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情報

 「情報は、それがまだ新しい瞬間に、報酬を受け取ってしまっている。情報はこの瞬間にのみ生きているのであり、みずからのすべてを完全にこの瞬間に引き渡し、時を失うことなくこの瞬間にみずからを説明し尽さなければならない」。ヴァルター・ベンヤミンの言葉である。
 現代社会は情報社会とも言われる。私達にとって大事なのは情報を誰よりも速く入手することであり、それを利用して付加価値を付け加えることでもある。たとえば遠くの国で起こっている経済破綻のニュース、たとえば好きなファッションブランドの新作の発表、これらはベンヤミンの言うように、秒刻みで私達のもとに届けられ、認識される。けれども、本当に価値のある情報はほとんどない。
 情報は私達の脳のニューロンを刺激し、次の瞬間には新しい情報が届けられる。そして、その瞬間に古い情報は廃棄される。私達はその情報について深く思索することはないし、廃棄された情報が再び想起されることも滅多にない。私達の感情を揺り動かすことも、私達の感性を豊かにすることもない。情報とは現代社会において単なる戦利品に過ぎず、ただの知識なのである。
 本当に大事なものは秘匿された感情や誰も知らない感性の揺れである。恋愛や友情、家族愛や秘められた想い、私達の複雑な心はそのようなものによって構築され、思考へと導かれる。アーレントが「考えなければ人間じゃない」と述べたように、ヴェイユが「真理は、常に死の側にある」と考察したように、私達が必要とするのは情報ではなく思考である。知識ではなく思索である。
 私達が情報を入手する毎に人間の本質が堕落していく。私達の得た情報は誰にとっても同じ価値であり、その意味するところは、すべての人間にとって価値があるものはすべての人間にとって価値がないというありふれた事実に過ぎない。情報は認識された瞬間に価値を失うのである。
 もちろん、戦争の当事国にとって敵の新兵器の情報は国民の生命に関わる大事なものである。けれども、そういう情報は個人が入手出来るようなものではない。私達が情報を手に入れるのは、単に自己満足のためでしかなく、それも醜い自己満足である。情報とは資本主義が価値を与える誇大妄想に過ぎない。
 私達は情報に囚われた自尊心を捨てなければいけない。私達は情報の入手に割く時間を捨て、思考しなければいけない。孤独の中で内省することで、私達は世界を正しく認識することが出来るのである。

         fin

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