒Canvasと楽曲は進んでいくのだが、
この4曲はゆよゆっぺの言葉どおり、対称的な楽曲となっている。
Misery⇒Leia / Reon⇒Canvas
このような切れ目が存在すると僕は感じた。

単刀直入に言うとこうだ。

Miseryは現実世界にいる玲音が、礼亜がいない世界に絶望していく曲。
Leonは空想世界、絵画の世界にアクセスした玲音が、「無題」を描き上げるまでの葛藤とその終末を描いた曲。

Reonは空想世界、絵画の世界に存在する「偽物の」礼亜の思いと、玲音にそれが届かないことへの無力感を綴った曲。
Canvasは現実世界で生きていた「本物の」礼亜が、玲音に描いてほしい、生かしてほしいと願い続け、とうとうその願いが叶わなかった曲。

歌詞をなぞると分かる。この構成に気付いた時は鳥肌物だった。


○玲音視点で描かれるMisery・Leia

小説が玲音視点で描かれている分、Miseryの歌詞は非常に理解しやすい。
「曖昧だった おぼろげだったその場所に 見えた希望は 永遠だって信じていた」
予備校時代、特別の感情もなく曖昧な思いのまま絵を描いていた玲音にとって、生きているみたいな絵だ、と告げられた礼亜の言葉は衝撃的だったし、
礼亜亡き今、彼女の肖像画を描きたいと願う今もその言葉を胸に描き続けている。
絵の中に彼女を描けば、永遠に彼女を生かし続けることができるかもしれない。そう信じて、生活の全てを破壊しながらも、玲音は肖像画に執心した。
それでも「巡る思考と過ぎる季節が枯れてゆく」ように、礼亜の肖像画は一向に納得の出来にならず、
何枚も何枚も、「孤独に転がるMisery」となって、彼女の遺体=失敗作のキャンバスがアトリエを埋めていく。
それでも。「心に植え付けられた言葉が 笑顔が 離れない」から、何度も何度も描く。


Leiaの歌詞は小説の物語の進展と上手くリンクしている。
始めの「終末のない幻想に 触れた気がした 「なんて呼べばいいんだろう」」は小説において「ガーベラ畑にて」を描き上げた玲音の思っていることだ。
「永遠はそっと息をとめて 僕を置いていった 絶望へと」は、「無題」を描き上げた玲音がその結末に絶望した時のことだ。
空想・絵画の世界で生きる礼亜に執心した彼の心情が描写されている曲だ。

僕はこの二曲の玲音と、漫画Fakeの主人公である贋作家を見て思うことがある。

贋作家の結末は偽物の礼亜を愛することだった。
贋作家が求めたものは偽物の彼女、「無題」を彼自身が見て、彼の心の中に生まれた彼女であって、
「無題」のモデルとなった本物の礼亜ではない。
漫画のラストが「本物(偽物)の君がいれば」で締めくくられるのも、まさに彼にとっての本物は、彼が最も求めていたものは、心の中に生まれた偽物の空想だった。

だけど、玲音は違った。

「心から溢れてた 愛しさをちりばめて 君の声に重ねた 恍惚は遥か」
礼亜の死後、礼亜への思いが溢れた玲音は、自身の絵の中に「空想の・偽物の」彼女を作りだし、本物の彼女を投影することで、
まるで彼女が生きて声をかけてくれているような恍惚に浸っていた。
どの時点からなのかは分からないが玲音は気付いている。彼が生み出す彼女が偽物であることに。

そして彼はとうとう偽物では納得しなかった。本物を追い求め、彼女の生きた痕跡を集め出したのが小説の終盤だが、その結末は悲惨なものだった。
「君と僕の証を 残す術がないなら 温もりを焼き付けて 僕を殺して」
玲音が求めていたのは本物の礼亜であって、彼の空想の中に住む礼亜ではない。
自分のやっていることは空想の彼女を描く行為であって本物の彼女を遺す行為ではない。
もうこの作品を見てくれる彼女はこの世にいないのだ。

なぜなら、空想の、偽物の彼女は、この絵を完成させることを望まなかったから。
それは礼亜視点で物語をなぞっていくことで分かる真実だ。


○礼亜視点で描かれるReon・Canvas

僕はこのLeia⇒Reonと楽曲が移り変わる時がこのアルバムで最も好きな部分だ。速いテンポと感情が昂ぶっていくような16分のギター。まさしく激情の音で始まるReonという楽曲。
全編通して同じ巡音ルカというボーカルが歌っているのに、この曲に入った途端、死を受け入れた、落ち着いた女性像としての礼亜が乗り移った歌となる。
MisaryとLeiaは玲音が、ReonとCanvasは礼亜が歌っていることを実感させてくれる。
めちゃくちゃに好きな演出だ。

歌詞の話に移ろう。

順序が変わるがCanvasから話していきたい。この楽曲は病床にある生前の礼亜、本物の礼亜が生きていた時の、礼亜が思っていたことの話だ。
玲音の絵への憧れ、羨望、妬み、憎しみ。全て混ざった感情が描かれた後、
「あなたが産み落とした景色に私は居ない」でこの歌は締めくくられる。
「四角い永遠の中」でも、「傍にいたいと願った」彼女の思いは、
礼亜の危篤を知らない玲音に届くことはない。

「あなたが描いていた景色に私はいない」
ラストの言語を失いメロディだけになったアンセムと、波形の歪みに溶けていくような声。
最期まで、最期の一瞬まで、玲音の絵の中で生き続けたいと願った。
生前の礼亜の、悲しい歌。


そしてReon。
この歌は紛れもなく「空想の・偽物の礼亜」視点の歌だと僕は確信している。
「書き殴る不安の片隅に永遠を願う君の手」を見ているのも、
「いくつもの 理想や戸惑いを 追いやって笑う君の目」に見つめられているのも、絵の中にいる、玲音の空想の礼亜だ。

空想の礼亜は玲音に描かれているからこそ、玲音の感情、彼の無意識の願いをよく理解している。

空想の礼亜を描き続ける日々は限りなく偽物だった。
本物の礼亜を求め、本物の生きた彼女を追い求める玲音にとって、限りなく偽物だ。

「行き先はそこにあって 幸せはここにあって 変わり行く日々に泣いた」「変わらないものがあって 偽りはここにあって 終わり行く日々に泣いた」
「もしもこの手で僕が包み込めるのならば」「朽ちていく寂しさを知らぬまま遠くなる その手を止めてくれればいいと願う」

偽物を本物に究極まで迫らせ完成させれば、偽物という幻想は枯れて朽ちてしまうことを知っていた礼亜。
それを知っているのに伝えられない。「伝うことのない微笑み」しか、彼には伝わらない。
そして崩壊の時は、玲音が手を止めず絵を完成させようとする今、着実に近づいている。
日々が終わる。空想と幻想を、偽物を無意識に愛していた玲音の肖像画完成までの日々が終わる。

空想の礼亜は玲音が本物を求めていることに気付いていた。
今この手にある空想すら、本物を求めることで消滅してしまうこと。
本物を求めても、本物は手に入れられないこと。
そんな思いを伝えられないまま空想の日々は終わり行く。


○Gerberaという「無題」を表現した世界。Fakeという正解のない結末

Gerberaは玲音視点の物語だ。
「無題」という美しくも淡く儚い世界観が溢れる音となっている。

空想の世界に礼亜の生きた証を、花として、色彩として捧げていく。
そこに咲いた花は、二人の物語は、空想の礼亜との物語は終わり行く。


Fakeは全てが終わった後の歌だ。全てに玲音が気付いた後の歌だ。

「その意思も その声も 何もかも 知らない 僕を見た その顔は いつの日も 悲しく笑う」
よく知る礼亜だった。だけど。
「ただ日々を眺めては 虚空へと求める 未完成な問いかけを」
玲音が懸命に調べた生前の礼亜。それを基に未完成の絵を完成へと、とにかく、とにかく追求した。だけど。

「名前も知らないまま あなたの「死」を描いた」
ここに存在する想像の礼亜は、玲音の求める本物とは全く別の存在だった。
「ガーベラ畑にて」「病床の彼女」「ある水彩画家」の中で、
全ての絵で描いてきた彼女は、玲音の想像の中にある礼亜でしかなかった。それはどうあっても本物ではない。
それを「無題」の礼亜が証明した。

Epilogueのオルゴールの後に響く音は、玲音が筆を床に落とした音に聞こえる。
筆を止めることでようやく物語は終結した。
これは礼亜の肖像画を描き終えるまでの物語だった。
玲音と贋作家でその結末は異なったが、何にせよ物語は終わった。


○無力PのPaletteアレンジは圧巻。エピローグ、哀悼歌として相応しい

少し本筋から逸れるが、アルバムのラストトラックであるPaletteの話は外せない。
アルバムのクロスフェードでもその美しさの片鱗に触れられる。

こちらは原曲。ゆよゆっぺの純粋な投稿コメントマジで微笑ましいな。

悲しい結末を辿った二人の画家を讃える哀悼歌。
やさしい歌を。やさしいキスを。

ずるい演出だ。僕はFakeを受け入れることに手一杯で泣けなかったけれど、人によっては涙無しでは聴けないに違いない。


○"Love"が頻発する漫画Fakeの英文。互いの愛はすれ違った

この記事もめちゃくちゃに長くなってきた。ここまで読んでくれてる人本当にありがとう。ありがとうございます。
そろそろ言いたいことに入っていくよ。

3部作はこの物語の結末であるFakeに解釈の余地を与えるために存在していると言える。
CDはこの結末に敢えて多くを語らず、小説は絶望を、漫画は別の結末を与える。
それが読者にどう届くかは一人一人の知るところだ。


漫画Fakeの英文を見ると、空想の礼亜、空想の世界に耽る玲音の真の願いが見えてくる。

勝手ながら英文を訳したのが以下だ。
(色々間違ってたらごめんなさい。僕はこういう風に読んだ)

“You've spoiled everything, Reon.”
「玲音君......あなたは全てを台無しにしたの」

I pleaded.
僕は嘆願する。

“It's nature. It's love.”
「これが本来あるべき姿だ......これこそが愛なんだ」

“Well, perhaps if both love, it may be different. I have never felt it. ”
「けれど......もし私たちが互いを愛していたら。
結末は違ったと思うよ。
私はそんなものは感じなかった」

“But you must-- you, with your beauty, with my soul!
Oh, Leia, you were made for love! You must love!”
「いや、いや君は......、君は美しい、君は僕の、最も大切なものだよ!
礼亜、君は僕に愛されている!君も僕を……」

“One must wait till it comes.”
「そう思える時まで待ってよ」

“But, why can't you love me, Leia? Is it my appearance, or what?”
「どうして......どうして僕を愛してくれないの?今の僕を見て、何も思わないの?」

She did unbend a little. She put forward a hand -- such a gracious,
stopping attitude it was -- and she pressed back my head.
君は少しだけ体を伸ばして。
優しく僕を手で追いやったーーそして。
君は僕を現実に戻してしまう。

Then she looked into my upturned face with a very wishful smile.
上向きになった僕の顔をのぞきながら、
彼女はこの上なく淡い笑顔を向けた。

“No it isn't that.” she said at last.
「そんなわけないよ。愛してないわけがない」
彼女は最後にこう言った。

“You're not a conceited boy by nature,
and so I can safely tell you it is not that.
It's deeper.”
「玲音君はこんなことをする人じゃなかった。
私はそれを伝えたかったの。
もう十分なんだよ」


僕の解釈だけど、この文は恐らく小説Drawでついぞ語られなかった、「無題」の礼亜が玲音に告げた最期の言葉とやりとりだと考える。

突拍子もなく"Love"という言葉が頻出するが、要は玲音が礼亜に抱いていたものを切り取れば、愛と形容するに相応しいものだったのだ。
そしてそれは礼亜にとってもそうで、玲音の絵に憧れ、羨望し、妬み、憎んだ感情も、入れ混じり乱れあって、結局は愛だったのだ。
だけど一方で、空想の礼亜は玲音から感じるものが「愛ではなかった」と、この文章の中で指摘する。

「もし私たちが互いを愛していたら」
二人は「愛し合って」いなかった。
同じ時間において愛し合っておらず、全ての思いが通わないときに一方を愛していた。
それがこの物語最大の悲劇だ。

礼亜が玲音に焦がれ鎬を削りあった一年間や、礼亜が玲音に描いてほしいと願った死の間際は、礼亜から玲音への一方的な感情を綴っていただけの日々だった。
玲音はそれに気付くことはなかった。

玲音が本物の礼亜を求め肖像画を描いた日々は、生前の彼女を蒐集し少しでも彼女の本物に迫ろうとした日々は、玲音から礼亜への一方的な感情をぶつけていただけの日々だった。
なぜなら、礼亜はもうこの世にいないからだ。今更愛情に気付いたところで、それを伝えようと懸命に描いたとて、それを伝える相手はもうこの世にいない。本物はもうどこにもいない。

漫画Fakeの贋作家とは違い、玲音の求めるものは「ここにいる偽物の彼女」ではなくて、「かつて死んでしまった本物の彼女」だったし、この愛情をぶつけたいのは本物の彼女だった。

その矛盾を、玲音の幻想の中にいる偽物の礼亜は鋭く指摘する。
突きつけられたその言葉に、玲音は気付き、絶望した。

冒頭でDrawを唯一「玲音と本物の礼亜の心が通っていた楽曲」と評したけれど、ここまで読んだならご理解いただけると思う。

小説においてもCDの楽曲においても、玲音と生前の礼亜の思いが重なった部分は「絵を描いてほしい・描きたい」という部分だけだった。
その中で玲音の中に生み出されたイメージは、実際に玲音が生きている彼女を見て抱いたイメージではなく、
生前の彼女の情報と自分の願望を混ぜて生み出した「偽物の礼亜」だったし、
あとの楽曲では二人と偽物の礼亜は独白と願望と気付きを吐き続けるだけ。

こういう捉え方をすると、唯一心が通っていた始まりのDrawの聴き方が多少でも変わるのではないでしょうか。
僕はめちゃくちゃに変わってしまってこの曲が大好きになってしまった。「愛し合っている」「認めあっている」「心が通っている」「互いを認めている」これがこの物語で最も実現してほしかったことだからなあ。それが唯一叶うのは「肖像画を描いてほしい・描きたい」という部分だけ。

悲しいけれど、ただの瞬間でも心が通っている所が見れて、僕は嬉しい。


○順番にifを描いていく「ガーベラ畑にて」「病床の彼女」「ある水彩画家」「無題」

小説Drawの構成は息を呑むほど順序立った構成だ。
4枚の絵画を見ていれば、玲音の礼亜に対する想いと後悔の数々が見えてくる。

「ガーベラ畑にて」は礼亜が病魔を乗り越え、生き延びた世界のif。
「病床の彼女」は礼亜が生きている間に肖像画を見せられた世界のif。
「ある水彩画家」は玲音が礼亜にかけた言葉が異なり、違った人生を歩む世界のif。
「無題」は、そのどれもが叶わなかったことを知り、永遠の世界に生きる彼女を描いた、最大限の空想。

時系列を遡って彼女との出会いの時までアクセスし、その事実を変えた世界を試みた。
だが怜音の想像で絵を見せた彼女は微笑まない。どうやっても幸せな結末は迎えられなかった。
ならばと、「無題」を描く。ありもしない非現実の世界を描く。
その世界で色彩を一つずつ集め、彼女の生前の証拠を一つずつ集め、丁寧に彩ると、
礼亜の絵は遂に完成した。

その瞬間、世界は終わった。
Fakeの英文にあるような言葉を空想の礼亜に伝えられ、花は枯れた。
これが本物を追い求め、死んだ人間への思いを綴った花束を抱えた玲音が迎えた、あまりに悲しい結末だ。

怜音が会いたかったのは、怜音が蘇らせたかったのは「生前の彼女」であって、
「礼亜の死後怜音が想像していた彼女」ではないことに、
身を削り、生活を蝕み、己の全てを賭けて完成させた絵を前に気付くのだ。

そうして、本物の礼亜も偽物の礼亜も自分自身が枯らしてしまったことに気付いた彼は、
慟哭し、絶望し、二度と筆を取ることなく生涯を終える。


○憧れは憧れのままだ。人は唯一でしかあれない。

最後に、僕自身この物語を追って得た知見を、意見を綴りたい。

僕は「ある水彩画家」の結末に最も救いを感じた。
礼亜の才能が開花され、玲音の才能が評価され、二人の持つ唯一を持って世界が彩られたからだ。
玲音に憧れ追いかけることではなく、礼亜の持つものを最大限活かしたことで。
礼亜の持つ唯一を玲音が素直に尊敬したことで。
二人は最期の時まで共に歩むことができたし、互いの願いを叶えることができた。

"perhaps if both love, it may be different."
この言葉の意味するところは、「玲音と礼亜が、憧れではなく、羨望でもなく、互いの唯一を尊重していれば。結末は違った」ということだと僕は思う。
思ってならない。
玲音が描いた4つの絵画のうち、互いの才を活かして生きられた「ある水彩画家」の礼亜だけは、玲音を否定しなかったから。

憧れは人を動かす原動力だけど、
憧れを「なれる」と履き違えるのはやはり恐ろしいことなんだろう。
礼亜は自分の才能を捨てるほど玲音の絵に執心した結果、玲音にはなれないことに絶望したし。
玲音は「生きている絵」に執心し彼女を生かそうとした結果、生きている彼女には勝れないことに絶望した。
贋作家が救われたのは、贋作家にとっての本物とは偽物の礼亜であったからだ。彼は本物に迫ろうとした結果、今あるものの幸せに気付いたし、たまたま、今あるものが最も求めていたものだった。

二人はそうではなかった。今持っているものではなく、今持っていないものに執心した。それが最も欲しいものだったから。
そうして自分の持つものを全て放り投げて向かった結果……「本物にはなれない」ことに絶望した。

だからこそ、僕らは自分自身が持つもの、唯一持つものを大事にしなくてはならないし、
隣の芝生が青いのは、持つ者を羨むのは当然のことでも、
それに執着してはいけないということだ。
だって、あなたの今持っている物でさえ、誰かにとっては憧れとなる可能性を持っていて、
所詮誰彼もそういう唯一しか持っていないし、唯一以外のものにはなれない。
「ある水彩画家」のように、互いが互いを尊重し、
互いの持つもので精一杯戦えていたら、「結末は違ったかもしれない」のだ。
「互いを愛していたら結末は違ったかもしれない」
「互いを愛せなかったから、一方に憧れたから、私達は間違えた」

僕はそう解釈したし、そう解釈せざるを得なかった。

憧れを抱くのも、それに迫るのも悪いことではないし、実際それで迫れるもの、習得できるものもある。

それでも、他者という本物にはなれないのだ。自分という唯一の本物になるしか、ない。


○創作とは。人に影響を与えることとは。憧れを抱かせることとは。

僕は音楽で、芸術で生きていきたいと思っている人間で、その動機の一つに「他者への憧れ」は確かに存在した。
羨望を抱く一人としてゆよゆっぺがいるし、彼の描く音楽の世界に魅了されて音楽を始めたのが事実だ。
だけどゆよゆっぺは、恐らくだけど、この作品の中で「憧れを目標地点とする」ことを否定したのだ。

憧れたものになんかなれない。
誰しも唯一持つものがあり、誰しも憧れられるだけの才覚を持ち、誰しも羨まれる対象になりえる。
憧れたっていいけど、動機はなんだっていいけど。他人の模倣をゴール地点にするのは間違いだ。
どうやったって本物にはなれないから。
あなたはあなたの唯一を大事にしてくれ。
どうか礼亜のように、己の持つ大切なものを棄て去るようなことはしないでくれ。
どうか玲音のように、本当に大事なものを見間違えることはしないでくれ。

完全に勝手な僕の解釈であることを何度も断るが、僕は本当にこう受け取った。
憧れが終着点であってはいけない。僕らは唯一持つものを大事にして、他人の唯一を認めることで、生きていける。

まだ全然創作者として何も為していない僕だけど、以前からこう考えるときがあった。
「もし自分の行ったことや表現したことが人を動かして、結果その人が、最悪死に至るようなことがあったら。それは果たしていいのか」

創作者の表現がリスナーの憧れを生み、その憧れが原動力になりリスナーは行動した。そのせいで才能が奪われ、歩めるはずだった幸福が破綻した。
それが礼亜の物語で語られた事実だ。
まさに僕もこの失敗を歩もうとしていたのかもしれないと思うし、この失敗をリスナーに歩ませようとしていたのではないかと思う。

小説で玲音が語るように、見る人がいる以上、漫然とした気持ちで創作はできないのだ。
責任感ではないし、創作は楽しむことが最も大切だと今も思っているけれど、
憧れと羨望を抱かせるものには他者の才能を奪うだけの力があることをこの物語に教えられた。そう思う。


○Draw the Emotionalありがとう。最高に意義のある作品だった。

まとまらない感想と長文に付き合ってくれた方。本当に本当にありがとう。
きっと3部作Drawの持つ力があなたの目をここまで導いてくれたんだと思います。勝手ながら思う。

Draw the Emotionalというサークルには感謝してもしきれません。
ここまで意義深い作品を世に出してくれたことをファンとして誇りに思うし、大変ながらも未だに活動を続けてくれていることへの感謝はどれだけ言葉で表しても限りがない。
本当にありがとう。これからも心の底から応援してます。

こんなに乱雑でまとまらない文じゃなくていいので、140字の感想でもいいので、
僕の意見と全く真逆のことを言っていてもいいので、似ていることでもいいので、
文字の形じゃなくて二次創作の形にするのもすごくアリだと思うので、
この作品を見て感じたことをみんなどんどんアウトプットしてほしい。

この作品が色んな人に伝わった時、一人一人がどう受け取るんだろうか、という僕の自分勝手な疑問が少しでも解消されたら嬉しい。

紹介の記事と同じ最後で締めくくります。

一人でも多くの方の人生が、この作品によって前に進みますように。