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内省

「自己の中に深く没入すれば、自分の求めるものがそこにあることを知る」。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの言葉である。
 私達は求めるものは自分の外側にあると考えがちである。恋人や友人、知識や情報、洋服や本など。けれども、本当にそうだろうか?それでは私達の内側には何も存在しないのだろうか?
 確かに自分の内部を見つめるのは恐ろしい。自分の暗闇に気付くことだから。自分の中の空虚さに気付くことだから。
 ギリシャの哲学者達が求めたのは真理(イデア)である。イデアさえ見つかれば、私達は真・善・美を手に入れられる。それは私達に幸福を与えてくれる。神の恩寵が私達を暗闇から光へと連れ出してくれる。そこには永遠の美しさが存在する。では、イデアはどこに存在するのか?私達の内側にである。
 私達の究極の望みは真理と共に存在することである。それでは、恋人や知識は無用なものだろうか?もちろん、そうではない。恋人に対する愛や知識から得られる思索は私達に幸福を与えてくれる。長い人生の中でそれらは私達の心を明るく照
らしてくれる。
 けれども、私達が真理を欲しいと願うならば、私達は心の中を深く見つめる必要がある。美しい文学や音楽に注意しなければいけない。と同時に、醜い嫉妬や憎しみを斥けなければいけない。神の恩寵を賜るために、自己を真空にして待ち望まねばならない。それは苦しみを見つめ、悲しみを見つめ、心を澄み切った状態にすることで可能になる。それこそが私達を永遠の一部として没入することでもある。私達の罪を浄めることでもある。
 私達が神の守護を得るためには、自己を低くしなければいけない。右手を隠す必要があるのである。
 そして、その瞬間、私の身体を神に捧げるのである。心を祈りに捧げるのである。その瞬間、私達は神から祝福を授けられる。

                  fin

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