元気について

 ここで問題にしたいのは元気とは「元気ハツラツぅ?」と昔CMで見た類いの、元気である。
 つまりは言葉から真っ先に想像される、活力がみなぎっているような状態のことである。

 私が元気について今回書こうと思ったのは、今、自分自身に元気がないからである。疲れやすい、眠りが浅い、ミスが多いなど。まあ、気が枯れている、ということである。
 それで、パッサパサに気が枯れていると思ったということで、言葉遊び的なことになるのだが、思ったのである、(この「思った」は、thinkというよりfeelに近いのかもしれない、いややっぱり頭で考えているからthinkなのか。まあどうでもよい。)元気って加点制ではなく、減点制なのではないかと。

 つい、「元気を出せ」とか「元気が足りない」とか「元気もらった」という言葉から、元気は出せるもの、気合いとかの少し無理してもできるよ、的な増やすことで良い結果に結びつくものを想像しがちだった。しかし、そもそも元気って、元の気って書くジャンって思ったのだ。「元気だね」とか「元気そうで何より」とかで使う、その人にとって気が満ちている状態が元気の自然(ナチュラル、野生(?))なニュアンスなのではないかと改めて思ったのである。
 何が言いたいのかと言うと、元気ってポケモンのHPみたいに、まず元の気(ここの気は活動できる力みたいに取ってもらえたら)があって、で、HPが削られていくわけで、というみんな当たり前にみなさん分かっていたようなことを、私は忘れていたよということである。
 気は減っていくものだから回復させないと戻らないということ。回復できるアイテムは自分で調達しないとならないということ。あーなんかそんなの、みんな分かってたことかもと思えてきて書いてる自分のバカさ加減に悲しくなってくる。薬を飲んでもそれって少し体力ゲージが赤い色になってるのを黄色にできるかもしれなくても緑にはならない。薬にはそこまで回復できる力はきっとなくて、自発的というか、積極的に自分で回復させに行かないと元気っていうものは充填されないのではないかと。
 だから積極的に休んだり、元気を掴みに気になるところへ出かけてみたり、美味しいものを食べに行ったりとかそういうことって、みんなに大事なんですよと。
 私はすごく自己肯定感が低いんで、自分は休んだり、楽しんだりする価値なんて殊更ない人間なんじゃないかと思い詰めることがあるけれど、元の状態に気を戻そうとするというか、積極的に回復しにいくことは等しく大事なのではないかと思った次第。

 鬱って、落窪というか、元気がフラットだったら地面が凹んでるってことなのかなと。鬱までいかなくてもそういう落ち込みは元のフラットで立てている自分の状態ではないんじゃないか。これも、「凹む」とか「落ち込む」の言葉そのままだけれども。

 人に迷惑かけない方向であれば、元気でいていいのかなと。仕事とかは時に人に迷惑をかけてしまったとしても、休むが必要なら休んだ方がいいと自分に言ってあげてもいいんじゃないかと。自分に向き合うことは、結局自分にしかできないのではないか。元の気のゲージは自分にしか分からない。私は目を背けてばかりだったけれど。
 今どのくらいなんだろうとかどうすることが自分にとって楽しいとか好きとか元気になれることなのかと自分と向き合うことも時にというか、そっちのほうが今を生きていくためには大事なのではないかとやっと思った。

 

この記事が参加している募集