(雑記)不思議な出逢いについて、記念の覚書

先日、不思議で嬉しい出逢いがありまして、記念に記しておきます。

私の尊敬する作家の方の朗読会に参加した時のことです。
朗読会が終わり、会場であるカフェのある書店の屋上に行き写真を撮っていると、先にそこにいた女性に話しかけられました。
私がその時持っていたカメラのことに触れられ、お父様もかつて同じタイプの二眼を使っていたと教えてくれました。嬉しくなって、このカメラが登場する映画の話や、その方のお仕事(職人さんでした)の話をしたり、会話が次々と弾みました。そうこうしていると、お店の方がその方を呼びにきました。カフェの席が用意できたとのことでした。お店の方はその女性を名前で呼んでいて、どうやら常連さんのようでした。

その女性が、「お時間大丈夫なら、カフェご一緒しませんか?」と誘ってくれたので、お言葉に甘えることにし、私もタルトとお茶を注文しました。

テーブルでも会話が続きました。
今日朗読された作家の作品のこと、小説のこと、建築のこと、彫刻のこと、各地の美術館のこと、即興音楽のこと。
二人ともかなりニッチでアクセスの悪いシネカフェに行ったことがあること、それから同じ絵本作家が好きなこと、とても驚きました。

そして自然な流れで、お互いの過去の恋愛のこと。執着がなかなか手放せなかったのは原家族由来の行動パターンからきていること。愛着問題のこと、カウンセリングのこと、EMDRのこと(なんと彼女はEMDRを知ってました、、)。

そのままでは存在価値がないと思い込んでいたこと。カジュアルな友達とは普通に付き合えるのに、閉じた関係になると途端に見捨てられ不安から言いたい事が言えなくなったこと。パブリックイメージでは自分を持ってそうに見られるのに、本当は真逆だったこと。他人軸に傾いて、自分が消えてなくなりそうになったこと。そんなこんなで、若い時分を過ごしてしまったこと。

どのトピックでも、基礎からの説明が要らない会話でした。あらゆる内容で、「そうそうそう」と、共感したり盛り上がったり。ツーカーとはこういう事かも知れないですね。。
気付けば、2時間半ずっと止まることなく会話していました。

私の写真展の案内ハガキを持っていたので渡し、メールアドレスを告げ、別れました。数時間後、挨拶のメールを送ってくれて、写真展も見に来ると言ってくれました。

10代の頃、興味のあるものの話をすると怪訝な顔をされたりいじられたり。いつしか本当に好きなものは、自分ひとりで秘密に楽しむようになりました。
美大に行ってからも、いちばん好きなものは心の奥底にしまい込むようになりました。
反面、心から話し合える友達を欲していましたが、同時に諦めてもいました。

ここ数年一緒に写真の展示をしている仲間たちとは、昨年初めてお酒の席で色々話し合いました。
すると、驚くほど好きな美術や音楽や文学が共通していました。
彼らは意外に思ったらしく、「misakiさんがドストエフスキーやジスモンチが好きって、正直思わなかった」と言っていました。私は今まで、深い部分で好きなもの、大切なものを知られるのが怖くて、悟られないようにする習慣がてきていたのだと思います。
今では、自分のままでいることが危険だと感じなくなり、私の好きな人たちはありのままを好意的に受け止めてくれることを、体験を通して知りました。そして、受け止めてくれない人がいても、それが私を変える理由にならないということも。

自分のままでいるというただ一つのことを続ければ良いんだと、改めて信じられるような出来事でした。