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旧東海道を歩いてみた。(12日目その1:(18)江尻宿~(16)由比宿)

さて、久しぶりの2泊3日の東海道。2泊3日は最初の京都三条大橋から鈴鹿峠を越えて亀山宿に行ったとき以来だ。もう体力的には大丈夫という安心はあるけど、問題は相当痛んでいる左ひざだった。

おそらく、左ひざを痛めた原因は、歩道だと思っている。道路は真っ平ではなく、水はけのために両端が低くなっているので、知らず左ひざを庇うような歩き方になっていたのだと思っている。今までも東海道を歩いていて、すこし左ひざを痛めやすかったが…。

本日は薩埵峠を越える。峠越えは2日連続だけど、今日は富士山にしっかりお目にかかれるので楽しみにしていた。目覚め良好!

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ここ、クエスト清水さんは朝カレーが有名らしいので、朝食をつけてみた。そしてどうやらサッカー選手も食べる豚汁も名物なんだとか。せっかくなのでいただく。

朝からこんなに栄養たっぷりでエネルギーチャージ。昨日が明らかにエネルギー不足だったので、ここにきてモリモリと補給した。

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スタート地点に向かう途中。国道1号線をまたいでいくが、ちょうど「あと170キロ」の表示が。さて、今日はどこまで距離を詰められるかな?

(18)江尻宿から(17)興津宿へ

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◆7:24 江尻東交差点、スタート!
昨日撮り忘れたが、ここ江尻東交差点が昨日のゴールだったので、ここからスタートとなる。国道のほうがにぎやかだけど、旧東海道を歩きたいので、静かな住宅街を抜けていく。

天気は快晴、今日はいい富士山が見えそうだぞ!

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朝日がまぶしい。「無縁さんの碑」があった。何事かと思ったら、どうやら江戸時代の旅人が東海道中で行き倒れになってしまい、そのまま無縁仏として供養した経緯があった様子。

そうよねぇ、昔はこんなに交通網が発達していなかったもの。私たちはその気になればタクシーを読んだり、バスや電車で戻れるけど、昔の旅人は装備も充実していなかったし、行き倒れになることもあったのだろう。過去の歴史を思い浮かべながら、進む。

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知らないうちに2キロも進んでいたらしい。どんどん富士山に近づいているが、その前に一つ山が見えているので、まずはそこを越えることになる。

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ちーんちーんちーん。左膝が痛いよぅぅぅ、と思っていたらちょうど踏切で遮断棒が下りてきた。ちょっと休憩だ。

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もう興津宿エリアに入った。それもそのはず、江尻宿から興津宿までは距離が5キロほどしかない。早々に達成感を味わってしまった。

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「東海道薬局」って、なんと豪快な名前の薬局だ。通いたい。膝の薬を売ってください。ぜひ。

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海が近いことをひしひしと感じる。思ったより交通量は多いけど、このあたりは歩道が整備されているので、かなり歩きやすかった。

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◆8:16 興津坐漁荘
興津坐漁荘は、中に入れるけれど門が閉まっていてそもそも入れない。この建物の外観からしても、かなり趣がありそう。

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◆8:18 清見寺
石段を上がり、上に見えているのがお寺。少し気になって石段を上がってみた。

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実はここから坂を登り、線路の上を橋で渡ってお寺に行く、という入り方をするらしい。おそらく昔は直接行けたんだろうけど、JRが通ってしまったのでこんな風に分断されてしまったと思われる。

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ここで電車が来てくれたら、いい写真になったんだけどなぁ。上手くはいかないものです。

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さて興津宿に着いたので、いよいよ薩埵峠に向かっていく。気持ちがもう薩埵峠に向いているあたり、せっかちだなぁ~。

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◆8:26 興津宿西本陣址
おっと、その前に本陣跡を。今や事業所の駐車場になってしまっている。

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うわっ! インパクトのあるシャッターと看板があったので撮影。店主さんがファンなんだろうか。
(松坂看板は、京方からなら見やすいと思います。江戸方からの場合、イチローシャッターを見つけたら振り返るとOK)

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◆8:28 興津宿脇本陣水口屋跡
少し敷地内に建っているので分かりにくいかも。工事中だったようだけど、シャッターを向けるとわざわざ避けてくださり、「ありがとうございました!」と声をかけたら、ヘルメットの鍔に手を置いてぺこっとしてくださった。

いいやりとりだった(ニッコリ)

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なんだか最近、看板にツッコミを入れまくっている気がするけど「宮様まんぢう」って何!? 宮様なので、皇室関係?? 献上品??

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◆8:30 興津宿公園
大きくはないけど、ちょうどいい大きさの公園だった。一休みできそうだけど、薩埵峠に早く行きたかったので、休憩せずに次に進む。

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なんだか雰囲気いいなぁ。別荘地としても使われていたところもあったらしく、なるほど、確かに別荘を建てたい気持ちはある。(お金があれば)

(17)興津宿から薩埵(さった)峠へ

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◆8:36 興津の一里塚跡
工場前に碑が立っている。しゃがんで撮影するのも、ちょっと左膝が痛いぜ…!

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◆8:38 身延道入口の碑
どうやらここから甲斐の方向へ向かっていくらしい。山越えかな。日本は山が多いから、大変だ。

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◆8:45 駿河健康ランド付近
「駿河健康ランド」。健康ランドだから、温泉があるのかなぁと思って、いろいろ調べていて、なんとかここに泊まれないか検討したことを思い出した。

箱根越えをするにあたって、絶対に三島宿がゴール&スタートになる必要があったので、どう頑張ってもここに泊まるのは難しいと判断したけど、、、ここに泊まりたいけど、泊まろうと思ったら歩行者はどうやって向かうんだろう。途中で横断歩道があるんだろうか?

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これからこの右手に見える橋を渡り、左手に曲がって薩埵峠に向かっていく。ちょっとわかりづらい道だった。

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これといった目印がないが、民家の角にたたずむ供養塔が目印。これが見えると、京方からは一旦右折する。江戸方からはちょっとわかりにくいかも。

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供養塔が写真の左端に見えている。さっき見えていた橋を渡るのにどうすればいいかなぁ、と思っていたら、どうやらこの石段を上がっていくようだ。江戸方からはこの細い石段を下り、右折して突き当りを左折となる。

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橋を渡るぞ!と思ったらご覧あれ、歩道がない! うわーー! トラックが来ませんようにと祈りながら、風に飛ばされないよう帽子を押さえてなんとか渡り切る。右手には海が見えているんだけど、眺めている余裕はない。

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橋を渡り切ったら、宇津ノ谷峠で見かけた標識が。ここから先、この標識に従って薩埵峠に向かっていく。

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◆8:57 川越遺跡
東海道は、ほとんどの場合橋ではなく「渡し」があったようで、ここも遺跡が残っているらしい。人足による渡しは雇用の創出につながったというけど、命がけだなぁ。

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「あんこの里」と聞いて、スキップが超苦手な某アナウンサーを思い出した私。あんこは人並みに好きな私ですら、なんだか気になったけど、48分もかかるんかい! 行けないよぅ!

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いよいよ峠に向かっていく。住宅地を通って向かっていくのが、ちょっと緊張感がない。いつもなら、山の中に入って行って、いよいよ峠だ! という気分になるけど、ご覧の通り家が建っているので、本当に峠なの? と思っていた。

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薩埵峠ってハイキング道と聞いていたけど、いい季節なら、ここをハイカーが通っていくのかな。ぞろぞろと。

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峠っぽくない、と思っていたけどだんだん上り坂になってきた。そんなところで、なにやらアニメ画風の板が現れた。萬城姫の伝説について。

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次いでアニメ画の武将は足利尊氏かな。このあたりは観応の擾乱にまつわる言い伝えがたくさん残っているんだろうか。元々尊氏は鎌倉あたりにいた人だから…?

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短いけど結構キツい往還坂。「峠だなんて信じられない」なんて言って、すみませんでしたぁぁぁぁ!

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ハイキングコースの看板を見て、「うん、金谷峠ほどじゃないはず。宇津ノ谷峠ほどじゃないはず」と言い聞かせる。宇津ノ谷峠もハイキングコースだったはずだけど、こっちはより観光地化されてるから、うん、大丈夫大丈夫。

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◆9:16 薩埵峠へ
お墓を通り抜けて、いよいよ薩埵峠に入っていくぞー! 左膝は今のところ大丈夫。

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ちょっと息が切れてきたところで、富士山が見えてきた!

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うわぁぁぁぁぁぁ!!! 絶景ー!!!!!
ハイカーというより、写真を撮りに来たという雰囲気の人たちが何人も三脚や一眼レフをセットして座り込んでいた。このお天気だし、すごく綺麗に写真も撮れるだろう。私のデジカメでも、こんなに綺麗に撮れた。スマホでも何枚撮ったことか分からない。

さて、ここから警報を出します。

「富士山、撮りすぎ警報発令!!」

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春を見つけたので、春とともに富士山を撮影。富士市の町並みが見えている。今日はあのあたりまで行くんだなぁと思うと驚いてしまうけど、今は富士山だけを見ていたい

なにせ、この景色を見ることが「旧東海道を歩いてみた。」最大の楽しみであったから。晴れて良かった! しかも快晴!!

カメラマンたちは微動だにしないが、私はこれからまだまだ歩くので一番最後に到着したけど、最初に去っていった。名残惜しかったけど…。

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午房坂と書いてあるけど、さほど急な坂ではない。

で、ごぼう?

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広重の絵の場所は、さっきの写真というよりは展望台の方がちょうど良さそうなので行ってみた。

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どん! 国道1号線、そしてJRが走っているのが見える。やっぱりこちらのほうが眺めはいいなあ! お天気カメラの景色だ。

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駿河湾、そして箱根山が見えていて…
明日行く沼津市は写真の右手のほう。そして富士市が見えているけど結構遠い。(さっきも書いたけど、やっぱり遠い)

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伊豆半島あたりを写したつもりになっているけど、合ってるかな?
随分薩埵峠を下りてきた。下りのほうが左膝の痛みを感じるので、ちょっと引きずるようにして下りている。

薩埵峠から間の宿西倉沢、(16)由比宿へ

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薩埵峠を下りてきたところで、工事をしていて通行止めになっていた。あちゃぁぁぁ、とため息をついていると、工事現場の人が声をかけてくれた。

「由比に行くの?」
「はい」
「今、土砂崩れの工事中。本当は歩行者もダメなんだけど、何かあっても自己責任ということを了承してくれるなら、行ってもいいよ」

長考することもなく、即座に「せっかくなので、ぜひ行ってみたいです」と答えて、ちょこっと頭を下げて由比宿に向かった。

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江戸方からの入口の薩埵峠にはパーキングがあり、車で乗り付けてここから峠に向かっていく人もいた。

薩埵峠は峠と言いながら、景色がいいので疲れも心地よい。左膝にエールを送りながら、無事に越えられた。

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柑橘類がーー! 黄色と富士山もいい具合にマッチするなぁ。

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下り坂はここで終わり。逆光になっているけれど、右手に夢舞台東海道の標識があり、「倉沢」と書いてある。どうやら間の宿西倉沢に着いたようだ。

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◆9:54 西倉沢の一里塚跡
入口にさっそく一里塚。旧東海道らしい町並みの名残が残っている。

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◆9:54 間の宿藤屋(望獄亭)
富士山の眺めの良い宿だそう。そして山岡鉄舟ゆかりの家。(山岡さん、青天を衝く予定はあるんだろうか?)

このあたりに住んでいる人は、富士山を毎日拝めるんだもんなぁ、いいなぁ!

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◆9:55 西倉沢脇本陣柏屋
そして脇本陣がある! 明治天皇の御休憩所になったくらいなので、由緒あるところだ。

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えびのまち! 今日はえびを食べるぞーーーー!! 
待ってろよ、シュリンプ!!

お腹が空いてきた。この旅は空腹とともにある気がする、ずっと。朝、がっつりカレーと豚汁を食べたのにどういうこったい。

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こちらも桜エビで有名な磯料理くらさわやさん。私は由比宿でエビを食べる予定なのだ。先を急ぐことにする。

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◆10:08 あかりの博物館
外観が素敵なので中が気になるところ。そしてポストがレトロでいい感じ!

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◆10:09 小池邸(国登録有形文化財)
中には入れなかったが、登録有形文化財になるくらいなので、かなり見どころがあるんだろう。そういえばこのあたり、小池という表札がたくさんあったので、子孫の方々だろうか。

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街道の風情、そして奥に大きな富士山が…!

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ミニ橋だけど、富士山の意匠が施されていた。要チェックや!

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◆10:19 由比駅通過
そうこうしているうちに由比駅を通過。そろそろ東海道ウォーカーらしい人とすれ違うかなと思ったけど、一向に今日は遭遇しないなぁ。

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エビバウアー!!
なんていうくだらないことを考えながら、桜エビを楽しみにしている私である。ふふふのふ♪ 奥から、富士山がひょっこりはん。

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由比宿の入口まであと少し!

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由比の町並みによくみられる「せがい造り」…らしいけど、そういえばそうだった気がする。(気づいてなかった)写真を見直して、ああ、確かにほかでこういうのは見かけなかったなぁ、、、。

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すっかり見落としていたが、すっかりお餅屋さんだと思ってスルーしてしまっていたが、ここでも「桜えびかき揚げ」を食べることができたらしい。ああ、写真を見直して気づくなんて…ショック。

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◆10:38 由比川橋
この橋を渡ったら、いよいよ由比宿エリアに入る。本当はこの橋は旧東海道ではないんだけど、旧は通れなくなっているらしい。

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広重の絵発見! 景色の良さが描かれているわけではないんだなぁ。当時はそうだったのかな?

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◆10:40 由比宿西木戸跡
由比宿の案内板が。さあ、いよいよ由比宿です。
いつものことながら、うなぎの寝床のようにひしめきあっているんだなぁ。

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レトロな建物があるなぁと思ったら、清水銀行の建物とのこと。

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◆10:42 脇本陣徳田屋
由比宿は結構そのままの姿が残っているかな? と思ったけど、そういうわけでもなく、やはり当時の姿を残すのは難しいことなんだなぁと、改めて思った。

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あああああああーーーーーーー!!!
桜エビーーーーーーーーーーー!!!

がーーん!!とショックを受けたのは、このおもしろ宿場館の2階で、海など眺めながら桜エビのかき揚げを食べるのが夢だったからだ。なんと、テナント募集になっていて、閉店してしまったらしい。

弥次さんか喜多さんか、どっちか分からないこの旅人のオブジェがなんだか空しい…。

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◆10:43 問屋場跡
桜エビかき揚げを食べそこない、空腹もピーク、そしてメンタルの減りもピーク、左膝の痛みもピーク、という三重苦にあえぐなか、問屋場ももはや跡地になっていて、メンタルは底にきていた。

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◆10:43 由比宿脇本陣 温飩屋(うんどんや)
ああ、ダメだ。「うどんや」に見えて仕方ない
(空腹で思考が大変なことになっている模様)

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本当は、由比宿、もっとちゃんと…時間をかけてじっくり見られたら良かったなぁと思った。こんなに綺麗な街並みだし、すごく東海道っぽいのが残っているのに、気持ちが急いていた。歩く距離は昨日の方が長いのが確実だったんだけど、やはり体力というか足の問題で、早くゴールしたかったから…と思う。


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◆10:44 正雪紺屋
あの由比正雪の実家…というか、生家と言われているところだそうです。紺屋が実家だったのか。てっきり武家の出身だと思っていた。

そういえば江戸時代って、案外武家のほうが貧しく、商家のほうが裕福だった…という記憶がある。「武士は食わねど高楊枝」っていうし。

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◆10:45 由比宿本陣跡
今は公園になっている。当時の姿をほんの少しだけでも感じられるのは本当にありがたい。ベンチもあるので、旅人にとっては小休止できて、ますます嬉しいところ。

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◆10:47 御七里役所跡
飛脚の手配ができるところらしいです。紀州藩が置いたのだとか。鞠子宿にもあったなぁ、と思い出したけど、今まであまり登場しなかった。本当はもっとほかの宿場町でもあったけど、もう跡形もないということだろうか。

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うぉぉぉぉっ!!すごいー!!こりゃなんだ、いつからあるんだこの建物は!!と思ったら、よく玄関を見てください、実はこの中、作業場になっていたようで、、、ええ、こんな雰囲気のあるところで作業ができるの!?う、うらやましい…! と思った私。

おそらくそんなことを思う人間は、少数派だと自覚しております。ええ、私、結構変わり者と言われてます。親にも。

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◆10:48 由比宿東枡形跡
そんなこんなで、東枡形跡までやってきた。由比宿にも枡形があった様子。ということで、由比宿はここでおしまい。次は蒲原宿に向かいます。

(その2に続く)

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