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最近よく見るhspについて

HSP(Highly Sensitive Person)の特徴として、深く情報を処理する、過剰な刺激を受けやすい、共感しやすい、心の境界線が薄い・もろい、疲れやすい、自己否定が強いなどが挙げられる。そして、5人に1人が当てはまり、人口の20%にもなるらしい。

最近、このような病気ではない、気質やタイプを決めたがる人が多いように感じる。いろいろなことが研究を通して 分かって来たりして、見つかったことに名前をつけて本や記事として広まっていく、そんな流れをよく見る。

しかし、私が思うのは「みんな違ってみんないい」ありきたりな言葉だけど、昔から大事にされてる言葉だと思う、そして私の好きな言葉。この言葉は、金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』の中にある一文だ。日本語であそぼで曲として流れていた詩で、同じ高校生くらいの人たちなら馴染みがあるかもしれない。(今も流れているのかな?)

同じ人なんてどこにもいない。同じタイプの人を見つけては安心したいという思いは理解できるし、グループ分けしていくと楽だったり、便利だったりする。けれど、そんな数学みたいにいつもルールに当てはまるわけではない、わからないことだらけのこの世界でそれはなんとも、それは不思議な流れだと思う。私はよく親に、人間はグループ分け(AかBか、0か1かに分ける)をすることで人間にとって分かりやすくしていると言われる(特に数学とか科学の分野で)。

それを最近では、全ての人間をグループ化しようとしているように思う。グループ化をすると仲間がいると安心したり、相手のことが分からない人・共感できない人(普通の人とHSPと言われる人とか)が簡単に人のことを理解できたつもりになると私は思う。

誰も、世界を同じ見方で見ていないし、それぞれの感じ方がある。多分、HSPさんと言われる人の中でも少し当てはまる人、自分がそう思いたい人、自分のやって来た行動に名前をつけたい人、それで商売をしたい人など、沢山の思いがあって今その言葉が有名になったのだと思う。

そこで私が思うのは、もう名前をつけないでいいのではないかということだ。特にHSPなど、病気ではないものに関しては、「私HSPだから、気にかけられるべき」というような思いをよくネット上で見かけるが人口の約20%がそうであるのなら他の20%には空気が読めなくて困っている人がいるかもしれない、すぐに怒ってしまうことに困っているかもしれない、それぞれがそれぞれを思いやって、自分を守っていけるようになってくれたらと思う。

相手の全てを理解することは難しい、だって私はあなたじゃないから、もしもあなたが私が何も悩みのない人だと思い羨んでいても、私になったらその人がどれだけ努力をしたり、悲しい過去があったりを知ってその人にはなりたくないと思う。だから、出来るだけ言語化して相手に伝える努力をしたいと思うし、してほしい、そうやって勘ぐるだけじゃなくて話して色々なことを乗り越えると本当に欲しかった友達や環境が自分に巡り巡ってくるだろう。

HSPでも、出なくても、何であっても時間は巡るので、その中でどれだけ自分が楽しく、有意義に過ごせるかを一番に動きたいと思います。

ありきたりな言葉ばかりになってしまったけど、これが私の考え、共感してくれる人がいたら嬉しいし、してくれなくても読んでくれて嬉しいです。

ありがとうございました。

Mia

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