見出し画像

旧東海道を歩いてみた。(15日目:箱根湯本~(9)小田原宿を通過)

画像1

◆8:05 ホテル出発
あまりにもいいホテルだったので、まだまだゆっくりしたかったところだけど、帰りの新幹線を例によって早割で取得済のため、この時間に出発。大きくて立派なホテルだなぁ。

画像4

名残惜しくて、振り返ってまた撮影している。

画像2

箱根湯本の旅館街を撮影。一般客はまだ朝食の時間だろうか。人通りは、ホテル・旅館に出勤してくる従業員と思われる方ぐらいしか見当たらない。

画像3

箱根の地図。箱根宿からは大きく離れているので、この看板は観光地としての箱根を示している。

画像5

◆8:08 箱根湯本駅
さすが観光地の駅だけあって、とても綺麗でゆったりとしている。通勤と思われる人たちがたくさん駅から出てきた。これから駅に向かって行こうという人は、ほとんど見られなかった。

画像6

画像12

くどいけど、またも振り返った今回のお宿、箱根湯本富士屋ホテル。本当にいいホテルだったなぁ…。またここに泊まりたいなぁ。

画像7

名残惜しい気持ちでいっぱいだが、小田原に向かっていく。
かなり下ってきたはずだが、まだ山の中なんだなと気づく。

画像8

で、やっぱり振り返る。うーん、いかにも温泉地という感じでいいところだなぁ。本当、観光でまた来たい。いや、また行こう。
次は東海道とは無関係で。

画像9

参勤交代の様子だろうか。ここが旧東海道であることを、さりげなく示している。

またここに来たとしても、思い出すのは嫌な思い出ではなく、とても充実した思い出ばかりだ。

画像10

あっ、電車がやってきた!
撮り鉄と思われただろうなぁ…運転手さんに。(全然かまわない)

箱根湯本から(9)小田原宿へ

画像11

◆8:15 スタート地点・三枚橋交差点
ホテルから直接ここに向かう最短ルートではなく、駅を経由して川沿いを歩いていたので、スタート地点に戻るまで時間がかかってしまった。

さて、ここからが本当のスタート。

画像13

◆8:21 山崎の古戦場跡
山崎の古戦場と聞いて、真っ先に「え、中国大返ししてきた秀吉が明智光秀を討った、アレ? 京都の大山崎じゃないの?」と、ぽかーんとしてしまったが、どうやら箱根山崎の戦いというのがあったらしい。戊辰戦争時とのことなので、全然時代も違った。

画像16

山崎の古戦場跡からは、国道からはしばしお別れして、いかにも旧東海道っぽい道に入っていく。

画像14

写真右端に見えているのが、先ほどまで歩いていた国道。旧東海道のすぐ傍を、国道が通っている。

画像15

歩道がなくなった、と思ったらこの階段を登るらしい。ほほーう、こういうところもあるのね。

画像17

すっかり撮り鉄になってる気がする…。

画像18

◆8:28 交通安全達磨の碑
東海道を歩くようになってからは、神社仏閣に行くたびに交通安全を願っていた気がする。ということで、もちろん手を合わせて拝む。願いはもちろん、「無事に踏破できますように」

画像19

またも二股の道が現れた! 地図を見て、パッと分かればそれに従うけど、分からない場合はグーグルマップ先生の出番。今回は分かったので、地図の通りに進む。ということで、ターンレフト。

画像20

神奈川県に入ったら、もう旧東海道の風情を感じられるところは少ないと思っていたけど、いやいやいや、とんでもなかった。旧東海道らしい風景を先ほどから見ることができ、ラッキーだ。

画像21

まだ冬の名残を時折感じられる時節なのに、影がないと陽射しが眩しくて仕方ない。やや南東を向いているのか、太陽とこんにちは状態だ。

画像22

街に近づいてきた気配がする。どんどん歩いていく。快調、快調♪

画像23

おっ、電車だ、と思って振り返って撮ってしまった。なぜ今回はこんなに電車の写真を撮ったのか。

画像24

側溝が、なんだかオシャレ模様だったので撮影。こういうところの工夫はなんだか嬉しい。

画像25

画像26

◆9:04 小田原宿板橋(上方)口
ついに小田原宿に入った! 箱根湯本からの距離は短いので、あっという間に到着した。今回は小田原宿がゴールではないんだなぁ。

画像27

ついに、道路標識に「横浜」の文字が。ここからだと大分遠いが、それでも横浜が射程圏内に入ったと実感。

画像29

小田原城がマンホールになっておる。

画像28

小田原宿内は、このように跡地は石碑が建っている。あまりにも多いのでこの写真以外は割愛してしまったが、歩いていてとても楽しかった。

画像30

おおっ! 消防署がなんだか江戸時代風だ! 現代風アレンジ、といったような印象。め組だ、め組だ! こういう遊び心、好き。

画像31

そして、今の時代珍しくなってしまった公衆電話。なんだか江戸時代風で…侍が入っていって電話してても…不思議じゃない気がする。

画像32

小田原宿内は広い。そして、このように歩道が広くなって、すごく歩きやすくなった。ありがたい。

そういえば、神奈川県に入ってから「夢舞台東海道」の碑がなくなったなぁ。あの碑、すごく良かったんだけど…。

画像33

そして、日本橋まであと85kmになった。徒歩旅なら、健脚の人なら、この地点からあと2日で到達できるだろうけど、普通の人は3~4日ほどかかると思われる。

画像34

時々、こういう遊び心のある自販機にも巡り合うけど、せっかくだから、こういうのが増えてくれるといいなと思う。
弥次喜多がいい感じ。

画像35

画像36

画像37

◆9:15 ういろう屋
小田原城と思いきや、かの有名なういろう屋。元は薬を売っていたところだったらしい。この建物、本当にお城っぽくて、いろんな角度からの撮影をしたかったので、道路をわざわざ渡って撮ってみた。いやぁ…これは小田原観光の目玉だなぁ。

画像38

そしてこちらは、小田原街かど博物館・小西薬局。昔ながらの雰囲気を残している。こんなに都市化されている中でも、ぽつっとこういう建物があると、目を引く。

画像39

画像40

◆9:19 小田原宿上の問屋場跡
今や病院になっているが、こちらが問屋場跡。

画像41

今まで歩いてきて、宿場町内は幟(のぼり)が立っていたり、電灯で宿場町であることを示したり、いろいろ工夫がされているけど、小田原宿も例外ではない。

画像42

◆9:20 片岡本陣跡
へぇ、小田原宿は4つも本陣があったのか! めちゃくちゃ大きな宿場町だったんだろうなぁ。しかも城下町なので、さぞかし江戸時代も大きな宿場であったことだろう。

画像43

小田原城を横目に、そのまままっすぐ大磯宿方面に向かって歩いて行く。今回のゴールは大磯宿ではなく、その手前の二宮駅と決めている。もし間に合わなければ、そのさらに手前の国府津駅にする。このあたりは、柔軟に対応する予定だ。

画像44

画像45

◆9:23 小田原宿なりわい交流館
宿場町の交流館は、遠目から見て商家の建物を復元したみたいだなぁと思っていたら、旧網問屋を再整備したものとのこと。リフォーム、いいね! 

ここから少しの間、国道を離れた道を歩いていく。

画像46

画像47

画像48

◆9:36 小田原宿江戸口見附並びに一里塚
空き地のような公園のような、その奥に江戸口見附と一里塚があった。分かりにくくてスルーしてしまいそうになったけど、セーフ。周囲の建物は現代的なのに、この一里塚と松の木がは、江戸時代にいるように感じる。東海道を旅しているからだろう。

(9)小田原宿から二宮駅へ

画像49

はい、国道に戻ってまいりました! 日本橋まであと83km! 今日はどこまで縮められるか。日本橋のゴールが近づいてきたのと、今後は峠越えがないので単純に距離配分だけ気にしておけばいいと思っている。

ということで、今日のゴールの理想は二宮駅、少なくとも国府津駅までは歩いていきたいところ。

画像50

海が見えている。気持ちいい風が通り抜けて、気持ちいい。爽やかな気分で歩いていく。

画像51

◆9:45 上杉龍若丸の墓
龍若丸、というのはいかにも幼名っぽいなぁと思って、帰りの新幹線で調べたところ、上杉謙信の養父(上杉憲政)が父なのだとか。幼名しか伝わっていない、ということは…お察しのとおり、元服前に亡くなったということ。そして、このような場所にお墓があるということは、殺された、ということですね。うん…なんとも言えない気持ち。

しかし、東海道中の醍醐味は、ツアーでは行くことのできない、こういった歴史探訪ができることだ。

画像52

これが東海道なの? と思ってしまいそうだけど、松の木が続いているので、間違いなさそう。でも、実はちょっとこのあたりで迷った。グーグルマップ先生に教えを乞う。

画像53

◆9:53 酒匂橋
さかわばし、と読むらしいけど…読めん!
地図で予習していたとき、この橋がゴール・日本橋に向けての、ひとつのチェックポイントだなぁと思った。

画像54

いいレリーフです。
このあたり、毎日散歩できたら海も近いし、気持ちいいだろうなぁ。

ということを、静岡でも思っていたなぁ。

画像55

酒匂橋より。うわー、気持ちいい! よし、二宮駅まで頑張っちゃおうかな! 

画像56

振り返れば富士山が。でも、だいぶ遠くなってしまったなぁ。
少し、寂しい。名残惜しい。

画像58

こういう風景の写真をしょっちゅう撮っている気がする。心が落ち着く。歩いていても、落ち着く。

画像57

おおー! 標識に「東京」「横浜」「平塚」が並んでいる!
とりあえずの目標は、平塚になるけど、横浜までもあと51kmというのがすごく現実的な距離になった。

そして、奥に見える松の木の並木道。正直、もう小田原を過ぎたらこういう並木道はなくなると思っていたので、嬉しかった。よーし、歩くぞー!!

画像59

日本橋まであと、あと、80kmだー!!

画像60

◆10:23 小八幡の一里塚
都会、というわけではないけど、町中を歩いているなぁ、と思ってぼーっとしていたら、道の向こうに一里塚跡の看板発見。

画像61

国府津駅前を通過。
よっしゃ、まだ歩けるぞ!

画像64

◆10:56 車坂
今回の旅、最後の長い坂だろうか。ゆるゆると登っていく。
ロードバイクの人たちとすれ違った。小田原まで行くのか、箱根まで行くのか。いずれにせよ、お互い精が出ますなぁ!

画像62

海! 海でござる!!

画像63

◆11:03 二宮町入り
来たー! 二宮町!!
ということは、いよいよ駅も近くなったかな?

画像65

◆11:05 と、思ったら再び小田原市入り
とんだフェイントだったぜ…! 小田原に戻ってしまった。

画像66

◆11:06 またまた二宮町入り
も、もう小田原市に戻らないよね?
さっきの小田原市に一瞬入ったのは、小田原市の飛び地的みたいなところだったせいかな?

画像67

坂を登っていく。大通り沿いを歩いていたが、ここで二股に別れているうち、右側のやや急な坂を登っていく。

あれ、車坂で坂は終わりじゃなかったの…? と、思いながらも、次こそきっと最後! と奮い立たせる。

画像68

画像69

◆11:10 間の宿 松屋本陣跡(梅沢の立場)
間の宿の本陣跡到着! 今は民家になっている。
今までも本陣跡地が民家になっていることはあった。本陣の管理をしていた家の子孫の方々が住んでいるように思っていたけど、正解かな? 

画像70

さて、こちらが東海道。間の宿・松屋本陣付近の通りの様子。閑静な雰囲気で、滋賀を旅していたときの雰囲気に近いな、と懐かしくなった。

画像72

画像72

◆11:13 押切坂の一里塚跡
松屋本陣跡(梅沢の立場)を過ぎ、国道に戻る手前に一里塚が。
一里塚近くの立場は旅人にとって目印にもなり、栄えそうな気がする。

画像74

日本橋まであと74km。地図を見る限り、本日最後の標識になるかな。
そろそろ、二宮駅が近い。

画像75

そして松並木。気持ちいい。あとちょっと、ラストスパートだ!

画像74

◆11:33 ゴール・二宮駅前交差点
ゴール!! 箱根を越え、ついに小田原宿を過ぎたぞー!

なぜ、ここをゴール地点にしたかというと、途中で間の宿が設けられていたことからも分かるように、小田原宿から大磯宿までは、17kmもあるため。箱根湯本から大磯宿まで、一気に歩くことは十分可能だけど、ちょっと寄り道したかったので、大磯宿に近づきつつ、駅近くをゴールにしたかったため、地図とにらめっこして、ここをゴールとした。

また、次回以降の旅の予定との兼ね合いもあり、ここ二宮駅をゴール&スタート地点にするのがちょうど良かったたのだ。

画像76

◆11:34 二宮駅前
いつものように駅舎を撮って、ハイ、ゴール!

番外編 小田原城へ

さて、ここからが寄り道タイム。
先ほど、二宮駅でゴールしたところだけど、帰りの新幹線の時間まで余裕があるので、小田原を観光する。

ええ、もちろん予定通りです。

さて、歴史ファンとしては、小田原城や北条氏については、行っておくべきでしょう! ということで、小田原駅に戻ってまいりました。

ランチを食べて、いざ、小田原観光へ!!

画像77

北条氏政と氏照の墓所とな。そりゃ、行かないといけませんよね。おしゃれ横丁を通っていく。

画像78

おしゃれ横丁、なんてシャレた名前の通りにお墓があるなんて…。
そしてこの横丁、近鉄奈良駅の北あたり(奈良女子大学付近)に似たような雰囲気の通りがあった気が…(記憶が正しければ)

画像79

地面に墓所の案内が。ただ、この萌え絵、可愛らしいお姫様なので、「墓所」を説明しているように全く感じない。せめて武将のイラストにして…。

画像81

画像80

◆北条氏政・氏照の墓所
秀吉の小田原征伐により自害した、北条氏政・氏照の墓所。大大名の墓にしては小さいな、と思ったが、看板を読むと、元々は別の場所に墓地があったものを、関東大地震被害に遭ったため、この地に復元されたというものらしい。なるほど、納得。

画像84

画像82

こじんまりと、ひっそりと佇んでいるが、お墓は綺麗に掃除されていて、きっとご近所の方たちの見守りも続いているんだろう。

手を合わせてから、撮影させていただいた。

画像83

再び、おしゃれ横丁を通る。これから、小田原城に向かう。

実は、帰りの新幹線までの時間が迫ってきていたので、内心焦っている。二宮駅から小田原駅に向かう途中、電車が急に徐行運転を始めてしまい、到着時間が予定より大幅に遅れてしまったのだ。あああ~~~!

画像85

画像86

小田原城の立派なお堀
思ったより静かなところにあるんだなぁ、と驚く。

画像89

庭園も広く、綺麗。いろんな城に行ったことがあるけれど、城の周りをこのような庭園にしているところは、小田原城くらいかもしれない。散歩道にもできるし、すごくいいところだと思った。

画像90

さあ、小田原城はこの上にござる。

画像87

天気もいいし、庭園もよい感じだ。

画像88

画像91

◆小田原城常盤木門
お城の入口にあたるところは、すごく立派で、少し気が引き締まる思いがするのは何故だろう。やはりDNAのせい??

画像92

さてさて、常盤木門を通って、登城するでござる。

画像95

城内に入ったら、ちょっとした動物園があった。
ニホンザルが…こっちを見ている。同類と思われたか??

画像93

画像94

◆小田原城
カッコイイ!! 登城はしなかったけれど、ここまで来ることができて、良かったー!!

なお、広場の売店で寄木細工のコースターを購入して帰った。キレイだ。

画像96

北条氏の家紋が道に埋まっている。歴女と思われたか? 私は日本史は大好きだけど、広く浅くの知識なので、戦国時代に限って詳しいということもない、のである。

画像102

北条五代を大河ドラマに!とのこと。そういや昔、「葵徳川三代」や「炎立つ(奥州藤原三代)」をやったので、できなくもない、はず。ただ、シナリオはかなり駆け足になってしまうかな。面白そうだと思うけど、、、。

画像97

画像98

旅籠のような外観のローソンだ。京都でもここまでの外観のコンビニエンスストアは見当たらなかったと思う。ローソンマークの暖簾が、いかにも日本風で素晴らしい。

画像99

小田原駅に向かう通りがこのようになっていて、城に向かう人はテンションがさぞかし上がるだろう。いいまちづくりをされているなあ、と感心した。

画像100

画像101

小田原駅到着。お疲れ様でした。
少し時間が余ったが、お茶をするほどの時間もなく、かといって観光するほどの時間もなく、という、まさに「帯に短し襷に長し」状態だった。

ということで、小田原駅ビル内の無印良品で買い物をする。別に帰ってから買えば良かったかも、と思ったけど、そういうツッコミは…受けても致し方ない(笑)

画像103

新幹線の小田原駅。なんと、次はもういきなり新横浜駅だ。新横浜駅の次は品川駅、そして東京駅終点となる。なんと遠くまで来たことか。予定では、次回で最終回となるので、新幹線3駅分を歩くと思って旅に出ようと思う。

画像104

画像105

早割の「ぷらっとこだま」を予約していたので、新幹線を待つ。新幹線って、なんで乗るときワクワクするんでしょう。

画像106

こだまグリーン車
どうでも良い情報だが、私は「のぞみ」「ひかり」のグリーン車は乗ったことがない。おそらく、内部は同じだろうけど、ゆっくり帰るだけなので、こだまでのんびり帰るとしよう。

お疲れ様でした。

15日目を終えて

箱根湯本に宿泊し、小田原宿でキリが良いのでゴールにしようかと思ったが、今後の行程を鑑みて、もう少し先まで進んでおくことにした。大磯宿まで行きたい気持ちは山々だったが、自宅に早めに着きたかったことや、せっかくなので小田原城に行きたいことを優先させ、自分の歩くペースと距離を計算した結果、二宮駅をゴールにすることにした。

小田原城は…やはり歴史ファンとしては行くべきでしょう! 東海道からは少し道が逸れてしまうけれど、ぜひぜひ。

これで東京日本橋までは75kmを切った。いつものペースなら、1泊2日で十分な距離ではあるが、最後となる次回の旅は2泊3日として、のんびりゴールを目指すことにする。

本日のまとめ

歩いたところ:箱根湯本~小田原宿(9)~二宮駅
歩いた距離:19.78キロ(寄り道含む)
歩いた時間:8:30~14:30  約6時間(休憩、小田原観光含む)
宿泊ホテル:なし
費用:
 ・交通費:11,342円(EX予約・こだまグリーン車)
 ・飲食代:1,525円
 ・宿泊代:なし

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?