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旧東海道を歩いてみた。(17日目:(5)戸塚宿~(2)川崎宿)

サムネ見て、「もう横浜入ったんでしょ?ゴールは川崎?なんでそんな東海道の雰囲気の残るところあるの?」と思っていただけたら、私としても嬉しいけど、そういう人は少ない…か。(一人でノリツッコミ失礼)

さて、いよいよ東海道の旅もあと2日で終了だ。あと2日は30kmも歩かないので、ゆっくりめのスタートだ。

(5)戸塚宿エリア

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◆8:23 出発(スタート)
スーパーホテルって、朝食がすごーく美味しい。富士市で泊まったときもそうだったけど、ここも美味しかった。(ご当地メニューを食べられるのもGOOD)
それに、両方ともフロントの方も朝食会場のところにいた方も含め、従業員の方の感じがとても良い。

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とあるスポーツクラブの前に、こんなものが。広重の絵との合体作品。(実はあと2枚ほどあったが、通勤途中の人たちもたくさんいたので控えた)

大丈夫、広重の絵は…著作権切れてる!

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戸塚宿でも、旧東海道の標識が。なんとなくオシャレ。少し神戸の街を思い出した。なぜだろう。

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自販機でも東海道五十三次を主張している。こういうの、好き。
そして、戸塚宿の付近はやはり歩きやすい。風情でいえば、やはり愛知県内や静岡県内、滋賀県内などを歩いていたときのほうが断然あるのだが、街歩きをしている気分だし、なにより危険が減ったので、気楽な気分で歩けるようになった。

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柏尾川を渡る。地元の方なら見慣れていそうな景色。
通勤する人たちは駅に向かっているので、私は逆行していることになる。のんきに歩いている。

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はい、いつもの、橋にあった…浮世絵!

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◆8:33 戸塚一里塚跡
戸塚の一里塚跡。偶然にも、背後に建っている家は、明らかに現代の住宅だけど、その建物の佇まいのよろしさから、一里塚があった光景を簡単に思い浮かべられた。

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だんだん道幅が狭くなり、旧東海道の道幅っぽくなってきた。そして、ほら、茶屋…じゃないイオンも見えている。イオンが見えるとホッとする。

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◆8:38 戸塚宿江戸方見附跡
イオンは茶屋じゃなかった、見附だった。イオンが戸塚宿の出入り口になっているとは…そんなこと意識して買い物に来ている人は、少ないだろうけど、なんだか羨ましい。

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地図の赤い線の部分が、ちょうど戸塚宿エリア。いつ見ても宿場町は…長い!どの宿場も大体2kmほどあるから、抜けるのも結構大変なのだ。

(5)戸塚宿から(4)保土ヶ谷宿へ

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ブリヂストンの工場!おお、私のクロスバイクのメーカー様じゃないか…!安心と信頼のブリヂストン!

このあたりは大きな工場がたくさんあった。少し郊外だけど、交通の便が良く、横浜にも東京にも近いのが良いから、だろうか。そのため、大型トラックもびゅんびゅん通り抜けていく。

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さて、車の多く通る道を外れ、旧東海道は住宅地の中を抜けていく。急に静かになり、若干不安を覚えたが、間違いなさそう。

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特に看板が見当たらなかったけど、おそらくこれが国産初の「鎌倉ハム工場」跡地と思われる。

あ、写真に写っている看板っぽいのは解説の看板じゃないので、気にしないでください。

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横浜は思ったより坂が多い。関東出身の人からは、「横浜は坂結構あるから面倒だよ」と教えられていたが…、うん、確かに坂が多い。でも、ここまで長い距離を歩いているし、何より峠を越えまくっていたので、大したことはない。

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お、水素ステーション! この東海道の旅で見かけたのは2回目。営業時間前なので、侵入できない様子。

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ああ~、橋があるなぁ、と思っていたら、おっと、橋の端に浮世絵モチーフ! 油断していたよ!! 

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◆9:08 東戸塚駅前を通過
歩き始めて1時間…。いつもならまだ元気いっぱいなのに、もう喉が渇いて渇いて。すごい勢いで給水してしまう。いくらでも補給スポット(自販機&コンビニ)はありそうだけど、それにしても、朝からこんなに陽射しがきついとは…。

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本当に東海道? と思ってしまうようなところだけど、戸塚区は親切な看板が適宜示してくれているので、間違いないと断言できる。この道、まさか東海道を旅してるなんて、パッと見て思えないだろう。近辺の方ぐらいしか利用しないのではと推察されるようなくらい、ひっそりとしている。

なにはともあれ、遠くに高層のマンションが見えていて、中心部に近づいているのを実感しながら歩いた。

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こんな素敵な看板があるなんて、嬉しい!
地図を開く手間も省けるし、なによりこういう住宅街、いくら地図を見ても目印が少なくて分かりにくいのだ。

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ギョギョギョッ! こ、これはまた遠くに坂が見えているじゃないか
こんな、いかにもごく普通の住宅街を突き抜けたことは、これまでも何度もあったけれど、なんとなく今住んでいるところに近い雰囲気でもあるので、デジャブ? とも思いながら歩いていた。

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本格的に坂に差し掛かった。道幅が狭く、本当に東海道?と、さっきも思ったことを、またまた思ってしまったが、電柱に「こっちだよ」と戸塚区役所の人が貼った看板があるから、間違いない。(区役所の方、ありがとう)

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日陰と日向と写っている。これまで結構日向を歩いてきたので、体力はゴリゴリ削られている。陽射しがきつい。絶対焼けているだろうなぁ、日焼け止め塗っているけど、と思いながら坂を登る。日向になると、やや速足になる。

坂はもう慣れているから、どうということもないんだけど、陽射しのキツさのほうが参ってしまう。結構、フラフラになっていたので、水分補給しつつ進んでいく。

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ぎゃー! またまた陸橋!

と、反射的に叫んでしまったけど、あ、なんとなくこの陸橋は大丈夫そう。

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と思ったけど、やっぱり怖かった。
写真は東京方向に向かって撮影。いかにもニュータウンという雰囲気がした。大阪でもこんな景色見たことあるなぁ、と思ったけど、なんとなく千里ニュータウンとか万博公園あたりって、こんな感じだった…気がする。(遠い記憶)

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そして、またも坂が。
横浜出身の同僚から、「横浜は坂が多いですよ」というのを聞いていたけど、そのとおり! その情報を知っていても、ここまで多いとは思わなかった…ぜ!

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そうかと思えば、なんだかほのぼのとした景色に遭遇した。坂を登り切ったら、急にのどかな景色が。畑もあり、なんだかほっこりする。いいなぁ、横浜市内に畑って、交通に便利だけど畑もできるなんて…憧れる。

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◆9:28 品濃一里塚跡
ほっこりしていると、一里塚があった。ごく自然に混じっていたので、なんとなく江戸時代の景色もこんな感じだったのかな? と思いを馳せることができた。

それにしても、横浜市内でこんなにしっかり一里塚が残っているとは、想定外で嬉しい誤算だった。

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遠くに高層マンションがいくつも見えているので、横浜市内で都会であることも間違いないけれど、このあたりは一戸建ての多い閑静な住宅地になっていて、ちょっとした都会のオアシスのように感じられた。こういうところに住めたらいいなぁ…。

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やきもち坂?? お腹が空いてきたのか、すぐさま反応してしまったが、やっぱり坂道。「横浜って港のイメージを持っていると、痛い目に遭うよ」というアドバイスも受けていたが、確かに! 坂が多い! 
西の出身者からすると、ちょっと横浜のイメージが変わってきた。でも、いい方に。そして、親しみやすい方に。

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じりじりとした暑さが体力を奪っていく。本当は影のある方を歩きたいが、歩道を歩かなければ危険なので、仕方なく日向を歩く。飲み物の消費ペースがとても速い。

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こっそり絵があるように、品濃一里塚から一旦下り、そして焼餅坂でまた上る。アップダウンが激しい。

(4)保土ヶ谷宿から(3)神奈川宿へ

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◆9:35 保土ヶ谷宿まであと一里の碑
一瞬、保土ヶ谷宿エリアに着いたかと思っていたが、どうやらぬか喜びだったらしい。だけど、あと4kmということは、1時間ほどで到着できるはず。

しかし、まだ9時半すぎなのに、かなり体力を消耗している。水分補給は大事。都会なので、いくらでも補給はできるが、陽射しの強さですごい勢いで水が減っていく。そして温くなっていく。

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◆9:37 境木立場跡
「あと一里」の近くに立場跡があった。私も休みたい。本当に。
暑いよぅぅぅぅ!!

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今度は下り。しかし、ここが本当に東海道なのだろうかと思うくらいだ。
まだ夏じゃないのに、夏のようにじりじり暑い。

そういえば、、、神奈川県に入ってから「夢舞台東海道」の碑がなくなった。ちょっと寂しい。

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権太坂だ!
あの、駅伝で有名な、権太坂!! 今日は権太坂を歩くというのは予習して知っていたけれど、権太坂の場所を知ったのはこの予習のときで初めてだった。また、実際に歩いてみて、坂があまりにも多すぎたなか、確かにこの坂は距離も長く、勾配も急だったように思う。

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権太坂の由来は諸説あるようだけど、老人の名前が「権太」説をとりたいかな、個人的に。理由は、なんだかほのぼのするから。

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そして、またも高速の上を歩く。静岡でも歩いたけど、この瞬間はすごく緊張する…のだ。ついに東海道を歩いている間に、高所恐怖症の克服はできなかったようだ。

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保土ヶ谷宿(程ヶ谷宿)エリアに入った様子。
松並木を残そうという活動をしているらしく、わずかな距離ではあるが、それらしい風情を感じられるところにやってきた。

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松の木、お久しぶり。
まさか保土ヶ谷宿でも会えるとは思わなかったよ。

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この区間、本当に素敵だった。
もう保土ヶ谷宿もかつての姿は残せなくなっていて、近くは幹線道路が走ってしまっているけれど、こういうわずかなところだけでも雰囲気を留めようとしているのは、なんて素晴らしいことだろうと思った。

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◆10:18 保土ヶ谷宿一里塚跡・保土ヶ谷宿上方見附跡
一里塚跡と上方見附跡がセット。こういう保存をしたら、できれば後世に、子どもたちにも伝えてほしいと思う。既にやっていると思うけれど、ぜひ。

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◆10:22 旅籠屋(本金子屋)跡
旅籠屋跡が残されていた。昔の姿そのままではないだろうけれど、「ないだろうな」と思っていたところに、それらしいものが残されていると、なんだか嬉しい。

で、この写真を撮るのにしゃがんでカメラを上に向けていたところ、歩行者の方がクスッと笑って通り過ぎて行った。す、すみません(汗)

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◆10:23 保土ヶ谷宿脇本陣跡
やはり脇本陣跡などになってくると、残っていない様子。ただ、規模のほどはなんとなく分かった。

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この背景は一般企業だったので、撮影は控えたが、壁にこのようなものがあったので撮影。やはり、かつてはこのように宿場町は立ち並んでいた。少し残された旅籠屋や上方見附などから、そっと想像してみるのも面白い。

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◆10:25 保土ヶ谷宿本陣跡
後ろの廃墟のような建物はなんだ!?と思いながらも、これは本陣跡らしい。ということは、何か本陣跡の…関係あるもの?? そしてこちらも、やはり名立たる名家の末裔が本陣を務めているとのこと。

もし、「東海道五十三次本陣・脇本陣末裔サミット」なんてものを開催してくれたら、ちょっと見てみたい。

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東海道五十三次を歩く会のような方々が、ぐるりと囲んで説明を受けていた。私も聞きたかったけど、すぐに終わってしまい…トホホ。(写真右端に写っている後ろ姿の方々のことです)

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ここは一体なんだったんだろう…。もう少し早くやって来て、先ほどの会の人たちに交じって説明を受けたかったなぁ。

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東海道ではよく見かける「シャッターに浮世絵」だけど、保土ヶ谷のようなところでも、やってくれているんだなぁ。

今更だけど、昔の呼び方は「程ヶ谷」です。今は「保土ヶ谷区」ですね。

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なんだか日常に近い光景だけど、看板がいくつもあるので、街道なんだと意識するポイントはちらほらとある。

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◆10:31 保土ヶ谷宿問屋場跡
先ほどの本陣跡や脇本陣跡は大通り沿いだったのに対し、住宅街のようなところに入っており、道幅が狭いので、同じ宿場内にいる感覚はやや薄いが、これも時代の流れだろうか。

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◆10:32 保土ヶ谷宿助郷会所跡
うーむ、Photoshopでこの白い棒を消したい…でも修正難しそう。

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道幅が広くなった。でも、なんだか落ち着くのは、建物が高くなく、また緑もあるからかもしれない。東海道を歩いている中で、このような景色のところを歩くのはそういえば神奈川県入りしてからだなぁ、と思い返す。

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ちょっと色あせてきているが、地面にはこのように歴史散歩道と示されているので、ここは東海道なんだと再認識。

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相鉄天王町駅が近づいてきたところで、小さな公園があったので、水分補給をしながら小休憩。まだ10時台なんだ、暑さのピークは今じゃないんだよなぁ。できるだけ歩を進めたいところ。

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◆10:44 相鉄天王町駅を通過
公園のすぐ近くの天王町を超える。わずかな日陰が嬉しい。本当に暑くてたまらない。真夏じゃないのに…!

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◆10:48 保土ヶ谷宿江戸方見附跡
東海道あるある「跡地が駐車場化」。時代の流れだ。これは致し方ないことである。

しかし、保土ヶ谷宿は京方見附が復元されていた。復元できない諸々の事情のほうが多いはずなので、復元できるというのは奇跡的なことなんだなぁ。

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◆10:53 追分
保土ヶ谷の追分にやってきた。追分、つまり街道の分岐点。八王子道はこの写真奥を進んでいくらしい。八王子は行ったことがないが、よく名前には聞いたことがある。高尾山の方向ということだろうか。高尾山行きたいなぁ。興味あるけど遠方なので、なかなかたどり着けない。

このまま写真右手の方向に向かい、東海道を進んで江戸日本橋に向かっていく。

(3)神奈川宿から(2)川崎宿へ

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しばらくはこのような住宅街を通っていく。ご覧の通り、歩道がない。住民の足になっている車が多く通っていたので、歩くときは慎重に。本当は車線に従って左側を歩いたほうがいいのは理解していたけど、暑くてたまらなかったので、影のあるところを気を付けて歩いた。

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急に道が開けた。歩きやすくなって楽になったけど、やはりさっきの歩道のない道のほうが、なんとなく東海道らしい。今はこういう道幅も広く、マンションも建ってしまっている、というのも時代の流れを感じられて、良い、といえば良いか。

そういえば、マンションの背がさらに高くなった。街中の景色ではあるが、こういったわずかな違いを見つけるのも楽しい。

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一体いつ神奈川宿エリアに入ったのかも分からないまま、神奈川宿に入ったようだった。そう、都会を歩いているとこういうのが増えたなぁと思う。見附の跡地が看板すらない、ということもざらだ。

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私の認識では、このあたりから神奈川宿エリアに入るイメージだった。橋はやはり、ひとつの目印になるなぁ。

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◆11:18 神奈川台関門跡 袖ヶ浦見晴所
「見晴所」というくらいだから、このあたりから袖ヶ浦が見えたのかと思うけど、言わずもがな、このあたりはすっかり都市化されていて見えるのは建物ばかりだ。

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◆11:20 神奈川宿田中家
小田原宿以降は、「神奈川はもう都会だから、あまり街道らしい建物はないだろう」と踏んでいたが、ちょこちょことこういった風情ある建物が残されている。

ここ、田中家は坂本龍馬の妻・おりょうゆかりの割烹で現在も営んでいる様子。お、お高いんでしょう?

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先ほどの袖ヶ浦の碑の近く、民家(といっても豪邸)の塀に看板が設置されていた。(個人で設置? ありがとうございます!)

袖ヶ浦の景色は、やはり広重が浮世絵にしていた。宿場町のすぐ近くに袖ヶ浦があった、とは思えない(誇張表現か?)けど、これに近い景色はあったのかなぁ、と思うことにした。

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◆11:23 大綱金刀比羅神社と神奈川宿一里塚
どうやら神社の中に一里塚があるらしい。ここまでの旅の中で、同じように神社境内の中に一里塚があったなと思い出した。(例:吉原宿を過ぎ、吉原駅に向かう途中の左富士神社内)

一里塚自体が、当時の場所から移設されていることもあるので、当時は若干場所が異なるかもしれない。街道が廃止され、都市化が進むにつれて、少し場所が変わったというのが、時代の移り変わりだなぁ。

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◆11:26 青木橋交差点を通過
本覚寺前にやってきた。東海道を歩くとなると、いつもこのあたりの写真が紹介されているなぁと思いだして、私も便乗して撮影してみた。奥に見えているのが本覚寺で、元アメリカ領事館跡。り、領事館!? 領事館になるくらいだから、大きなお寺なのだろうと思われる。急ごしらえで領事館としたのだろうか…。

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うわー! これは鉄道マニアではなくても圧巻の景色で、テンションが上がってしまう。電車が通過するタイミングではなかったので、電車が映らなかったのが残念だけど、これは見ごたえがある。しばらく立ち止まって、電車が来るのを待ちたかったが、陽射しがきつくて喉の渇きもあったので、先を急いだ。

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以前の「大阪環状線を歩いて見た(後編)」でも見かけた、壁面に描かれた学生のアート。本当、これは名案だと思う。この伸びやかな感性、いったいいつ失われてしまったんだろう。元々なかったよ、と言う人もいるでしょう、それは否定しませぬ。(絵は苦手)

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東京まで30kmを切った様子。本日のゴールの川崎までは10km。
その気になれば、今日中にゴールできなくもないけど、のんびり歩を進めたいし、東京ではゴール後にちょっと贅沢なランチを予定している。このキツい陽射しでも頑張っているのは、もはやこのセルフご褒美のためといってもいい。

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私はなぜか、こういった水路があるとカメラを向けてしまう癖があるらしい。都会の街並みが続いていたが、ホッとする景色だった。

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◆11:38 神奈川町本陣跡と青木町本陣跡
やはり神奈川宿はもう跡形もない。仕方ない。なので、このような看板が不意に現れて、やや焦ってしまった。
ご覧の通り、交通量の多い道路にひょっこり立っているもんだから、まさか車を運転しているドライバーもここに「本陣跡」なる看板が立っているなんて知らないだろう。

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◆11:48 日本橋まであと28km
日陰が少なく、じりじりと陽射しが体力を奪っていく。まだ夏本番前なのに、この体力の消耗はつらい。そろそろどこかでランチしようかと思ったが、なかなか見つからない。都会だし、会社もちらほら増えてきたので、ランチタイム前に早く店に入りたい。

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◆11:56 昼食休憩
あった…! オアシス発見!!
この先にも食堂は見つかるかもしれないが、時間帯からして近くのサラリーマンとバッティングする恐れがあるので、ここで体力回復がてらランチをすることにした。

疲れていると、炭酸が欲しくなる。一気飲みできる勢いだったけど、絶品チーズバーガーとの相性も良く、少しずつ飲んでいった。

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とあるマンションの前に、不意に現れた碑。
知っていました? 子安はトマトケチャップのふるさとなんだそうです。子安を歩いていると知り、知っている地名が出てくるとなんとなく意気揚々としてきた。

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◆12:59 東子安の一里塚跡
今じゃ、道幅の広い車線があり、マンションがいくつも建ち…という子安も、昔は「村」だったんだなぁ…。

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東海道の中ではかなり賑やかに感じるのは、高い建物が増えたからだろう。
とはいえ、比較的このあたりは静かだ。賑わいというより、マンションが多いようで、歩行者にとってはとても歩きやすい。

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◆13:03 キリンビール工場前を通過
おおおおおお!!!!! ビール! ビール! 一番搾り美味しいです!
入りたい、でもきっと開いていない。開いていたとしても、このご時世は自重かなぁ、と残念な気持ちになった。

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◆13:03 生麦事件の碑
歩く前に予習しているときに気になっていたのが、この「生麦事件の碑」だ。先ほどのキリンビール工場の近くにあるが、このようなところで事件が起きたのか…。先ほどみた子安の村の風景を思い返しながら、まだこの事件の起きた頃はそれほど開発もされたいなかっただろうから、住人たちには大きな衝撃を受けた事件だったのではないだろうか…。

しかし、どうでもいい話だけど、高架下なので、涼しい~~!

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旧東海道の様子のイラストが描かれているが…、なんだか横浜の手にかかると、オシャレに感じてしまう。そしていつの間にか、神奈川区から鶴見区に入っていたらしい。

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◆13:15 生麦事件発生現場
しばらく江戸方に進んだところで、ある民家の前に設置された看板。ここが、本当に生麦事件の発生した現場らしい。(先ほどのは、あくまで「碑」だけ)
背後は、人の住んでいる民家だったので、写真撮影は控えたけど、このような看板を置いてくださり、本当にありがとうございます。おかげ様でなんとなくイメージが湧きました。

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生麦事件の発生現場の少し前から、車の多く走る大通りから外れて歩いている。旧東海道は、このような感じ。こういう風景のほうが慣れてしまったなぁ。「寂しい」と感じる人もいるだろうけど、私は「こっちのほうが東海道っぽいなぁ」と嬉しくなる。

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なんともレトロなところだ、と思い撮影したが、どうやら「国道駅」が近くにあったらしい。耐震性は大丈夫だろうかと思ってしまうような古さだが、これがまた、味があるなぁとも思う。

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少し通りが開けてきた。どうやら駅に近づいているらしい。四日市宿あたりを歩いているとき(正確には、四日市駅に向かっているとき)のような景色だな、と思い出した。結構、覚えているもんですね。

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◆13:37 鶴見駅を通過
鶴見駅に着いたらしい。鶴見区って、そういえば川崎市のお隣だっけ? ということは、川崎宿はあとわずか。

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◆13:40 鶴見の一里塚跡
急に、鶴見になってこのような看板が現れたので、「おや?」と思っていると、どうやら鶴見は間の宿があったとのこと。(先ほどの生麦も

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間の宿らしい、お茶屋さんがこのあたりにあったということだった。今もこのあたりは商店が並んでいて、賑わっている。

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鶴見駅から少し歩くと、閑静な通りにやって来た。ものすごく人通りが多いわけではないけど、適度に人が歩いていて静かで、なんとなく「住みやすそう」と感じた。マイ住みたい街ランキング・上位入り決定!

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横浜開港に伴い出来た「関門」(関所のようなものか)があった跡とのこと。ただ、その役割は外国人に危害を加えないようにするため、ということなので、江戸時代の関所とは役割自体は異なるようだ。

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そして、その関門があった「鶴見橋」の碑も併せて見つかった。
にょきっ。

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◆13:50 鶴見川橋
家康が東海道を整備した1601年頃に、この鶴見橋が架けられた、ということなので…。
えっ、関ケ原の戦いって1600年よね? そんな頃に、よく橋を架けられたね…。そりゃ、西軍負けますわ…。東軍は余裕です。すごい。不意に薩英戦争のときのことを思い出した。圧倒的国力の差…。

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橋の近くはこのような公園になっていた。(写真は、川崎市寄りから撮影)
少し雑草が増えていたが、木陰が気持ちいい。

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◆13:57 市場村一里塚跡
立派な一里塚に遭遇した。まさか、もうこんな立派な一里塚に遭遇するなんて思っていなかった。横浜?川崎?あたりでしょ、こんな立派な一里塚跡もあるんですよ!

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◆14:08 八丁畷駅を通過
八丁畷がどこかが分からん…と思いながらも、駅に出会うと、なんだかチェックポイント通過という感じがして、とても嬉しくなる。

いつもならこの時間帯は、まだまだ元気なのに、かなり疲れている。ふぅぅぅぅ。

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◆14:09 川崎宿エリア入り
八丁畷駅を過ぎてすぐに、「川崎宿」の標識が出て、「川崎キターーー!」と小さくガッツポーズ。
まだ横浜市鶴見区だと思っていた…! こういう、距離感間違えて思いのほか遠くに来てましたパターンは、すっごく嬉しいものだ。

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急に元気になったので、この「芭蕉の句碑」を読むご老人を温かいまなざしで見つめながら、譲り合って写真撮影。いやいや、もう、ゴールが本当に近いと知ると、あらゆる余裕が生まれてきた。

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鶴見区に入ってからは低い建物が続いていたが、なにやら急に高い建物が増えた。裏通り、という感じがしないこともないが、東海道らしさも残っている。

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ほらほら、川崎宿ですよ! 

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なにやら、急に大通りに戻ってしまい、にわかに焦る。道、合ってる?と。大丈夫、合ってます。基本的に東海道は「まっすぐ歩けばOK」です。

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ビル…! 東海道でこのようなビル群に出会ったのは、戸塚宿以来だけど、戸塚宿もあっという間に住宅街に戻ったので、川崎宿に入ってから急に都会化が進んだ印象だ。どうやらJR川崎駅が近いらしい。そうか、それでこんなに急にビル群に遭遇したのか。

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◆14:19 川崎宿京入口
京方「見附」の表記がなかったので、見附はなかったのかもしれない。いずれにせよ。おそらく、川崎市内で働いている人もいるだろうけど、東京や横浜のベッドタウンでもあるだろうし、工業も盛んというイメージもある川崎市。でも、江戸時代は宿場町だった…というのが、なんだかおもしろい町だなと思った。

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え、えらいところに関札が掲げられている。背後は駐車場。
大名がここに泊まっていますよー、というのを知らせている札らしい。
でかい

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今やバス通りにもなるほどの大きな道路になっているが、かつてはここに小川があったようで、小土呂橋があった…とのこと。

このあたりは会社員の方や学生など、多くの人が行き交う場所で(東海道でこんなに人とすれ違ったのは初めて)写真を撮ったものだから、なんだか恥ずかしかったです(笑)おのぼりさん丸出しでした。はい、すみません。

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◆14:29 佐藤惣之助生誕の地碑・川崎宿本陣跡
本陣どこやーーー!! とウロウロしていたが、どうやら明記されていないが、ここが本陣らしい。本陣跡地に川崎信用金庫が建てられたようだ。いい場所ですもんね。

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その川崎信用金庫の壁に、東海道の説明があった。
こういう地元の金融機関って、歴史を大切にしているイメージがあるなぁ。

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うん、四日市駅に向かう通りに似ている。この写真は、川崎駅に向かう通りらしい。デジャブ?と思ったほどに、似ている。元宿場町同士、やはり似たつくりになるんだろうか。

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そうか、川崎といえば「川崎大師」。行けそうなら行こうかなと思ったけど、どうやら結構距離があるようなので、諦めた。

いつか情勢が落ち着いたら、東京に行くついでに行ってみたいな。

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カメラは、川崎駅に背を向けて南の方向を向いて撮影。せっかくだから、街並みも撮っておこうと思い、撮ったものだけど、なんて歩きやすいんだ。歩道が広い!

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◆14:29 砂子交差点(ゴール)
本日は、ここ、砂子交差点でゴールとさせていただく。
喉、渇いた…。

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まず、ホテルの場所を確認。ここが本日の宿。

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チェックイン時間前なので、喫茶店で時間を潰す。あまりにも陽射しがきつく、水分がやや不足していたためか、体がアイスコーヒーを求めていた。
そして、地図を見ながら今日歩いたところの復習にとりかかる。

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チェックイン時間になったので、チェックイン。明るい時間なので、室内もかなり明るく撮れた。東海道の旅の最後のお宿だ。なんだか、寂しい。

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チェックイン後、すぐに近くのコンビニでプチ飲み会の準備。
このとき、私はすっかり忘れていた。「川崎家」に行きたかったー(涙)せっかく川崎に来たのに…。こりゃ、川崎大師と合わせ技で行くしかないな、と決意。

17日目を終えて

距離は短いながら、陽射しに苦しんだ旅だった。川崎市内に入ったあたりから高いビルが続くようになったのは印象的だったが、戸塚宿を過ぎてすっかり都市整備が進んだ今もなお、東海道の名残を伝えようとしているのが、東海道ウォーカーとしては嬉しいことだった。

明日はいよいよフィナーレ、品川宿を経て東京日本橋へ。

本日のまとめ

歩いたところ:(5)戸塚宿~(4)保土ヶ谷宿~(3)神奈川宿~(2)川崎宿
歩いた距離:24.62キロ(寄り道含む)
歩いた時間: 約5時間30分(休憩含む)
宿泊ホテル:相鉄フレッサイン川崎駅東口
費用:
 ・交通費:なし
 ・飲食代:1,558円
 ・宿泊代:5,580円


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