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朝ドラ まんぷく を見る

今更まんぷくを見ている。日清食品の創業者のストーリー。
モデルのあるドラマって、どこまでが史実に沿っていて、どこからが小説の嘘なのかって考えるとすごく面白い。安藤百福の場合は、(統治時代の)台湾出身という部分と、それに付随しての台湾での前妻たちとの婚姻を解消しないまま日本で婚姻を行った重婚の問題、信用組合時代の横領疑惑と小豆相場に手を出しての失敗は綺麗に消されている。今の時代、何がタブーなのかがよくわかる。あと、創造された登場人物の持つ効果。ヒロインである福子の姉の咲が、物語冒頭で亡くなった後に、福子と母の鈴、それぞれの夢枕に立つのだけど、夢を見る人によって、咲が言っていることや印象が全然違う。その物語におけるその登場人物の姿を、その登場人物に沿って俯瞰して、物語が進んでいくのよ。疎開先の田舎で萬平さんが腹膜炎で死にかけた時だか、末期に赤紙がきた時だかうろ覚えだが、その時鈴さんの見た夢の中での、にっこり笑った咲のセリフ、「良かったわねえお母さん、萬平さんこれで死んでくれるわ。そうしたら福子は別の人と結婚してくれるわね」。それにハッと目覚める鈴さん。死んだ姉がいつまでも引っ張られるストーリー構成にはたしかに戸惑いもあるんだけど、それでもこのシーンによって咲という人物が作品全体にどう機能しているか、はっきりする気がする。咲がいなかったら、この母娘はここまでくっきりした輪郭と相関を持たなかったんじゃ無いかな。そこがぼやけたら、完全に「大河ドラマ 萬平物語」になってまうもの、、、。
最近は、史実通りとか原作をどう演じているかとかよりも、何を変えて作っているのか、の方が気になる。

そして、昭和一桁生まれのヒロインのと、大正生まれの萬平さんの時代って、メッキ屋(過去に2回潰す)やってた私のじいちゃんばあちゃんと同時代なのだよな。かつてじいちゃんが、「工場さえ動けば100万や200万あっという間(稼げる)だ」って言ってたけど、そういう時代が本当にあったんだなという。そして一度や二度の商売の失敗で人生終わりゃしないという本当の意味での再チャレンジの時代。ちなみに滑り込みで昭和生まれの私は、90年代以降の不景気の記憶しかない。サブプライム直前の好景気も、あれを果たして好景気と呼んで良いのか?根本的にモノが世界的になかった時代と、今の時代と、もう全然接続しない。もう、今ってモノは飽和状態だもん。プリジェクトXで扱ったような、戦後の日本企業勃興期(今の団塊の世代の親世代)って、これからしばらくドラマの中心的な時代になりそう。だって、もうあの時代の経済体制も文化も、軽くファンタジーなくらい今とは違うもの。
ちなみに、まんぷくで一番驚愕だったのは、38歳の福子の女学校のお友達が、「子育てもひと段落したし」と言っていたこと。確かに、昭和一桁生まれのばあちゃんは、父ザウルス(我が父71歳)を22歳で産んどるから、30代後半は確かに子供中学生か高校生で手が離れる頃だ。子育てひと段落後の人生が長い時代だわ〜。

そして長谷川博己。セカンドバージンも麒麟がくるもMOZUも全然ピンとこなかったけど、八重の桜の尚之介さんとまんぷくの萬平さんは良い感じ。かっこつけた役よりも、2.5枚目みたいな、愛嬌があって興味があることに対してずっと突き進んじゃって誰かのお世話が必要みたいな役で生きる感じがする。萬平さんはまんぷくヌードル開発するころには落ち着いちゃって本来の茶目っ気削がれちゃって、そのまま明智光秀になっちゃった感じで麒麟が来るは物足りなかった。声の出し方の固さとかが60の萬平さんのまま光秀青年期になりおったというか、、、、。
ともあれ、長谷川博己って、萩尾望都とかよしながふみの漫画とちょっと似た雰囲気があると思う。表情に頼った演出というか、漫画の、登場人物の感情を盛り込んだ表情のアップのコマで説得力を持たせる、それを映像でできる俳優、という感じ。まんぷくラーメンの特許取った時の「ザマアミロ!」の表情なんて、萩尾望都の王妃マルゴのギースのアンリがキレてるコマを三次元にしたらこんな感じなんじゃないか、という。長谷川博己も萩尾望都も、画力とか演技力があるからできるんだろうけど。 #朝ドラまんぷく #長谷川博己  

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