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旧東海道を歩いてみた。(18日目:(2)川崎宿~東京日本橋)

みなさま、いつもありがとうございます。
いよいよ、今回が感動のフィナーレとなる最終日。この記事を書いている今でも、気分がやや高揚しております! いよいよ東京へ。京都三条大橋からの旅が終わろうという日。

(2)川崎宿から(1)品川宿へ

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◆7:21 ホテルを出発
川崎の朝は晴れていた。まだ時間が早いせいなのか、人通りはそれほど多くない。もう少しゆっくりしたいところだが、東京にランチタイムに到着し、すぐに関西に帰る予定だ。

あまりにいいお天気で、空があまりにも綺麗に青くて、これが最終日だと思うと、もう旅立つ前から感慨深い。

でもでも、川崎は「川崎家」(永瀬王座(旅をしている時点)のご実家のラーメン屋)と「川崎大師」という宿題が残ってしまったが、出発!

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銀行が目立ってしまっているが、東海道の案内の看板が出ていた。ホテルを出て、横断歩道を渡ってからのほうが、川崎宿の看板が増えたように思う。

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◆7:23 川崎宿中の本陣跡
本陣跡は家系ラーメン家になっていた。
ただこのあたりの通りは、ビルやマンションがたくさんの割に、東海道らしさも感じられるのでいい感じだった。

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◆7:24 川崎宿問屋場跡
「旧東海道」の碑とともに、問屋場跡の標識が出ていたので、探してみたところ、なんとセブンイレブン様になっているじゃありませんか。川崎宿はユニークな変貌を遂げていた。

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広重の絵を見て、今の川崎宿を見ると、昔は本当に通過するだけの宿場町だったようだが、今や東京にも横浜にも出やすい立地の良さを活かして発展したんだなぁ、と感じた。

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◆7:27 かわさき宿交流館
当たり前だけど閉まっている。これまでも交流館を作っている宿場町はあったが、これほど都会化された川崎宿がこんな立派な交流館を残しているのは嬉しいなぁ。大切にしているのが、よく伝わってくる。

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◆7:29 川崎宿田中本陣跡
そしてこちらが、下の本陣こと田中本陣。
で、、、あれ、2023年が川崎宿が出来て400年だそうですよ。何かイベントやるのかな? その頃に情勢が落ち着いていたら、宿題を片付けがてら再訪してもいいかな、と思う。(宿題=ラーメンと川崎大師)

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さて、いよいよ六郷の渡しが近づいてきた。もちろん今は渡し船なんてものはないので、今までどおり橋を渡ることになる。

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多摩川が見えた…! 新幹線で見える景色そのままではないけど、近い景色になるんだと思うと、胸が熱くなってくる。

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◆7:37 六郷の渡し跡
ここが六郷の渡しのあったところ。そして、今は橋が。橋の向こうに東京都大田区が見えている。川崎市、すなわち神奈川県ともこれでお別れ。

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◆7:37 東京都大田区入り
今はクーラーのついた部屋でキーボードでタイプしているだけの私だけど、このときのことを思い出すと、感動で胸がいっぱいになっている。
さあ、東京にやってきた。歩いてやって来たんだ…!

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多摩川の水面が、朝陽を浴びてきらきらと輝いている。
橋の上で何人かの人と行き交いながら、この中でただ一人、関西から旅をしてきた人間が歩いている。

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何人かの人たちが、急に右折して降りて行ったと思ったら、どうやら河川敷に行くらしい。ご覧の通り、だだっ広い河川敷だなあ。淀川の河川敷より広いよ。

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私は橋をそのまままっすぐ降りて、日本橋に向かっていく。どうやらゴールまであと18km、品川までは10km。射程圏内だ。

地図上、複雑なところは品川宿あたりで少しある程度で、基本的にはもう迷うこともない。

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幹線道路なので、大型トラックもびゅんびゅん走っていく。こちらは、せかせかと歩いて行く。大丈夫、もうここまで来たら絶対ゴールできる。

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急に歩道が広くなった。あと、東京に入ってからはありがたいことにビルが多いため、日陰のエリアが多くなったことだった。ほとんどが日陰を歩けたので、脱水にならない程度に水分補給はしたが、体力的につらいということもなく、順調だった。

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テクノポート蒲田というらしい。ん、蒲田?
東京に入ってからは微妙に土地勘がある(なんとなく知っている)ので、もう蒲田あたりに来ているのかと、思わず反応してしまった。

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◆8:10 京急南蒲田駅を通過
南蒲田だと…? 本蒲田(勝手に命名)じゃないのか!
地名あるあるですね、駅よりちょっと離れたところでも、それらしい地名を名付けるという。

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◆8:12 京急蒲田駅を通過
あ、本蒲田だ(←勝手に作った名前)。撮影時は映らなかったが、電車がカーブしながら駅に吸い込まれていくようにしていったのが、アトラクションに見えて楽しんで見ていた。

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呑川というところにやってきた。こういうアングルの写真を、東海道中でいくつ撮ったことか分からない。なごむのだ。和む。
しかし、この名前が…ね、「呑む川」というのが…。うん。ビールが飲みたくなってきた。

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◆8:21 大田区総合体育館を通過
大田区総合体育館…え、区立? さすが東京だ…こんな立派な体育館があるなんて…。オリンピック前だったので、オリンピックの横断幕が出ているのが、東京に来たなあ、とここでも実感させられた。

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品川宿まであと2時間弱ぐらいで着きそう。
それにしてもこの陸橋、ちょっとボロボロだけど大丈夫だろうか。渡らずに済んで良かったけど、ここを渡れということになったら、躊躇ってしまいそうだ。

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◆8:32 大森町駅を通過
大森だー! と言いたいところだけど、トラップかもしれない。「町」が付いているだろう。本当に大森に来ているのか、疑いながら進む。

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首都高が合流。これぞ、都心の象徴。
東海道はこの写真の右手奥にちらっと写っている細い路地に向かっていくことになる。

ここ、信号無視が多いのだろうか、警察官が立って自動車を見張っていた。切符切られたことのある人は、かなり警察官を嫌っているようだけど、運転免許すら持っていない私は、「いつもいつもお疲れ様です」という気持ちでいる。

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いかにも東海道らしいところに戻ってきた。都心だ! と思っていたところで、再び東海道らしいところを歩けるとは嬉しい限り。

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やはり東京都内では、東海道の幅が残っているところはほとんどなく、この三原通りと先ほど歩いていた六郷地区の一部…(あれ、そんなところあったっけ?)だけとのこと。

幹線道路の脇だからこそ、残せたというのもあるだろうが、ずっとこの幅は残していただきたいものである。

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旧東海道を歩いているのは間違いない。間違いなく旧東海道を歩いている、と実感を得られている。まさか東京でそう感じられるとは思ってもいなかった。嬉しい。

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東京23区内は、ほとんどが高いビルとマンションで…というイメージが強かったが、このように閑静なところもあり、そして特にこの東海道沿いは落ち着いた街並みで素晴らしい。

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お近くにお住まいの方々が羨ましい…。

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そうこうしているうちに、また大通りに戻ってきた。なんじゃ、この矢印はーーー!! お、おう、としか言えない。

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ビルの壁面にソーラーパネルがかかっていたのが珍しいな、と思って撮影。ソーラーって、屋根の上だったり、あるいはこんなパネル風ではなくガラスの壁面に小さくあるイメージだったけど、こちらはパネルが、どん! どん! どん! と主張してあったので、「おおっ!」と。東京にはこういうのもあるの…か?(おのぼりさんです、すみません)

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◆9:01 大森駅・大森海岸駅を通過
ほーうら、やっぱり。やっぱり「大森町」はトラップだったじゃないか。私のイメージしていた大森とはこのあたりのことである。

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◆9:04 しながわ水族館を通過
土地勘があるようでないようで、頼りないのだが、しながわ水族館が突然現れて驚いた。しながわ水族館は、品川駅の近くなんだろうと思っていただけに、不意打ちの登場だった。こんな都会の水族館…いいなぁ。水族館って、大概、ちょっと都心から離れたところにございませんこと?

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そっちに行っちゃいかん。水族館に行くのか?

ということで、気を取り直して次へ進む。写真でいうと、このまままっすぐ進まずに左に90°。

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◆9:07 鈴ヶ森刑場跡(遺跡)
本日の見どころにひとつが、ここ、鈴ヶ森刑場跡。品川宿の入口あたりになるようだが、ここで何人もの罪人の処刑がなされた…という、恐ろしいところである。

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受刑者の墓が建てられており、その後ろにはマンションが…。
ここで眠る人たちも、まさか江戸がこんなに高いビルに囲まれた街に変貌するなんて思ってもいなかったことでしょう。

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お、これは噂に聞いていた、処刑台の跡ではないだろうか…。近づいてみることにした。

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まずは向かって左手。
この四角の窪みに、角材を入れて磔(はりつけ)にしたのだという。お…おう…うん…なんとも言えない。当時の処刑方法って、確か磔になった人の前に処刑人が2人立っていて、処刑するときに槍を罪人の前でクロスさせ、そして肋骨の下から背中(肩甲骨あたり?)にかけて貫く…を繰り返すと聞いたことがある。

…いかん、なぜそんな知識を持っていた私。

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右手はこちら。
火炙り台。この丸い窪みに鉄柱を建て、薪を積んで燃やす…って…鉄柱!? 熱い! これは…おそらく体が焼ける前に鉄柱の熱さで火傷して絶命してしまったのでは? 

…もう、よそう。

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こちらが、お寺さんがありました。罪人といえど、供養は大事…。わたくし、もう、当然ですがお賽銭入れて…お参りしてきました。うう。

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さあ、気を取り直して…旧東海道に戻り、品川宿に入ってまいります。

(1)品川宿から江戸日本橋まで

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おそらく、この道路に平行してすぐ向こうは大通りで、高いビル群が建ち並んでいるんだろうけど、この閑静な通り、すごく好き。

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商店街にやって来た。
最終地点・日本橋が近いのに、この穏やかさ。これこそまさに、宿場町の風情を残してくれているからだろう。

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◆9:31 品川宿エリア入り
龍馬ファンのみなさんはテンションが上がることでしょう。近くに龍馬関連の史跡があったようなので立ち寄ってみたかったけど、時間が迫っているので、探さなかった。すまぬ。

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都心にいるんだなぁ、と感じたのは奥の高層マンションを見たからだった。ずっと穏やかな道を歩いていたので、ふと我に返った気分だった。

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「品川宿」の碑。ほんのり自分が写っている。ご覧の通り、このご時世なのでずっとマスクをして歩いておりました。暑さを感じてへろへろだったのは、このマスクのせいかもしれない。

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品川宿でも、シャッターに地図や宿場町のアピールがされていた。

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◆9:36 品川寺
いい雰囲気のお寺だなぁ。ちょっと行ってみたいところだった。これは川崎の宿題とともに、ここにもまた行ってみたいな…。そして品川あたりのホテルに泊まり、早朝の散歩を楽しみたい。いずれ。

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各宿場町の松があちこちに植えられていた。写真は保土ヶ谷宿のもの。すべての宿場町の松がある…のかな?

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御用宿があったという。へえ!

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新選組もこんなこと言われたら、暗殺なんて止めるよね~。

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品川宿の中で、なんとも味のある畳屋さんを発見。すごい…このクラシックな感じがとても素晴らしい! お願いだから、この姿はずっと留めていただきたい。まさか品川宿でこういう建物にお目にかかれるとは思ってもいなかった。

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信じられん。これ、区立小学校なんだぜ…。
私立でもこんなに綺麗な学校はなかなかないかもしれない。通ってみたかった、こんな学校。

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今や高級(と思う)マンションになっているが、宮川家旧宅跡の碑があった。このあたりの名士だったようだ。

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素敵な公園もうひとつ。都会のオアシスとは、まさにこのこと。
東京で、こんなに素晴らしいところがあるとは…。東海道を歩いていなければ知らなかっただろう。またひとつ、東京を好きになりました。

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◆9:43 品川宿問屋場・貫目改所跡地
今や、製菓実験社という会社になっている問屋場。しかし、このように壁面に、その痕跡を伝えてくれているのはありがたい。

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あれ、結構公園あるなあ。
しかし公園がこまめにあるのは、とても良い雰囲気だ。

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◆9:47 品川宿脇本陣跡
この城南信用金庫が、実は脇本陣跡であるらしい。また、今通ってきたところが「南品川宿」であるとのこと。これから北品川に向かっていく。

東海道の旅は京都から出発しているので、ずっと東に向かっているイメージがあるが、実は神奈川宿以降はずっと北(北東)に向かっている

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◆9:48 品川橋
この橋を渡ると、北品川に入る。適度に車が通っているが、交通量が多すぎないので、いくらでもシャッターチャンスのある橋。

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品川宿、東海道最後の宿場。こういう看板を写すのも、最後だなあ。

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相変わらずこういうアングル大好きです。
ただ、今までとなんだか風景が違う。やはり東京だな、と感じる。海が近いのも、なんとなく感じる。

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◆9:50 品川宿交流館
交流館発見! 観光地としてすごく有名ではないけど、旅をしていると、やはり交流館があるのも嬉しいものだ。宿場町を大切に守ろうとしてくれている、という気持ちが嬉しい。

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交差点の名前が素敵だ。「東海道北品川」。このあたりを通るドライバーさんは特に気にもしていないかもしれないが、私はいたく感動していた。今まで気にしていなかった方は、ぜひ、この素晴らしい品川宿を歩いていただきたい。

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◆9:54 品川宿本陣跡
公園になっている本陣跡。北品川宿にある本陣のみが最後に残ったということなので、この場所に碑が残されている。

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おお! またも発見、とっても素敵な味のある建物! 同じことを思った方が、同じように写真を撮っておられた。やはり、感性を揺さぶるものは同じようなところにあるのかな。

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あと8kmほどで日本橋に到着する様子。川崎宿からは10kmほど歩いたということかな。ベンチがあるので休みたいところだが、タイムレースをしているようなものなので、ここは先を急ぐ。

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わずかに映っている背景のとおり、道幅は広くない。広くないのが、いかにも旧東海道らしくて好きだ。

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品川宿も交通の便が良いので、情勢が落ち着いたらゆっくり見て回りたいなあ。東京はまた来るだろうから、このあたりの散策を楽しむことにしよう。

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「これより南が品川宿」とのこと。踏切の手前にあるけど、背景になじみすぎて一瞬分からなかった。ということは、北に向かっているから、いよいよ品川宿とはお別れ。これで五十三次は終了

(1)品川宿から日本橋へ

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この橋を渡れば、次からは一本道で日本橋に向かっていく。

土地勘のある方なら一発で分かることでしょうが、写真奥に見えているのが品川駅前。

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超一流企業のビルが建ち並ぶ。まさに摩天楼。そこを駆けぬける京急電鉄。

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◆10:15 品川駅を通過
あれ、思ったより品川駅小さい&古い? いや、そんなはずはない。なにせ品川駅は新幹線の停車駅だ、ターミナル駅だ、あんなに人通りの多いところだ。

品川駅はあまり記憶にないのです。乗り換えたことはある…降りたことがあったか…は分からない。

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おお、リニアだと大阪まで1時間ちょっとですか! 名古屋まで40分…ということは、名古屋近辺の人だとドア・ツー・ドアで1時間弱で品川に着いてしまう人もいるのでは? 
これだと、地方から東京まで通勤できるようになるんじゃないかな? 大分先のことだとしても、ワクワクする。

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あれは…グランドプリンスホテル高輪?(合ってます?)

品川宿を出てから、旧東海道は国道15号に合流したため道幅は当然広くなった。やっぱり首都東京、大きい!

私も関西人で、大阪・神戸・京都にはよく出没しているけど、いずれの都市でもこれほどの道幅、このゆったりさは、ない。このあたりが、さすが東京だと感じる。

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◆10:19 日本橋まであと7km
あとちょっと! 7kmなんて、どうという距離ではないんだけど、あと2時間もかからずにゴールを迎えるというのが寂しくなってきた。

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HAHAHAHAHA! 東京だ! 東京に来たぞー!
と叫びたくなる。だが、こういう光景が続いているので、本当にゴールが近いのかが分からなくなってきた。そんなとき…

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◆10:25 高輪ゲートウェイ駅を通過
こ、これがあの有名な高輪ゲートウェイ駅だ!! 名前がどうこう、という意見もあったけど、地方の人間からすると、とても分かりやすくて良いと思う。そして駅舎も、ちょっと近未来風で素敵だ。

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◆10:31 高輪大木戸跡
工事をしていたが、現場の方に尋ねて撮影させてもらった。都会の中、突如石垣が現れたのでもしや、と思ったら、やはり。
ここにきて、本当の意味で江戸に入ったんだと、じーんと胸が熱くなった

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◆10:33 日本橋まであと6km
交通量が多くなってきて、中心部に近づいてきているのがはっきり分かる。

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東京タワーが見えた!! ということは、浜松町に近づいたということだ。浜松町は以前、出張で頻繁に寝泊まりしていたの馴染みのところなので、少し土地勘があり、東京駅までよく歩いていたものだった。そういうわけで、ゴールに相当近いというのが分かっていた。
実は、ほんのり涙ぐんでいる。よくぞここまで来たものだ…!

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◆10:44 田町駅を通過
ついに田町駅までやって来た。見覚えのある景色が向こうに見えている。

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◆11:03 浜松町駅・大門駅を通過
わーーー! お久しぶりの景色だ! この交差点はよく歩いていた。そしてこの近くのラーメン屋に行ったなあ、、とか、ホテルはあのあたり…などと思い出しながら歩いていた。そう、私は出張のたびに、エセ港区女子を気取っていたものだった。

本当は、ゴールしたらいつものホテルに一泊して帰りたかったものだけど…。

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ついに日本橋まであと3kmと迫っている。
よく歩いた通りなので、よく知っているけれど、こうやって東海道として歩いているのでまた新鮮な気分を味わっている。

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でん! ででん!
いつもならここで新幹線が通過するけれど、あいにくタイミングが合わず撮影できなかった。そう、ここで新幹線が通るということも知っているほどに、(出張で)歩き慣れたところなのだ。

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新橋の名前の由来になったところにやってきた。
どうでもいい情報だが、私が浜松町によく宿を置いていた理由は、①新幹線でも飛行機でもアクセスしやすい、②移動しやすい、③エセ港区女子を気取れる、以外の理由として、④新橋が近い、ということが挙げられる。

仕事が終わったら、新橋でよく飲んでいました。日本酒を飲んで、ほろ酔いで浜松町に歩いて帰っていた。どこが港区女子やねん! とセルフツッコミ。

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ちょっと景色が変わってきた。私は有楽町あたりからは、少し違うルートで歩いていたので、ここから先は不慣れである。銀座の無印良品の店に行くときも、このルートで歩いた記憶はない。お初だ。

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◆11:24 日本橋まであと2km
銀座にやってきた…。こんな格好でスミマセン。やっぱりこの格好、浮いてるよねぇ。

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ここは銀座7丁目。7-6-5…と数を減らしていくわけだけど、銀座って広いエリアなんだなあ。

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銀座といえば、ココでしょう! 田舎者丸出しで堂々と写真を撮る。もうこの頃には羞恥心はどこかへ行ってしまった。

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京橋にやって来た。
東京の京橋は東京駅から近いビジネス街なんだなあ。大阪の京橋もビジネス街ではあるけど、グランシャトーがあって…飲み屋街も多くあり、ディープなイメージだ。敷居の低さでは大阪に軍配が上がるが、私は東京の京橋のほうがオシャレで好きだなあ(汗)う、裏切り者じゃないよ! 正直な個人の感想だよ!

このように、京橋という同じ名前の土地でも、東京と大阪ではかなり印象が違う。

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◆11:36 日本橋まであと1km
1kmなら走って行けるんじゃない? と思った。
でも、あと1kmでこの旅が終わってしまう。寂しい。

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ついに、日本橋交差点にやってきた。
この場所から、遠くに日本橋のゴールが見えていた。
歩くたびに、近づくゴール。大きくなっていくゴール。

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◆11:49 江戸日本橋到着!! 東海道五十三次踏破!!(ゴール)
日本橋到着!!
花のお江戸、日本橋、無事に踏破できた。
小さくガッツポーズした後、物足りなくて人目もはばからず大きく両手を振り上げてしまった。そして、小声で「っしゃー!」と。

ロードバイク2人組で、これから京都方面に向かおうとしている人たちが調整しているのを見かけた。これからスタートする人、ゴールした人がここにいる。そう、日本橋はそういうところなのだ

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ゴール記念に、日本橋周辺も撮影。

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こちらが、これから京都方面に向かう人の見る日本橋。
徳川慶喜公の書だというが、「ああ、ゴールしたんだなあ」としみじみとこの文字を見ていた。

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そしてこちらが、「日本国道路元標」
ゴールしたら、絶対に撮影しておかねばと思っていたものだ。撮影できて良かった。

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さすが、スタート地点でありゴール地点でもある日本橋、ちゃんと説明が残されていた。しかも重要文化財だという。やはり日本のシンボルの一つとして、これは大切にしなければならないと思う。


感動も冷めやらぬまま、もういいお昼時だ。ランチタイム。
「ゴールしたらここでご褒美ランチ!」というのを、あらかじめ決めていたので、そそくさと東京駅に向かう。

そして、化粧室でリュックにしのばせておいたロングスカートに履き替えた。これで見た目は「リュックを背負いパーカーにロングスカートの、田舎者丸出しの女」になった。

さすがにご褒美をいただくわけなので、「ザ・東海道ルック」で入店するのは憚られた。なにより、ズボンは埃っぽいだろうから、衛生上もよろしくない。なので、今回の旅ではロングスカートだけ用意しておき、ゴール後履き替えるという小技を使ったのだった。

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ご褒美ランチは、鉄板焼!!
お肉! お肉を食べたかったのです。ちょっと奮発ランチだったけど、とても美味しかった。シェフは女性、てきぱきと野菜や肉を焼いて行く。鉄板焼を食べるときって、この所作をずーっと見ていられる。時に炎が立つのも見どころだ。

ああ、美味しかった! 美味しくて美味しくてたまらなかった!

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早い時間のゴールだったので、本当ならこのまま観光タイムに突入したいところだったが、このご時世(第4波の最中でワクチン接種前)につき、観光は差し控えた。

なので、東京駅でウロウロするにとどめた。どうぞ、素敵な東京駅をご覧ください。

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新幹線に乗って帰ろう。のぞみで一気に帰ろうかと思ったが、グリーン車でのんびりしてもいいかと思いなおして、「ひかりグリーン車」で帰ることにした。(EX予約でかなり安くなった、という事情もある)

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新幹線に乗り込もうというときになって、「これから、今まで歩いてきた道を帰っていくんだな」と思うと、胸が熱くなってきた。そんな思いを込めてシャッターを切ったわけだが、実はいつものようにビールとおつまみがカバンの中に入っている…。感動台無し!?

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さすがグリーン車! まあ、こだま号で結構グリーン車は乗っていたけど、ゴール後のごほうびグリーン車だ! と一人テンションが上がっていた。

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はい! ご褒美ビール。なんかいつもより1本多いぞ! 長距離&長時間新幹線に乗るので、これでちょうど良いのです。東京に着いたので、東京クラフトもいただきました! サントリー様、キリン様、ありがとうございました。アサヒ様もサッポロ様も、実はいつも美味しくいただいております。
ビールの美味しさも、また、格別なり。

で、そんな私、できるだけ道を振り返ろうと踏ん張っていたものの、とうとう豊橋あたりから岐阜羽島まで爆睡しておりました(汗)そりゃ、あれだけ歩いてビールもしっかり飲んだら、寝るでしょうよ。

なお、翌朝はしっかりいい目覚めができ、とても解放感溢れておりましたとさ。東海道や中山道を歩いたり走ったり乗ったりした方と、いつか、いい酒を飲みたいですね、という密かな願望はあります。叶うかどうか分からないけど。

18日目を終えて

最終日… 実は、ゴール直後よりも終わってからのほうが、感動というか、達成感がじわじわと出てきて、それがずっと続いている。なぜだか分からない。この旅を通して、自分の中で価値観や感覚が、少しずつ変わってきたのを感じていたが、その余韻がずっと続いている。

この旅を始める前は、「なんとなくモヤモヤした気持ちをスッキリさせたい」という漠然とした思いから解放されたかったが、正直完全に解放されたわけではない。ただ、少しずつ自分の持っていた欲が削ぎ落され、自分の持っている小さな長所を見つけられたことがとても良かった。また、幸せを感じるハードルを下げられたのが、最大の収穫だったように思う。小さな達成感、小さな幸せを、歩いているうちににずっと噛みしめながら歩いていたためだ。小さなことに積み重ねが、ゴールにつながった。

ただ、この旅を絶対ゴールしよう! と思うようになったのは、自分ひとりの力だけではなく、noteの記事を読んでくださった方々の応援のおかげです。コメントを残してくださった方、いいねを押してくださった方、覗いてくださった方…実は力になっていました。こういった方が楽しみにしてくださっているから、何としてもゴールしたいと思っていました。

本日のまとめ

歩いたところ:川崎宿(2)~品川宿(1)~東京日本橋
歩いた距離:19.78キロ(寄り道含む)
歩いた時間:約4時間(休憩なし)
宿泊ホテル:なし
費用:
 ・交通費:14,670円(EX予約・ひかりグリーン車)
 ・飲食代:3,510円(一人打ち上げ代)+ビールとおつまみ代
 ・宿泊代:なし

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

次回「旧東海道を歩いてみた。」総括です

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